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日本の誇りを後世に繋げたい

27歳の頃からこの事をずっと考えている。
モヤモヤを抱えながらも足だけは止めずに動いていたら、段々と言語化できていったにすぎないし、その過程でしんどい思いをする事は多かった。

2年前にハワイで圧倒的な行列を見た。
「有名なステーキハウスかな?」くらいの軽い気持ちで行列の正体を探りにいき驚いた。観光客が大勢並んでいたのは丸亀製麺(Hawai Honolulu店)。日本でも頻繁に目にしていたし、よく食べていた丸亀製麺の看板をアメリカで目にしてとても驚いた。
そして、心が震えた。日本人としてとても嬉しかった。

あの日見た光景が今も目に焼き付いている

自分でも意外だったこの反応が帰国してからずっと気になっていた。
その頃「should」ではなく「want to」で次に挑戦する事業を決めたいと思っていたタイミングだった。
リクルートの同僚と25歳で初めてコーチング領域で起業したが上手く行かず、1年半後には別々の方向に進んだ。今でもビジネスマンとして尊敬しているし、将来仕事が一緒にできたらと思うくらい信頼しているが、当時はうまくいかなかった。多くの事を学んだが、振り返ればこの経験から『やるべき<やりたい』軸で次は事業を決めたいと気付けた気がする。

それからしばらくは、社員1名の時に入社したアルダグラムの事業にコミットした。その頃は会社の規模も小さくCEO直下のプロジェクトで文字通りコテンパンにされまくった。自分のスキルや視座の低さに悩み正直きつい日々が続いた。
「そもそも起業する必要があるのか?」と前提から考え直す時間もあった。固定観念を外してNPO団体、YouTuber、国会議員など0ベースで色々な選択肢を書き出した。一度発散させてから収束する過程では『繋げる』『スピード感』の軸を中心に自分の考えを整理していった。YouTuberや国会議員が分かりやすいかもしれない。あえて簡単ににまとめてしまうが、例えばYouTuberの影響力に異論の余地はないだろう。でも自分が死んだ後に繋がらない。死んだらチャンネルは終わりだ。国会議員に至っては2018年時点のデータで閣僚の平均年齢は62歳だ。極論いつ死ぬかわからない人生で、自分がハンズオンで物事を進めるまでに30年以上も待っている事はできない。

『自分はビジネスの世界で生きよう。Want toを軸として、ビジネスモデルは問題解決のアプローチを取る』 と決めた。
少しずつ方向性が見えてきたものの、まだフワフワしていた。
丸亀製麺を見た時の感動だけが心にずっと引っかかり、なぜそう感じたのか考える日々がずっと続いた。

2歩進んで1歩下がるような日々を半年ほど過ごし、ようやく『自分の属するコミュニティを自慢したい。』と言語化できた。
地元やサークルを「最高!」と盛り上がるマインドと変わらない。
コミュニティの最大範囲は自然と『日本人』と定義されていた。
母子家庭で寂しい思いや辛い思いをする事が多かった自分にとって、幼い頃から周囲の方やコミュニティとの関わりには人一倍敏感だったように思う。
さらに社会人になり自分が環境にどれだけ救われてきたか痛感する出来事が多く、それらの積み重ねで『自己の範囲が広がっていく感覚』が芽生えていた自分にとって違和感のない答えだった。

では、誰に何を自慢したいのか。
日本人が自国を自慢できる相手は海外で手段は『食』と決めた。
僕は何よりも食べる事が好きだ。
月曜日の朝に火曜日の朝食について母親に尋ねることも頻繁にあり、
「なんでまだ月曜日も始まってないのに、翌日のご飯の事を考えているんだ。」とよく笑われていた。自分は食べる事が好きだと自覚するようになってから余計に食べる事が好きになった気がする。
日本の外食産業は最高だと信じている。
どの指標を参照にするかは意見が分かれるだろうが、ミシュラン掲載店は12年連続で東京が世界No.1の店舗数を誇り、海外での日本食レストランの店舗数は右肩上がりで伸び続けている。どの店に入っても美味しい料理が当たり前のように出てくる。
そして訪日観光客の来日理由の上位に連なるのは歴史や自然そして食(食文化)の体験だった。

食文化は長い年月をかけ伝統と変化を繰り返し今日まで繋がれてきた。
最初は日本の食文化の特徴は『発酵』だと考え、1年間かけて全国の日本酒の酒蔵・醤油蔵・味噌蔵を回った。(猛烈な二日酔いで秩父の酒蔵を友達と巡ったり、片道4時間かけて岐阜の味噌蔵まで車を飛ばしたり、新幹線で宮城のジャパニーズウィスキー蒸留所を訪れた日々が懐かしい。笑)
そこで日本が何百年もの歳月をかけて受け継いできた伝統や職人技術の凄さを目の当たりにした。

同時に、もっと間近で手がけたプロダクトが顧客に届く瞬間を見たいと感じるようになり飲食店に興味を持つようになった。
寿司・焼肉は外国人に非常に人気なコンテンツだが、素材への「目利き力」が大事な領域は難しいと考え、同様に外国人に人気なラーメンに辿り着き、すぐに副業で短時間でも働ける店を探すために履歴書を送りまくった。そして唯一、下北沢のラーメン屋に拾って頂いた。
偶然にもそのお店は毎月500人前後の観光客が来店する店で、彼らに対して1年2ヶ月の間ラーメンを提供し、目の前で「Amazing!」と感動する彼らを見て、リクルートやITスタートアップでは感じる事ができなかった種類の楽しさを味わう事ができた。
詳細は割愛するが、去年の8月に仮説検証を兼ねて欧州に来た時に、テナントを構えるビジネスでスケールさせる事が難しい構造上の問題を学んだ。そこでデリバリー専門に決め、おにぎり専門からお弁当に舵を切った。

やりたい事を実現する手段として海外を選んだので、自分にとっては北海道も東京も大阪も福岡もアムステルダムも変わらない。そもそも海外移住願望があったわけではなく、訪日外国人は現状3,000万人で2030年の政府目標は6,000万人。世界の人口は266倍の80億人なのでシンプルに魚が多い池で釣りをしたいと考え海を渡っただけだ。
それでも踏ん張れているのは悔しさが理由の一つだ。
マックやケンタッキーが連日行列なのを見ると正直めちゃくちゃ悔しい。
日本にも世界に誇れるコンテンツがもっとあると確信しているから。
(わざわざ観光地で食べるか?とツッコミたくなるが、彼らが売っているのは、バーガーでもポテトでもなく、未知の旅先でも味の外れがない「安心感」だと思う。そこまで思わせる彼らのブランディングは凄まじい)

日本米・味噌・醤油など具体的な有形物だけでなく、日本食や弁当のような抽象的な無形物も間違いなく日本が世界にアピールできる食文化の形だ。
フランスでは10年前に、アメリカでは数年前に「Bento」が言語として正式に登録され、日本食レストランは毎年数万件ペースで増え、今では世界で15万店舗もある。だが日本人が経営に携わっている店は6%しかない。
日本人が経営に携わってない事が悪いというつもりは全くない。

でも、日本人の手で自国の誇りをもっと世界に発信できている世界があったらワクワクしないだろうか。
毎日2時に起きる生活も異国の地で100回以上拒絶された飛び込み営業も、やるべき事と捉えれば辛くない。最初の1歩は怖かったが、これは未知からくる感情であって、1歩踏み出してしまえば妄想よりひどくないことがわかる。

https://note.com/kind_wren6505/n/n3ee7b18e84e2

お客様からの注文も増え、日本食のポテンシャルを感じている。
何よりも『美味しい』と頂くメッセージやリピートをしてくれるお客様の笑顔が自分は好きだと気付かされた。
それと同時に、最後に2年前からずっと心に引っかかっている問いを残したい。

人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなく、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。生きることはあなたから何を期待しているだろうか。』

出典:『夜と霧』ヴィクトール・フランクル

日々この問いに向き合いながら、自分のやるべき事をやっていく。
日本人同士でいがみ合ったりしている場合じゃない。
今の豊かな日本、当たり前の日本があるのは全て先人のおかげだ。
わかりやすく世間からスポットライトと脚光を浴びるような職業だけじゃなく、文字通り全ての日本人のおかげだ。
そして今度は、自分たちにそれを後世に繋いでいく役割が来ているのではないだろうか。
僕は自分のできる事から考えて日本のために愚直に実行していく。

将来、具体のHowが変わる可能性も大いにある。
そもそも弁当屋をやりたいわけじゃない。あくまでHowだ。
自分は日本の誇りを後世に繋げたいだけだ。
その上で、自分の『やりたい』という意思、大きな見えない流れに背中を押されている感覚を信じ、今は目の前のやるべき事をやる。

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