人に顔がなかった話

私は意外と礼儀正しい人間なのかもしれない。
なにしろ自分の家族であっても、道で会ったらお辞儀をする。
だからといって「親しき仲にも礼儀あり」を実践している訳では勿論、ない。​

家から出たらわからない

向こうから人が来るのが見える。
だんだん近づいてきたその人影は、両手を広げて奇妙なアピールを始めた。
「やだなぁ…酔っ払ってるのかな?(汗)」
内心思いつつ会釈をして、こわごわ脇を通り過ぎようとした所が、一緒に暮らしている弟だった…というような事はもはや日常茶飯事だ。

…そうなのだ。私は、家から100mも離れると、場所と人物、情報の紐づけが切れて、自分の家族もわからなくなる。

数年ぶりに帰省したというならまだしも、毎日、面を突き合わせているというのに。肉親ですらコレなので、ご近所さんや友人はいわずもがな。ちなみに視力は裸眼で1.0だ。(往時は2.0あった)

服を着替えたらわからない

市内のスーパーで働いていた時、来店した家族に
「いらっしゃいませー♪」
家では見せない満面の笑みで、馬鹿丁寧に接客していた事が何度かある。声をかけられてようやく気づいたり、レジに向かう背中を見送って「あれ?」となったり。顔から火炎放射である。後で聞いたら、私の“奇行”は家族皆の知る所であり、陰で笑っていたそうだ。

そういえばこんな場面もあった。
「お客様…こちらにお入りになられては困りますぅ」
あやうく口に出しかけた言葉をぐっと飲みこむ。店のバックヤードに居合わせた、私以外のおばちゃん達は、闖入者に構う様子もなく平然と作業を続けていたからだ。
「いやー忘れ物しちゃってさあ!」
普段着で買い物カゴを持ち、すっかり“お客さん”に擬態していたのは、先刻退けていった早番のおばちゃんだった。よかった…変なこと言わないで(汗)

見慣れた店のユニフォームが、私の脳内で『おばちゃんとバラ売り不可のセット商品』になっているらしい。特別仲が良いとかはなかったものの、数年間一緒に働いていた同僚ですら、私服に着替えただけでもう判別出来なくなっていた。


なんでここまで人が覚えられないのだろう?思い返せば、子供の頃からこうだった。
しょんぼりすると同時に不思議にも思った私は、ある時、なるべく普段通りに目の前にいる人を見てみた。自分の反応に意識を向けてみた。
真っ先に目に入るのは胸元から首の辺りまで。それから服装、手にしている物…靴……。
あれ、顔が…?
びっくりした。肝心の顔の辺りが、ぼやけてはっきり見えない。
物覚えが悪い、それ以前の問題だった。見えていなかったのだ。
直接話をする時や、この人を視る、と決めた時には顔にもフォーカス出来るので、余計に気づいていなかった。ただ、ちょくちょく会っている人でも、派手に目立つ特徴でもなければ、顔はなかなか覚えられない事に変わりはないのだが(涙)

ある日、実験をしてみる事にした。
大きな駅のコンコースで、人の流れの邪魔にならない場所に立ち止まり、振り返る。
思った通り、みんな顔の高さでボカシがかかっている。
人類皆18禁…いやいや(汗)
Seeではない、Lookでいこう。それもぐぐっと広範囲に。
視力1.0の底力を見せてやる。やってやれない事はない!
意気込んでスイッチを入れた途端に…ぶおーっと世界が広がった。
人混みを形成する膨大な数の人。一人一人に違った顔がついている。


うわーうわーすごい。
人って顔があるんだ!

その時、口をついて出た言葉がこれだった。
一体こいつはなにを言っているのだろう?
だが、知識としては昔から知っていたはずの事を、私は自分の五感を通してじっくり感じた事がなかったらしい。

心のみならず、体のレベルでもいたく感動しているらしく、加工もしていない生の映像がキラキラきらめいて、通常よりひときわ色鮮やかに見えている。
ああ、美しいな。

だが………多すぎる(汗)
視覚の窓から怒涛の勢いで流れ込む情報で、ざぶんざぶんと脳が洗われる。なんだかすごく疲れる…と思う間もなく、頭痛がしてきた。

おう、いかん。今日はこのくらいで勘弁しておいてやろう…ていうか、あいてて。して下さい(涙)
輪っかをはめたおサルのように悶えながら、あわてて視界をぼやかすと世界は急にしゅんとしおれて、灰味がかった色に戻った。
あー…。

そうか。普段これらをシャットアウトしていた理由がなんとなくだが理解出来た。さっきは、目に入ってくる物をいちいち細かく拾いすぎていた、気がする。常々貧乏性だと思っていたが…まさかここまでだったとは。
しかし、面白い体験が出来たぞ。流れに乗って歩き出しちんまり座席に収まっても、まだ心がふわふわ躍っている。ラッシュアワーの疲れは二割増しだけど。

家に帰って、本日の大発見を意気揚々と弟に話すと
「器用だなあ」と笑われた。
あれ…これって器用なの?自分は救いがたく不器用なのだと…ずっと思っていたけれど。人に話して視点をくるりと回してみると、新たな見方が加わった。


自分にとっての当たり前は、世の中でも「当たり前」だとついつい思ってしまうのだろう。現に私は、ネジ一本すっ飛ばしてどこかに置いてきたようなカスタマイズを、長い長い長い間、標準的だと信じており疑う事すらしなかった。
ただ、それに気づいた所でどうという事もなく、こうして笑い話のネタがひとつ増えただけの事なのだけれども…。
そうだ。時と場所と人によっては、失礼のないように「視野が狭いので気づかなかったらごめんなさい」と、先に謝ってしまうのもいいかもしれない。

「ちょっと調べてみたいので」と、頭を開けられたりはしないかとそれだけが心配なので、えらい人にはナイショだよ。

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