【映画】2組のソニックと、5組の俺(未見向け)
はじめに
子供の頃は、お店のテレビゲームコーナーで遊ぶのが大好きだった。
試遊台で実際にプレイするのも楽しみだったが、一番「遊んだ」のはやはり想像の中でのことだった。
陳列されたゲームソフトを手に取り、ジャケットや裏面をじっくり眺める。そして、「このゲームはきっとこんな内容なのだろう」と想像するのだ。
ゲーム雑誌の特集記事などでも、同じような想像の遊びをしていた。
「ソニック」シリーズは、俺にとってそういうゲームのひとつだった。
といっても、別にゲームが禁止されていたわけではない。
メガドライブもセガサターンもなかったが、なぜかゲームギアとドリームキャストは持っていた(ゲームギアはほとんど遊んでいなかったけれど)。
「バーチャロン」シリーズは死ぬほどやったし、「PSO」で色々踏み外したりもした。だが言ってしまえば、俺とセガの接点は「それだけ」なのだ。
生涯を懸けて愛するほどでも、唯一無二のゲーム企業というわけでもない。
大好きな「ゲーム」というジャンルの一部……そのぐらいでしかなかった。
同じようなことは、小学校でもあった。
たとえばあなたは、同学年の生徒全員と友達だっただろうか?
「なんかあんなやついたな」ぐらいのぼんやりとした同級生が、それこそ同じクラスでさえ居たのではないだろうか。
「顔も名前も知ってるけど、話したことはあんまりない。同じクラスにもならなかったし」……だいたい、そんな人が少なからずいたことだと思う。
実際シリーズで遊んだのは、「ソニックアドベンチャー2」ぐらい。
Crush40の曲はどれも大好きだし、シリーズキャラの見た目も名前も知っている。だが、「それだけ」である。
2組のソニック、5組の俺。
映画を見るまでの俺たちは、そのぐらいの距離があった。
タイトルロゴのあと
しかし映画が始まったとたん、俺とソニックは急に距離が近づいた。
なぜならこの映画は、「ゲームの映像化」ではない。
「ソニック」というひとりのキャラの、オリジンなのだ。
映画のあらすじそのものは、言ってしまえばごく普通のものだ。
異世界からやってきたソニックが、ちょっとしたトラブルから悪の科学者ロボトニック(またの名をDr.エッグマン)に付け狙われる。
田舎者だがお人好しの警官・トムは、そんなソニックをかばったことから、彼とともに笑いありバトルありの逃避行に出ることとなる。
実に王道。映画の内容も、これといって奇をてらうところはない。
ハチャメチャだが陽気で友達想いのソニックは、内側に孤独を抱えつつもトラブルを巻き起こし、トムやよき人々と友情を育む。
紆余曲折を経て、悪の科学者ロボトニックとソニックがついに戦う!
……とまあ、映画の中盤ぐらいまではこれで話が済んでしまう。
ではどうして、わざわざこんな記事を書いているのか。
それは、この映画が「あの日夢見た想像のゲーム」と同じだからだ。
俺が「遊んだ」ゲームたちは、どれもとてつもない超大作ばかりだった。
もちろん、想像の中での話。現実に実物を遊んでがっかりしたこともある。
(勝手に期待を膨らませておいて落胆するというのも、ひどい話だが)
しかしだからこそ、想像の中のゲームには「夢」が詰まっていた。
どこまでも続く冒険。魅力的なキャラクター、壮大な世界観や自由度。
あるはずのない、しかしあってほしい、そんな想像の産物。
映画「ソニック」は、100分の中に娯楽がこれでもかと詰め込まれている。
無駄のない軽快なテンポのストーリー、小気味よく挟まれるコミカルな演出と爽快なアクション、愛嬌のある登場人物たち。どこか間の抜けた悪役。
王道。それをシンプルかつストレートに突き詰めることが、どれほど難しいか……今の映画界を鑑みれば、想像に難くない。
「ソニック」はそれをやってのけている。だから俺は魅了された。
毒にも薬にもならない、と人は言うかもしれない。
王道なんてありきたりでつまらない、そんな人も居るだろう。
だが、王道は王道ゆえに王道たりえる。シンプルこそが一番いい。
スナック片手に気楽に楽しめる映画は、いくらあったっていいのだ。
それが爽快でコミカルで、スピーディでハートフルならなおいい。
あの日俺が思い描いた、想像のゲームの中の「ソニック」。
「とにかく楽しい何か」の具現化が、スクリーンの中にあった。
俺の中のソニック、俺の中のセガ
俺は「ソニック」シリーズにも、セガにも、特別な思い入れはない。
だが「バーチャロン」シリーズは死ぬほどやったし、「PSO」では色々踏み外した。
俺の人生の一部には、少なからずセガがあった。
だから俺は映画が始まった時、セガのロゴが出た時、胸が熱くなった。
ソニックがトラブルを起こすたび、心から笑っていた。
ソニックが自慢の速度で活躍するたび、手に汗握った。
ソニックが落ち込み思い悩むたび、悲しさに歯噛みした。
映画を見終わる頃にはもう、ソニックは「2組のあいつ」ではなかった。
強さも弱さも知っている、俺の大事な友達になっていたのだ。
俺は、「ソニック」シリーズをほとんど遊んだことがない。
メガドライブも、セガサターンも持っていない。
だが、俺にとって、ソニックは……そしてセガは、他人だったのか?
いや、違う。
俺は「バーチャロン」を遊んだ。
「PSO」でネトゲの悲喜こもごもを体験した。
ゲーセンの「ハウス・オブ・ザ・デッド」の一面であっさりゲームオーバーになり、「ダイナマイト刑事」を友達と遊び、「スペースチャンネル5」で大笑いした。
俺の人生の中に、ソニックもセガもたしかに存在していたのだ。
そして今日、映画を観て、新たなソニックと出会った。
想像の中のゲームよりも「楽しさ」が詰まった、一本の娯楽に。
それはまるで、十何年ぶりに親友と再会したような気持ちだ。
ソニックはあのときも、今も、そこにいてくれたのだから。
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