聖教新聞の取材の依頼が来た話(2021.07.08)
3週間ほど前の話ですが(2021年7月8日当時)、実は私に聖教新聞の取材の依頼がありました(断りました)。6.30に学生部結成記念日がある関係で、地方・県版の紙面に学生部員の紹介をする記事を載せたかったらしく、私に声が掛かったようでした。実は私が未活になったのはつい2ヶ月ほど前からで、創価高校卒、白蓮グループ所属ということもあり、まだ積極的に学会活動に参加する人というイメージを持たれているみたいです。最初に女子部の人から取材の件で電話がきたとき、どうしたらいいか分からなくてとりあえず「親に相談してみます」と言って会話を終えました。
この話が来たとき、私は取材を受けようかどうかとても悩みました。取材を受けることで、自分のやっている研究について何かしら発信できるかもしれないという期待や、聖教新聞に載ることは熱心な学会員の感覚としては本来誇らしいことであり、断ることで何か怪しまれるかもしれないという不安があり、断らない方が良いのではないかと思う一方で、取材で学会に疑問を思っていることを隠し通さなければいけないのは辛いし、新聞に自分が載れば、地域の学会員に活動家だと思われ、変に期待されてしまうかもしれないと心配していました。
このことを、私が学会に疑問を持っているということを理解してくれている母に相談したところ、自分の思ってることだけを言えば良いと思うけど、今の状態を考えると無理して受けない方が良い気もする、とのことでした。また、断りたいけど私が“親に相談してみます”と伝えてしまったために、断ると親がおかしい人だと思われてしまうのが申し訳ないということを話したら、「全然、気にしすぎだよ。」「もっと自由に楽しくいけばいいよ。」と言ってくれました。これを聞いて私は、無理せず断ろうと決めました。
担当の女子部の人に断りの連絡をラインでしたところ、また電話をしたいという旨の返信があり、電話で何を言われるんだろうとヒヤヒヤしましたが、実際に話してみると、その人は取材の依頼をしたことで私を悩ませてしまったのではないかと心配してくれていたみたいでした。私が学会に疑問を持っていることを知っているわけではないようでしたが、そこまで心配して連絡してくれるなんて、なんて優しい人なんだと思いました。自分が本心を隠して接しているのが申し訳なく、胸が痛みます。
今振り返ってみて、取材は断って正解だったと思っています。もし、池田大作氏や学会活動について聞かれたとき、本心を隠して学会にとって都合の良いようなことを言えば、聖教新聞は嬉々としてその内容を書くでしょう。しかし、今まで学会が行ってきた情報操作を鑑みると、自分が本当に思っていることを口にしたとしても、それをねじ伏せられるか、都合の良い内容に書き換えられてしまう可能性があります。もし、取材を断っていなかったら学会の組織と距離を置くのがこれまでよりも難しくなり、あとあと自分が苦しむことになってしまったと思います。取材を受けるかどうかすごく悩みましたが、今後の自分の人生のを考えると、断って本当に良かったなと思います。
この記事はアメブロから転載しました。
https://ameblo.jp/ttherm00297200/entry-12684378875.html
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