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タイパを無視して生きてやる

先日、知り合いのnoteでタイパという言葉について書いていて、僕も共感したので書いてみようと思う。

まず、僕はタイパという言葉を最近知り、

「できるだけ無駄をなくし、効率の良さを重視する」という理解でこの文章を書いている。

そのため、対して調べてもないので間違えていたらごめんなさい。

そのうえで

まず僕の意見、

タイパなんてくそくらえ!

失礼言葉が悪くなってしまったかもしれない。しかし、実際僕はそう思っている。

僕は、人生の豊かさはどれだけ無駄を楽しめるかだと思う。もちろん効率的に、物事を進めなくてはいけないこともあるだろう。けれど、そんな時でも心にゆとりを、無駄を受け入れる気持ちを持っておきたい。
心にゆとりがあるからこそ、人に優しくなれたり、いろいろな物事に能動的に取り組もうとすることができるのだと思う。

一見、無駄に見えることの中に人生の大切な何かがある気がする。それは言葉にできない何かだ。その何かが、大切な時に僕を支えてくれるし、好きな人とのつながりをもたらしてくれる。

僕は、物事に全力で取り組み、熱く生きたい。

けどそんな中でも、空を眺めてきれいだな~とぼーっとしたいし、好きな人と何をするわけでもないまったりとした幸せな時間を過ごしたい。

そこには、効率性なんで全く入る余地はない。

そんな時間が一番幸せだ。

今日は、タイパについて書いてみた。

けど、僕はまだ一番言いたいことを書いていない。

さて最後に最も大事で、本当はタイパを考慮してこの文章だけでよかったくらいだ。

さあ、満を持して僕の最も言いたかったことを書こうと思う。

このタイパについて書いた知り合いと友達になりたい。

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