『決断』に意味はない
最近このように思う事が増えた。
ハッキリした答えがない問いを悩みすぎる必要はない。
それよりさっさと決めてしまい、その決断を正解にするために動いた方がいい。何かを決めないと何をしていいか分からなくなってしまう。
自分は不思議と人生を振り返っても後悔がない。
もちろん小さい粒度のものに目を向ければあるが、大きな後悔はない。
「精一杯やってきた」「自分で選んできた」など理由は思いつくが、『全てが繋がって今、成るように成っている』という感覚が強いからだ。
まさに世代という事もあり、ONEPIECEは好きな漫画の一つだ。
ONEPIECEを友達に勧められた当時の状況ですら覚えている。
そんなONEPIECEに関して「連載当初に今の内容を構想していたのか?」と最近かなり気になっていた。
YouTubeに転がっている「伏線回収」の4文字を見た時に「連載当初の週刊少年ジャンプ1997年34号の時から、こんなに細かい設定を構想する事ができたのか?」と疑問に思ったからだ。
そこから「前から決まっている大枠の設定と後から決めた細部の設定の2種類があるのでは?」と考えるようになった。
どうやら自分の仮説は間違っていないようだ。
たまたま見つけたYouTubeショート動画の内容を見て驚いた。(※もしこの動画の内容が嘘なら尾田先生すみません。汗)
ONEPIECE好きの人なら誰しも分かるが、ウォーターセブン編で登場するガレーラカンパニーの船大工の初登場の時点では、船大工の誰が敵(CP9)のスパイかを決めておらず、後からロブ・ルッチを敵のボスキャラに決断したそうだ。
このショート動画の内容が事実だとして、自分の仮説とは別に考えさせられるものがあった。
それは、僕の頭の中にある完璧なボスキャラはロブ・ルッチで主人公のルフィと決闘をする相手はロブ・ルッチ以外は考えられないが、それがカクやブルーノだった可能性もあったと言う事だ。
もし尾田先生がラスボスをブルーノで描く決断をしていたら、その設定の物語を読んだ自分はラスボスはブルーノ以外を考えられなくなっていたはずだ。そしてルフィは間違いなくブルーノとワクワクする決闘を繰り広げていたに違いない。
そして、僕もウォーターセブン編のボスが誰であろうと今と変わらず物語を楽しんでいただろう。
自分の人生もこれと同じなのではないだろうか。
人生の中の決断と結果のパターンを無数に考えつく事はできる。
・違う決断をしたことで違う結果が生まれたパターン
「あそこでAを選んだからA'がある」
「あそこでBを選んだからB'がある」
「あそこでCを選んだからC'がある」
・違う決断をしたが全て同じ結果が生まれたパターン
「あそこでAを選んだからA'がある」
「あそこでBを選んだからA'がある」
「あそこでCを選んだからA'がある」
優劣や損得などがハッキリした選択なら良い方を選択すればいい。
でも、仮説検証のしようがない事も人生には多い。
人生は一度きりな以上、何が正解でベストなのか誰にもわからない。
物語はゆっくりとでも着実に結末に向かっていて、その結末が不変なものかどうかは誰にもわからない。そういう意味で、冒頭述べたように成るようにしか成らないのだと思う。
運を味方につけるために打席に数多く立ちながら、流れの中でやれる事をやるしかないのでないだろうか。
ベストな選択肢を模索する事は人生に真剣であるという見方もできなくはない。自分の人生だからこそ余計に、いや必要以上に思い悩み迷路に入り込み、まるで目の前の決断が将来の結果全てを100%決めるかのように錯覚してしまう。
学生のうちは簡単だった。
ほとんどの日本の学生にとって、偏差値という共通評価のモノサシがあり、偏差値が高い大学に行くという「ベストな選択肢」が人生には用意されているのがアタリマエになっていた。
でも、社会に出たら全く異なるルールで物語を生きないといけない。
社会に出ればベストである事が予定された決断などないからだ。
学生まではレールの上を必死に走っていたが、社会人になった途端「自分らしく生きよう」とレールから外れることを要求される。『選択肢の多さが自由』という趣旨の投稿を昔Facebookにしたが、自由さが逆説的に不自由だと悩む時もあった。
たしかに、ハッキリとしていない状態は何とも気持ちが悪く居心地が悪い。
多かれ少なかれ誰しもそのような経験を味わっているはずだ。
自分もまさにその中の1人だ。
でもその経験を通して、人生における失敗も成功もその時点で決める事はできないと気づく事ができた。
悩んでも解がない問いに頭を悩ませる時間をやめる。
悩む時間があれば思い切って何かを決めてしまう。
そもそも失敗や成功を定義づけするのには時間がかかるし、未来の意味づけで定義されるなら『今の』失敗自体が存在しないのではないだろうか。
まさに、人間万事塞翁が馬だ。
人生において決断そのものに意味がない状況も多い。
だからこそ、「ベストな決断か」という問いではなく、『ベターの決断をベストにするために、すべき事はなにか』という問いを抱きながら前に進んでいくしかない。
20代で色々挑戦してきて上手くいかなった事も多かったけど、挑戦しないとわからない事だらけだったという事を考えれば全てが糧になっている。
今だからこそ『無駄になる経験は無い』という言葉の意味がわかる。
『若いんだから苦労は買ってでもしろ。』
ちょうど、89歳になる祖母にZoomでも言われたばかりだ。笑
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