「何が見えるか」を探る
江戸時代の絵師・伊藤若冲の“失われた”作品を、デジタル復元する、というテレビ番組を観た。
伊藤若冲は、18世紀に京都で活動した絵師で、鮮やかで緻密に描かれた花鳥画は人気がある。
私は若冲の熱狂的ファンというのではなく、その番組もたまたま観始めたものだったが、途中で観るのをやめることができず、録画しておいたのをもう一度見返した。
昭和8年、図録で白黒写真が掲載されて以来行方不明になった「釈迦十六羅漢図」。それを、デジタル技術で極彩色の彩りを取り戻し、若冲が、「枡目描き」という気の遠くなるような細密な技法を用いて、どんな思いを込めて描いたのかを探る、というものだった。
その後、これまた偶然出会ったのが、本書である。
本書では時代順に、東大寺の大仏殿、「地獄草子」、「平治物語絵巻」、そして狩野永徳の「檜図屏風」と、「花下遊楽図屏風」のデジタル画像技術による修復について綴られている。
著者は学芸員の資格を持ち、大手の印刷会社(若冲のデジタル復元に携わった会社とは別)で、1996年頃、デジタル画像処理による美術品の復元、という未知の分野に取り組み始めたという。
その最初の作品が、桃山時代に、狩野派の絵師が描いた「花下遊楽図屏風」だ。
東京国立博物館に所蔵された国宝だが、一双の屏風のうち、関東大震災に遭った右隻の一部は失われている。ただ、大正時代に撮影され、全体像が遺る白黒写真を手がかりに復元していく。
その過程を書いた本書の第5章では、失われた右隻に描かれた貴婦人が纏う“辻が花”の打掛けの色目を探し、貴婦人の視線の先を辿っていくことから、この屏風に描かれた“物語”を探っていく。
実は“仮説”として、この右隻の貴婦人は「淀君」であり、彼女の視線の先、左隻に描かれた貴公子は「豊臣秀頼」、そして、この屏風に描かれたのは豊臣秀吉が慶長三年の春に京都・醍醐寺で開いた花見の宴、「醍醐の花見」である、といわれているそうだ。
歴史的な一場面を描いたかもしれない、そのロマンある仮説に対して心を寄せながらも、著者は、様々な分野の専門家に意見を求めながら客観的に分析し、“繰り返し”デジタル復元していく。そして、制作された当時の人々の視点で鑑賞するため、屏風の姿にして再現してみる。
色目を“繰り返し”変更したり、アナログでは再現しづらい作品そのものの形態の変更など、デジタルだからこそ叶う復元だ。
さらに著者は、デジタル復元のポイントとして、「何が描かれていたかではなく、何が見えてくるか」という点を挙げている。
たとえば、ある仏像の色彩を再現しようとする。各パーツーつ一つは事実と異なっているとしても、全体から感じられる雰囲気が、現代の感覚とはちがうのは事実である。奥から眺め全体を見渡したときの雰囲気が、現代の感覚と異なっていることは事実である。
そこから何が見えてくるのか。
私はいつもそこにこだわっている。そこにどんな感覚のちがいがあったのかを探りたいのである。 (※)
時代を経て、剥落したり、修復が必要な姿になってしまい、製作当時の姿と異なった姿でしか、現代の私たちが見ることは叶わない。
またどんなに分析して修復したとしても、まったく同じものにはならないし、そもそもデジタル復元の意義は、上等なコピーをつくることにあるのではない。
調べ、探し求める中で得ることのできる気付き。
当時の人々と現代の私たちに、「感覚のちがい」がどこにあるか。逆に、私たちにも通い合う、心の動きを見つけるかもしれない。
さて、この本に私が出会ったのは、娘の引き合わせのおかげだ。
実は、大学の図書館の蔵書整理で放出された廃棄予定の本の中に、娘が見つけて手にすることになり、自分で読み、夏休みに持ち帰って私に勧めてくれたのだった。
ちょうど若冲の作品のデジタル修復を紹介した番組を観たところだった私には、ぴったりの選本だった。感謝。
※ 小林泰三 著 「日本の国宝、最初はこんな色だった」 「はじめに」より
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