深夜にクビになり、家出した話

「お前がやったんだろ」

それは唐突だった。
ある初夏の深夜、私は働いていたスタートアップ企業の社長からクビ宣告を受けた。
今までの優しい温厚な社長からは想像もできないような言葉使い。
その豹変っぷりにサイコパス味を感じ、自分はここにいるべきではないと悟り、荷物をまとめて始発で実家に帰った。


始まり

「うちで働かない?」
それも唐突だった。
2024年4月、大学を休学して自由な時間をゲットした私は、早速新しい仕事を見つけることになる。

それは、半年前に出会って心奪われていた女性起業家からのお誘い。
彼女は初めて会った時から他の大人とは違った。
他の起業家が私のビジョンに厳しく突っかかってきたあの時代、彼女は唯一私の話に耳を傾けてくれていた。

こんなお誘い、乗らないわけがない。
答えは「Yes」か「はい」か
それより他の選択はなかった。

移住

彼女はシェアハウスを持っていた。
恵比寿駅徒歩30秒の立地最高の雑居ビル。

スピード感が重視されるスタートアップ企業では、いかに早くコミュニケーションが取れるかが肝になる。
オンラインでも業務はできなくはないが、圧倒的に対面の方が進みが早い。

シェアハウスに住めば仕事もしやすいし、安く都内に住めるし最高じゃん?そんな理由から私は人生初の家出を決意し、恵比寿生活が始まった。

事業内容(今更)

ここで簡単に事業について説明しよう。
都合上、社名や具体的な事業内容は伏せるが、私の働いていた会社ではメンタルヘルスに特化したSNSアプリを提供している。
近年、X(旧Twitter)のようなSNSでがアンチが起こらないことはまずない。
以前までTwitterはネット民の居場所であり、大事なコミュニケーションツールであったのに対し、現在はそんな面影がほとんどない。
それに対して、本アプリは荒れにくい仕様になっており、SNSだけど安心して過ごせる居場所を提供している。

いざ業務開始

では一体どんな仕事を任されたのか
正直、具体的なことは何もお願いされていない。

なぜなら、私の仕事は、まず何をするべきか考えるところから始まったからである。
具体的には、社長と話し合った会社の中長期目標を素に、短期的目標を設定し、目標達成のためにPDCAを回し続けるという仕事。

幸運なことに、業務委託という形で契約しているメンバーとも遠隔でやり取りができた。
なので、方法によっては、私は一切業務に携わらず、指示出しをしてPDCAのサイクルを可視化することもできたのだ。

お分かりいただけただろうか。
この仕事がいかに抽象的な依頼であるかということを。
もし私がベテラン管理職人であったらこんな依頼お手のものかもしれない。
しかし職務経験は飲食店のアルバイトしかなかった私にとって、この依頼がいかに高難易度であったかということに、遅ればせながら辞めた今更ながらに気づく。
実際に行った業務については、別の投稿で細かく紹介しようと思う。

不穏な空気

働き始めてから1ヶ月半が経った。

サービスのリリースも終わり、せっかく落ち着いたことだし
てゆうかそもそも大学休学中だから、今までやりたくてもできなかったことやりたいな!
と思い、所属していたミュージカルサークルの夏公演に出演することを決意。
在学中は授業にバイトに遊びにで忙しすぎてそんな余裕もなかったが、3年間蓋をしていた「ミュージカルをやりたい!」という自分の直感に従ってオーディションを受けたらまさかの合格。
そこから毎晩稽古が始まった。
稽古を頑張る私はどうやら仕事に今までほどの熱意が感じられなかったらしい。
些細な打ち間違いや、伝達ミスをし、各所に迷惑をかけ始めてしまう。
社内のミーティングも理解できない内容が増えたが、それを聞くのも憚られていた。これはミュージカルの稽古と仕事を切り分けられなかった自分が悪いが、完全に社員と私の間に見えない溝が生まれてしまったのである。

涙の夜

6月16日
いつものように稽古から帰り、シェアハウスに帰ると、そこには代表・副代表・株主・始めましてのカップルがいた。
この日はあらかじめ副代表の方から話があると言われていたため、見知らぬ人がいるこのシチュエーションに少しびっくりしつつも、いつも通り豆腐に納豆キムチをかけて食べる私。
なんならその2日前にお店で食べた宮崎の冷汁が美味しかったので自作で作り置きしてたやつも食べた。
ここまではいつも通りだった。

「じゃあ始めよっか」
そう口火を切ったのは株主のTさん。
彼曰く、やはり最近の私はキャパってたらしい。
ミュージカルに専念するのは結構だが、だとしたら今までと同じ責任のある仕事は任せられないとのこと。
加えて、社会人未経験の私は業務委託でお金をいただけるほどのスキルも持っていない。
だからどうする〜?と、私に選択権があるような聞き方をしてくれたTさん。

「がまちゃんは嘘をついたり、都合悪いことを隠蔽する癖があるので、信用に欠ける。具体的に何を指しているかわかる?」
続いて啖呵を切ったのは温厚な副代表。
申し訳ないが、隠し事は何一つしたつもりはなかった。
しかし数日前、会社のGoogleアカウントのアクセス権限が私から社長に無断で切り替えられたらしい。
しかし、権限を無断で付与した覚えは全くない。
問題なのは権限を付与した事実ではなく、それを「知らない」とシラを切ったことらしい(本当に知らないのだが)。

「あ〜この会話聞いてらんねぇ。お前がやったんだろ。こっち証拠あるんだよ」
と代表が捲し立てた。
ここまで目がキマってる彼女を見るのは初めてで、恐怖を覚えた。
そこからの会話は正直あまり覚えていない。
ただ、私は相変わらず号泣し、彼女も目に涙を浮かべていた。

退居

早朝6時
私はキャリーケースを持って家を出た。
こうして2ヶ月半の恵比寿生活は終わりを告げた。
もちろんこのまま住み続けることもできたが、私はそんなに楽観的な方ではない。
毎日会社の人が出入りするオフィスでのうのうと暮らすことなんて私には考えられなかった。
重い荷物を手に、信頼できる友人に概要を伝えたところ、すぐに会いに来てくれるとのこと。
腫れた目を擦りながら溝口のジョナサンで大量のカロリーを摂取しながら彼女を待った。
彼女に一通り話したら今度は実家に戻った。
「スイカ塩かける派だっけ?」と超自由な母親が変わらずそこにはいた。
深くは聞いてこなかった(もはや興味ないんじゃないかレベルで)が、22年間そばで見守り続けてくれた彼女には言わずもがなだったのかもしれない。

自分のために朝から動いてくれる友人、いつでも受け入れてくれる家族がいるのは何にも変えられない財産だと思った。

学び

この2ヶ月半は、生活することと、1からお金を作り出すことの難しさを学べた期間であった。

恵比寿の物価は高すぎる。
いや、神奈川で一人暮らししたことがないので何とも言えないが、毎日冷蔵庫の中のものをいかに無駄にしないかを考えて生きていた。
卵の一つも無駄にはできない。
スーパーに行く時間は大体20時ごろ。なぜなら特別価格になっているから。
それに加えて家賃も払う。
あの立地を考えれば通常の半額以下で住ませてもらっていたが、それでも月々の出費が10万を超えることは当たり前で、友人との遊びも正直値段次第では渋い思いをした。

仕事は降ってこない。
これはどの企業でも同じことを謳っているが、レベルが違う。
降ってこないから、自分で掴みに行かないと、その日生きていけるだけの財産も得られないのだ。
企業に属している以上、仮に上から仕事が降ってこなかったとしても給与は平等に支払われる。しかしここは違う。
まずは会社全体の課題を具体化し、課題解決に必要な行動を細分化し、それを実行し、成功したらやっと「売上」という成果が出るのである。
私はラッキーなことに実行するまでで報酬がもらえたが、売上まで達成しないと報酬が得られない社員と隣で仕事をしているのは、心苦しいものがあった。

総じて、日本で暮らして最も濃い時間になったのは言うまでもない。
ただ、私はひとり時間を充実させるのが得意なタイプなので、人生における自由な時間や「ゆとり」は大事なのだと今回学ぶことができた。
また、複数のコミュニティに属してどこでも同じパフォーマンスをしようと思うとキャパオーバーになることも今回わかった。
従って、人生をフェーズごとに分け、決めた期間でやり切ることを意識して、新しいことに挑戦してみようと思う。


長くなりましたが、これが私の2ヶ月半のジャーニーです。
この経験は決して失敗ではない。むしろポジティブ。
自分のことをこんなにも理解するきっかけを与えてくれた代表、副代表、周囲の人たちには感謝でいっぱいです。
本当にありがとうございました。


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