格ゲーのランクマッチの弊害。グラマスでも嬉しくない
グラマスでもダメだと思う社会
これは、格ゲーだけの話ではない、社会の話である。はっきり言って平均年収より上であればとりあえず立派である。要はそういう話だ。
ネットに可視化された弊害
自分より稼いでる人を見るようになる、そうすると、自分は惨めに思える、それなりに努力もしている。もっと下のやつも見えるようになる、安心する。安心している自分を最低に思う。
ランクマッチでも同じ
グラマスはすごい。でも、上はいる、なぜなら彼は格闘ゲームに人生を全ベットしている。彼らのように、無心の勢いもなく、才能もない。その前において、グラマスなどちっぽけな称号に過ぎない。誰でもクリアできるゲームをクリアした感覚に陥る、それに何百時間もかけた自分は馬鹿なのではないか。でもグラマスはすごい。
褒めてくれる人が必要だ
些細なことでもいい、初心者でもいいのだ、割と簡単なコンボでも
自分にはできない、難しいコンボをやっていると褒めてほしい。それだけで頑張れる。
それがゲームセンターには存在した。
有名な大貫氏は過去に言っていた。昇龍拳を出せるだけでヒーローだったと。昇龍拳を打てるだけでヒーローなのだからグラマスは神である。ゲームセンターはたまにやってる人からガチ勢までいる。喜びや驚き、それが簡単に手に入るのがゲームセンターなのだ
オフコミュニティが必要だ
ただでできるような時代に一回一回金を払えとは言わない。仮にプロゲーマーのようにゲームセンターで何千千とやった場合10万単位で溶かされるそれを今更やれとは言えない。だからこそオフコミュニティが必要だ。対戦会でなくても良い。桜の季節は花見をしてもいいし、夏は海でバーベキューをしてもいい。ただ飲みたいときは、居酒屋で格ゲー談義に花を咲かせればいい。格ゲーのコミュニティなんて元来そんなもんである。プレーのみでつながる必要はない。それだから続くのだ。それを思い出してほしいと切に願う。
ランクマは修羅である
ただピラミッドの上を見続けるのはつらすぎる。ピラミッドだって最下層の人間がいるから、その人が真面目にやったから今日まで平然と立ち続けている。格ゲーも一緒なんだよ、弱いやつもいて格ゲーというピラミッドは続いている上を見るだけじゃなくて、あなたの横にいる人間と手を繋ぐ事ができれば幸せな事だとただ孤独な僕は強く思います。
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