
常設展へ行こう!
大学生活最初の年に、“美術館に行く”ということを知った。あまり文化的な習慣がないまま育ってきた私、怖いもの知らずの、欲張った学生時代を過ごそうとしていた。
インターネットでリアルタイムの情報収集することなどできなかった頃のことで、都心のイベントや映画館の上映館の情報を仕入れるには、新聞や雑誌をチェックすることがお約束だった。大学の講義が休講となって、急に時間が空くこともある。そういう時にすかさず観たい映画を観に行ったりできるように、「ぴあ」をチェックしていたことを思い出す。そして美術館へも、友人に誘われていった「ミレー展」を手はじめに、足を運ぶようになった。
限られたお小遣いと時間を割いてせっかく観るのなら、美術館の展示は特別な企画展を選んで観に行くことが常だった。背伸びして、アート作品との“一期一会”に欲張っていたのだなぁとほろ苦く思い出す。だから“いつでも観れる”常設展に注目することは、あまりなかったと思う。
作家の原田マハさんは、アート作品を“親しい友”と呼び、その“友人”に再会するために世界中の美術館(すなわち“友人の家”)を訪問するという。その境涯にはとても追いつけそうもない。
でも歳を重ねてはじめて、同じ作品を、異なる時に、違う場面で観る面白さを知った。若い時に観た作品の前に年齢を重ねて再び立つと、以前と違う感情が湧き上がってくることもある。懐かしさを感じたり、以前は気付かなかった新しい発見があったりする。
常設展には、そうした“再会”が起こりうる。
あらためてその“再会”を求めたい、と思わせてくれたのが、この、「常設展へ行こう!」だ。
本書は、「ほぼ日」の記事をまとめたもので、現在もその記事はあらまし閲覧できる。私が特に惹かれたのは、故郷にある、日本初、西洋美術中心の私立美術館、「大原美術館」の項だ。
倉敷・美観地区の中にある大原美術館へは、子どもの頃の遠足に始まり、何度足を運んだことだろう。モネやセザンヌ、絵画作品はまだ子どもなりに鑑賞しようがあるけれど、黒田辰秋の漆芸の大きなテーブルなど、なんの知識もなく、味わいようがなかった。
そのうちに、一地方都市にありながら100年近く前にこれだけの西洋絵画などのコレクションを完成させた功績、そして、地方だからこそ戦災を免れたことも、きわめて奇跡的な美術館なのだと知った。当たり前すぎてその意義、その価値をまったくわかっていなかった。宝物のような美術館に、何度も訪ねることが叶う場所にいられるなんて、実は幸せなことだったんだなぁ。
大原美術館へは友人を案内したり、嫁いだのちは帰省した時など折に触れて足を運んではいたが、今年の夏、初めて娘を伴って訪ねた。
訪れたのは「大原」初の企画展、それもすべて収蔵品で行うという試みのある展示だ。これまでの、静謐な空気漂う常設展示も“らしく”てよかったけれど、テーマに沿って作品を選び出しながら展示していた。同じ作品に違う光を当てたような感じがして、新鮮でもあった。
今回“再会”した作品で、そんな新鮮さを味わったのは、エル・グレコの「受胎告知」だ。
「信仰」がテーマの作品のコーナーで、印象的に展示されていた。隠喩を用いながら透徹した信仰心を象徴的に描いたこの作品の前に真正面から立つと、ドラマチックな迫力が伝わってきて驚いた。これまではきっと、この迫力に負けてしまっていたから、私には響いてこなかったんじゃないかと思った。
また、大原美術館に大きな役割を果たした、児島虎次郎の作品にもあらためて心惹かれた。温もりのある明るい色調に人間味を感じる。大原の庇護の元とはいえ、ヨーロッパを3度旅し、晩年は倉敷に程近いのどかな地でアトリエを構え、収集した芸術作品(エジプト王朝やオリエントの遺物も)と過ごしながら絵を描く、なんと幸せなアーティスト人生なんだろう。
この秋は、上野公園の、国立西洋美術館の常設展を観た。特別展ではモネがかかっていて、本館の前庭には長い行列があったが、常設展だけに並ぶ人はなく、すぐに入れた。中世からルネサンス期、そして現代への連なる西洋絵画の歴史を辿るような作品を、世界遺産のひとつでもあるル・コルビュジエの設計の建築の中で観るその喜びは、想像していたよりずっと満足できるものだった。作品の合間に現れる窓の佇まいもまた、そのままアートだった。
この収蔵品の元となった松方コレクションは、大原美術館のコレクションと同時期のものであり、それにもまた格別のドラマがある。原田マハさんの小説「タブローの風」で味わった、爽やかな読後感を思い出す。
その奇跡をこの目で確かめに、繰り返し足を運びたい。そう、常設展へ行こう!