僕は、小さいころから普通に生きてきた。 普通ってなんやねんって感じだけど。 普通に勉強をして、普通に運動をして、普通に友達を作った。 まぁまぁ楽しく過ごしていたのだけど、ある時思った。 あれっ、俺の好きなことって何?? 僕は素直な子だったので先生や両親の言っていることをそのまま受け取り、先生や両親が決めた路線の中で楽しんでいた。 もちろん、それはそれで素晴らしいことだ。 けれど、大学生になってほとんどのことは自分で決めるようになってから「今やってることって好き
僕は、4月から復学した。 やはり、復学してからもいろいろなことを考えてしんどくなってしまうこともある。 考えないようにしようとすることをすでに考えているという、考えすぎのマトリョーシカだ。 僕は考えすぎることがよくない方向に向かって言って自己嫌悪になったり人が怖くなったりして体調を崩した。 その時期、人はみんな怖いものだと思っていた。人の怒ったり悲しんだりしているのを見るとなぜか僕の胸もきゅっとなってしまっていた。 これは僕が善い人であるとか
僕は、今日から復学した。 去年の7月からうつ病になり、半年ぶりに登校した。 僕は、基本的に明るく見られる。 それが自分でも分かっているから暗い面を見せられず、しんどくなっていたのだろう。 もちろん明るい時が常に無理をしているわけではない。楽しい時の方が多い。 これからは、基本的には明るいけどたまにめっちゃ暗くなる時もありまっせと言っていこう。
僕のおじいちゃんとおばあちゃんはよくケンカする。 けど次の日には何もなかったようにふつうに接している。 今日もけんかをしていた。おじいちゃんがカギをなくしているので、帰ってきたら誰もおらず庭で一時間過ごしていた。 僕が帰ってきて開けてあげたのだが、実はおばあちゃんが一番奥の部屋で大正琴の練習をしていた。おばあちゃんは爆音で練習するので気付かなかったらしい。 そして、1か月くらいカギを作りに行っていないおじいちゃんが悪いのだが、きれいに逆切れをしていた。 そし
そんなこと「なんでやってるの??暇なの?」って聞かれたことがある。 うるせぇ。 好きだからやってるだけだ。こっちはもう人の顔見て自分のやりたいこと曲げるのやめたんだ。 俺にとって大したことがあんたにとって大したことじゃないこと。 俺にとって大したことことじゃないことがあんたにとって大したこと。 そんなことよくある。だから好きにやろう。お互い。 それで道が交わればそれは最高! 交わらなくとも、お互いいいねと思えたら最高! たと
まず、このタイトルは僕の好きな作家「朝井リョウ」さんの短編小説のタイトルである。この言葉が好きなので使わせていただく。 僕はいろいろなことを考える。 考えすぎて気を使いすぎてしまうことがよくある。 人が気にならないことが気になったり、その人の醸し出す雰囲気で怒っているのかなと思ったり。 あえて相手の気持ちを想像せず、傷つけてしまうことを強さだと勘違いしてみたり、人ごみの中だと考えちゃいすぎるから他人を遠ざけてみたり。 気を使いすぎる人は
先日、知り合いのnoteでタイパという言葉について書いていて、僕も共感したので書いてみようと思う。 まず、僕はタイパという言葉を最近知り、 「できるだけ無駄をなくし、効率の良さを重視する」という理解でこの文章を書いている。 そのため、対して調べてもないので間違えていたらごめんなさい。 そのうえで まず僕の意見、 タイパなんてくそくらえ! 失礼言葉が悪くなってしまったかもしれない。しかし、実際僕はそう思っている。
僕は、ぼーっとすることが人生で一番大切なのではないかと最近思ってきた。 生きることは大変だ。 毎日毎日何もしていなくとも過ぎ去っていく。 辛いことがあっても朝は明ける。 辛いことがあっても学校、仕事、家事、育児やらないといけない。 時々立ち止まりたくなる。まだ行かないで、僕はまだ受け入れられてないよ。 そんな時は、ぼーっとしみようと思う。 ただただ、ぼーっとして物事が過ぎていくのに耐える。 何か解決するわけじゃないけど、それでいいんじゃないかなと思う。 生