運命。天命。座右の銘。
一時停止違反をして道路に飛び出してきた車のせいで、バイク事故にあった不運な知り合いがいた。咄嗟のことでブレーキをかける暇もなく、車にぶつかって前方へ身体が放り出されてしまったそうだ。目撃していた人は、死んだ、と思ったらしい。しかし、バイクに乗ってた知り合いは幼い頃から親の教育方針で不運にもやりたくもない柔道をやっていた。地面に叩きつけられる寸前、空中で身体を内側に回転させて見事な受身をとり、怪我は無くすぐに立ち上がった。もし柔道をやらされていなかったらどうなっていたか分からない。本当に死んでいたかもしれない。実際、バイクは修理できないほどダメージを受け、廃車になった。まさに不運の連続であるが、もし車が一時停止していたらどうなっていただろう? もし彼が柔道をやらされていなかったらどうだろう? 何も無かったかもしれないし、大怪我か亡くなっていたかもしれない。
もしものことを考えても意味は無いが、亡くなっていた場合それを運命と呼べるだろうか?
彼は不運にも柔道をやらされた人だった。彼は不運にも事故にあってしまった。不運と不運が重なって助かった。
運命という言葉を使うとしたら、俺は納得できない。
事故にあった彼は『運の命』だったのだと思えないからだ。
運命は人智や人力でいくらでも変えることができるんじゃないだろうか。
一方、天命はどうだろうか。
良くない例えだけど、地震や台風などの災害は人智や人力でどうにかできるものでは無い。
人間ではどうすることもできないことを『天の命』と言えるんじゃないだろうか?
俺は無神論者では無いと思う。たまに何かに縋る様に祈ることがあるからだ。
「座右の銘は何?」
と聞かれた時、最初に例で挙げたバイク事故にあった彼の事を考えて
「人間万事塞翁が馬」
と答えたことがあった。
今は少し違う。
松下幸之助さんの
「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」
が俺にはしっくりくる。