同級生は知らないだれか
「みーみちゃん、山本さん(仮)って同級生じゃなかった?」
友だちとお茶に来ています。
コーヒーをまぜまぜしている
高校からの友だちの口から
小学校の同級生の名前が出て戸惑いました。
「はぁ、まぁ、居たけど。」
「いいパパさんになってるよー。
娘同士がバレーのチームで仲良くなってね。」
「へぇ。」
「試合にも車出してくれるし、子煩悩で夫婦そろっていい人だよ。」
「いい人?」
わたしは山本とは中学卒業以来、会ったことがなかったし、もっと言えば名前を聞くのもいやでした。
山本は小学生のころは活発な少年でしたが、
口が悪くつまらない事を言って人を傷つける
そういう男の子でした。
中学に上がると眉をうっすく剃ってしまい、物にあたっては、見るもの見るものにメンチをきっていたあの山本が子煩悩…。
彼にどれほどの事が起こるとそんなふうに変わるのかを理解できず、本当に同一人物の事を言っているのか何度か確認したくらいでした。
小学生の時の事です。
みなさんも受けられたことがあるかと思いますが交通安全教室がありました。
警察が来られ、自転車の乗り方や正しいヘルメットの付け方など、全校生徒の前で実演されます。
プログラムには車と人形を衝突させ、衝撃の強さを伝えるというのもありました。
轢かれるのは人形だけど怖くて、
いやだなぁと思いながら三角座りで
おとなしく見ていました。
ドーーーン!!
大きな音を立てて人形は宙に吹き飛び、
校庭の砂にズザザッと打ちつけられました。
生徒たちは一斉にシーンと押し黙り、
疑似恐怖を目の当たりにしたことで
安全にしようと心を新たにし、
警察の思惑は成功したんだと思います。
それを見た山本がわたしの肩を
ツンツンとし、振り返るとこう言ったのです。
「あの人形、おまえの弟みたいやな。」
思わず倒れた人形を見ました。
起き上がるはずもなく砂ぼこりに横たわる
その人形は体格も小学校低学年くらいで
黒いランドセルを身に着けていました。
当時まだ低学年だった弟は体に合わないほど大きな黒いランドセルを重そうに背負って同じ地区のお兄ちゃんたちに手をひいてもらって登校していました。足元はまだおぼつかなかったですから。
山本がそんなふうに見えていたなら
「みたい」だったのかもしれないけど、
それをわたしに言うのは
ただむやみに傷つけるだけの言葉だと
思わなかったのだろうかと、
今になっても思うのです。
その日、わたしは誰にも見つからないように
こっそり泣いたのを覚えています。
山本の言葉なんか「またアホなこと言ってるわ」と一蹴してやりたかったのに、あの人形を見て強烈に悲しくて悔しくて不安になったのはわたしにも「みたい」に見えてしまったせいだと思ったから。かわいい弟が本当にあんなふうになったらどうしようと怖くて仕方なくなったのです。
翌日から山本とは距離を置くようになりました。
傷つく言葉をもう二度と聞きたくなく、そんな事を言うヤツと友だちでいる必要がなかったからです。
現在、弟は幸いなことに事故にあったこともなく、健やかに楽しく過ごしています。
わたしはあの言葉を生涯忘れることはないでしょうし、許すこともないでしょう。
ただひとつ、だいぶ譲歩してプラスに受けとめたとして、あの言葉が弟を守りたい私への警鐘となったんだとすれば、今、弟が健やかでいるという現実の一端を担ったと言えなくもないですけど。
山本がいいパパになったなんて風の噂でも
耳にフタでもしておきたかったのに。
人を傷つけても自分は上手く生きていく人っていますね。
そしていいパパになったあなたはもうわたしの知らない誰かなんでしょう。