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三国時代の終わりがスッキリしない理由

三国志は中国史の中でも好きな人は特に多いですよね。

三国志は日本でもゲーム化されており、このことから多くの人から人気を集めている物語(時代)だということがわかります。


数多くの英雄が登場してその後散っていく姿は、

日本の戦国時代や幕末にもひけをとりません。

しかし、三国志(三国時代)の終わりはスッキリしないという方は多いのではないでしょうか?自分もその一人であり、どうしてこうなったと叫びたくなるような展開がたくさんあります。

今から、そのスッキリしない理由について話したいと思います。



勝者があの3国の中からじゃない


今まで三国志と呼んでいましたが、三国志は歴史書であり、実際この歴史書の話となった時代は三国時代と一般的に呼ばれます。

200年以上続いた後漢が滅んだ後は、

曹操の息子である曹丕が初代皇帝となった国の、劉備が初代皇帝となった国の、孫権が初代皇帝となった国の

の3国が成立し、その子供・孫の代まで争っていました。

この話を聞くと、最終的にどの国が勝つんだろう~とワクワクするかもしれません。


しかし、その期待は見事に裏切られます。

結果は新しく司馬炎という人が晋(西晋)という国を建国し、最終的に天下統一を成し遂げます。

司馬炎の家である司馬家は祖父司馬懿の代から魏に仕えており、その息子の司馬昭のときに魏は蜀を滅ぼしました。司馬家はこのときからすでに魏の中で大きな権限を持っていました。

そして司馬昭の息子である司馬炎が魏の皇帝から無理やり、皇帝の位を譲ってもらい(禅譲)、自分が晋の初代皇帝となったことで魏は滅びます。

そしてできたばかりの国である晋はさっそく残りの国である呉を滅ぼそうと考えます。そして大軍を派遣して280年に呉を滅ぼしてしまいます。

こうして3国すべてが滅び晋という国が国内を統一しました。


正直この話に納得いかない方は多いと思います。

今まであの3国が頑張っていたのに、ぽっと出の国にすべて取られたという印象がかなりあるでしょう。

「でも晋がこれから安定した統治を行い、長期政権を築くんだろうからまぁいいか」

と思った方には大変残念なのですが、晋はこの後すぐ滅びます………


司馬炎の堕落

国内を統一した司馬炎はこの後、新しい法律を制定したりして安定した国を作ることに一生懸命になるのかと思いきや全くなりません。

司馬炎は国内統一後、政治へのやる気がなくなってしまい、

女遊びに走りまくり政治を全然しなくなってしまいました。

今でいう燃え尽き症候群になったのでしょう。

初代皇帝が全然政治に関心がない国は長持ちすると思いますか?

長持ちしないが答えです。

結局、すぐに皇族同士の争いである八王の乱が勃発し、その後異民族の台頭などにより国内を統一してから晋(西晋)は30年余りで滅びることになってしまいます。

その後司馬一族の人が地方に東晋を建国し、晋自体は復活するのですが、統一国家ではなく一地方政権へとなってしまいました。

西晋が滅びた後は異民族がそれぞれ自分たちの国を建国し、争う五胡十六国時代が到来します。


日本の戦国時代との違い

日本の戦国時代も長期にわたって大名同士が争い続けました。

しかし、最終的に徳川家康の下で江戸幕府が開かれ、徐々に争いはなくなり、250年以上にも及ぶ安定した長期政権を築くことに成功します。

今まで話してきたように三国時代の終わりはこれの逆であり、争いが静まった後にまた別の争いが出てくるという形になってしまい、なかなか中国大陸に平和は訪れませんでした。


終わりに

三国時代は数々の英雄たちが登場したのですが、世の中を平和にすることはできませんでした。

三国時代の終わりが納得いかない理由はまとめると

そもそも国内を統一したのが三国ではなく別の国の晋であること、そしてその晋があっさりと滅びてしまうという主に2点の理由からモヤモヤするというのが自分の結論です。

五胡十六国時代は三国時代よりも争いが激しくまさにカオスな状態でしたから、

三国時代の終焉とは平和の到来ではなく、さらなる戦乱の世の始まりになってしまったのです。


魏・蜀・呉の三国はそれぞれ何が足りなかったのでしょうか?

なぜ国内を統一できなかったのでしょうか?

今後の記事でそのことについても書こうと思っています。






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