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宇治を歩く(その1)
滋賀・大津を訪ねた日、実はもう一つの計画を断念していた。同じ大津にある、石山寺に行こうとしていたのだ。
奈良時代に創建された石山寺は、平安時代には貴族による「石山詣」が行われ、特に女性に間に流行ったという。その参詣者の一人が「源氏物語」を書いた紫式部だったという。放映中の大河ドラマに関連した展示があるというが、琵琶湖畔から行くには閉門の時間に間に合いそうになく、その日は諦めた。
その帰り道、「源氏物語」ゆかりの地を訪ねて行くなら宇治にまた行きたい、と夫に提案した。「源氏」は学生の頃からずっと、私の文学的な関心の的のひとつだった。以前も宇治へ「源氏」の足跡を訪ねたが、大河ドラマで盛り上がっている今年、再訪せずにはおれない。
というわけで“小さな旅”の続きは、宇治となった。
梅雨の合間、降るかと思われた曇り空から、陽がさし始めた。これは暑くなりそう。湿度も高い。
早めに出発したおかげで、京阪宇治駅そばのお茶と歴史をテーマにした交流施設へ、スムーズに駐車できた。幸先いい。施設は新しく、設備が整ってスタッフの方も多くて声かけも丁寧だ。
その施設に、大河ドラマの展示が行われていて、それをまず見学することにした。私は毎週ドラマを見ているので、見覚えのあるシーンの写真パネルや実際の衣装の展示を面白がりながらみることができた。
夫はどうかな、と少しだけ案じたものの、職業的関心から資料に使えそうな写真を撮ったり、挙げ句は顔出しパネルで撮影したり。まあ楽しんでいる様子でよかった。
展示を一巡りして、一旦外へ出た。
建物の周辺は、青々と芝生が広がる中に遊歩道を整えた公園になっていた。
観光客へのデモンストレーションとなるような茶畑が広がり、その向こう、川沿いは豊臣秀吉の命で築堤したという歴史遺構がある。
駅へ向けて歩くと、バスロータリーにはハットに半袖のTシャツとショートパンツ、といったカジュアルなファッションの人たち、それも若い世代の人ばかりが列をなしている様子だ。
バスの行き先を見て気付く。音楽フェスに参戦する人たちだ。きっと暑い1日になるだろうけれど、ざわめきに生き生きとした感じを受ける。制服制帽姿で誘導するバス会社の人たちも、心なしかうきうきしているように見えて、微笑ましく思った。
ロータリーの横を抜けて、私たちは宇治橋へ。擬宝珠のある欄干は木製のような風情のある橋。雰囲気を壊しそうなコンクリートの橋桁と橋脚はうまく隠してある。
その下は急な流れ、宇治川だ。宇治に来るのはたしか3度目、でも毎度ながら宇治川の早い流れに、ぞわりとする感じを受ける。
生まれ育った故郷の川も、今の住まいのそばの川も、こんな激しい流れではない。見慣れないからだろうか。また今日は、上流の瀬田ダムを放流して増水していたから、よりそう感じるのかもしれない。
けれど、私が感じる“ぞわり”の感覚の正体はなんだろう。
柳が揺れる橋の袂には、紫式部をかたどった石像がある。その脇に「夢浮橋古跡」と書いた石碑があって、小さな広場になっている。記念撮影をする観光客が多い。
石像は、袿姿で長い巻き物を手にして座った女性の姿、面差しはふんわり柔らかな感じ。教科書で見る大和絵の肖像画、あの平面的な面差しでは、「源氏」を本当に書いた人なのか、とピンとこない。紫式部本人の姿は、今となっては誰もわかりようがないけれど、こんなふうだったらいいな、と思えるような雰囲気だ。
古跡の風情を味わうにはあまりにも暑く、なにより観光客のざわめきが落ち着かない。手洗いの水道の蛇口でふざけている子どもたちの声が賑やかで、日本語ではない言葉の歓声が響く。
広場から離れようとした瞬間、像の前に立つアジア系のカップルに、英語で声をかけられた。親しみやすい笑顔で慎ましく写真撮影を頼まれ、少し温かい気持ちになる。
オーケー、と撮影を引き受けた夫の後ろで、紫式部像をバックに手でハートマークをかたどってポーズしたお2人を見ながら、ふと気になる。
果たして2人は「源氏」、宇治十帖の結末をご存知なのかしら。
(続く)