喫茶チャイティーヨ エンディングA“標”
〇〇「ここか…」
夏フェス営業から数日、チャイティーヨの定休日である水曜日に、僕は奈々未さんの呼び出しに応じてとある撮影スタジオへ来ていた。
全く覚えのない場所への呼び出しに緊張しつつ、僕は携帯を操作。
〇〇『着きました』
奈々未『話は通してあるから、そのまま上がってきて』
迎えには来てくれないのか…。
オドオドしつつも、守衛さんに奈々未さんの名前とスタジオの番号を伝えると、あっさり受付をスルーして先へ進む。エレベーターに乗り、少し進むと目的のスタジオ前につく。意を決して扉を開いて中へ入る。現在も撮影の最中らしく、シャッターを切る音がスタジオ内に響いている。
恐る恐る奥へと入っていくと、奈々未さんがこちらに気づいて軽く手を挙げる。
正直ホッとする。
そちらへ向かいながら、何気なくなんの撮影なのかとカメラやスタッフさん達の視線を追う。
僕らはお互いに目を丸くして、お互いの顔を見る。
そこにはウェディングドレスに身を包んだ飛鳥さんがいて、何も知らされていない僕はもちろん、表情を見るに飛鳥さんにとっても僕の来訪は知らされていないことなんだろう。
スタッフ「はい、では休憩入りまーす」
タイミングよく、というか、このタイミングになるように呼び出し時間が決まっていたのか、スタッフさんが休憩を告げる声で、呆けていた僕はハッとする。対して、飛鳥さんは不服そうな顔で奈々未さんを睨みながらこっちへ歩いてきた。
飛鳥「今回は断っても随分粘ってくるなと思ったらそういうことか…」
奈々未「バレた笑」
飛鳥「まったく…!次から絶対断ってやる」
まるで現在の状況についていけない僕を放ったらかして、お二人は盛り上がっている。
奈々未「…夏フェスでは〇〇に随分助けられたからね。そのお礼ってことで」
〇〇「え?」
奈々未「今度やるブライダルフェアの広告につかう冊子があってね。飛鳥にそれのモデル頼んだの。
まぁ、結構渋ってたんだけどさ。これは〇〇にも見せてやらないとなって」
飛鳥「勝手に人をお礼の品にするのやめてくれる」
奈々未「まぁまぁ」
そっと奈々未さんは僕の耳元で囁く。
奈々未「かわいいでしょ?」
〇〇「えっ、あっ、はい!」
飛鳥「…こそこそ何話してるわけ?」
完全に思考が追いついていなくて、僕はさっきからずっと上の空だ。
スタッフ「橋本さーん」
奈々未「はーい。ちょっと行ってくる。再開までゆっくりしてて」
そう言って奈々未さんはスタッフさんの元へ。
飛鳥「……」
〇〇「……」
う、何故だか気まずい。
なんというか直視できないと言うか、見てもいいんだろうか…とか。
とにかく、何故か凄くソワソワしてしまう。
飛鳥「…ちょっと」
〇〇「あっ、はい…」
声をかけられて、僕は反射的にそちらを見る。
飛鳥さんはそっぽを向いてて、
飛鳥「…その、なんか、感想とかないわけ?」
〇〇「…え?」
僕史上最高に間抜けな返事だったと思う。
飛鳥「だから!見てなんとも思わないの?」
パッとこちらをみる飛鳥さんは、もしかしたら僕の勘違いかもしれないけれど、少しだけ恥ずかしそうに顔を赤くしていて。
僕は思わず行動しようとして、ぐっとこらえた。
あ、危な…。
僕今何しようとした…?
とにかく感想を述べよう。
考えすぎると混乱してしまう。
〇〇「あの…、えっと…、綺麗です。すごく、すごい綺麗です…」
…10秒前からやり直したい。
何で2回言ったの?
すごくすごいってなに?
恥ずかしすぎて飛鳥さんの顔が見れない。
飛鳥「ちょっと」
僕は恐る恐る顔をあげる。
どんな顔されてるんだろうか。
そんな不安をよそに、飛鳥さんはなんだかニヤニヤしていて。あー、本当に恥ずかしい。
ため息をついていると、急に飛鳥さんが僕の肩あたりをパチン!と叩く。
〇〇「痛ーい!」
いひひと笑う飛鳥さん。
奈々未「なにやってんの?」
〇〇「…なにやってるんでしょう」
飛鳥「はいはい、さっさと再開しよ」
スタスタとスタジオの中央へ戻っていく飛鳥さん。
そんなに僕のダサい受け答えが面白かったのか、機嫌が良さそう。
奈々未「…〇〇へのお礼って言ったけど、まぁ半分は飛鳥へのお礼でもあるよね」
〇〇「…?」
奈々未「あ、こっちは自覚がないんだった」
〇〇「…???」
奈々未「こっちの話」
撮影が再開され、僕は何かが吹っ切れたのか、ただただ飛鳥さんを眺める。
奈々未「…聞いたよ、今度のリフレッシュ休暇、2人で台湾だって?」
〇〇「あ、はい。相変わらずお休みの過ごし方がわかんなくて…」
奈々未「いい加減慣れなよ笑」
〇〇「ホントそうですよね笑 で、飛鳥さんは何するのかなって聞いてみたら、来るか?って」
奈々未「へぇ〜…」
何故か奈々未さんは嬉しそう。
奈々未「ま、せっかくだし、楽しんできなよ」
〇〇「はい。お土産買ってきますね」
奈々未「いいよそんな気使わなくて笑」
話してる間も、僕は飛鳥さんから目が離せなくて、今にして思えばちょっと失礼だったな、なんて思ったりする。
奈々未「…後で内緒でデータ送ってあげる」
〇〇「!?」
耳元で悪魔のささやきをする奈々未さん。
バレたら色々問題なんじゃないだろうか。
〜〜〜〜〜
〇〇「着きましたねー!」
飛鳥「元気だなぁ笑」
日本から飛行機に乗って4時間かからないほど。
桃園空港から電車に乗って約1時間。
僕らは台湾は台北市へと降り立った。
〇〇「聞いてた通りまだ暑いですね」
飛鳥「日本より暑いイメージあるなぁ。前に来た時も、秋でも夏っぽい気候だったし」
台湾に降り立ち、まずは腹ごしらえ。
昼食を取るためさっそく街を探索中。
〇〇「おぉ、海外ぽい!」
飛鳥「建築物の感じが違うってわけじゃないけど、この辺の地区は下町っぽくて、日本ではなかなか見ない風景だと思う」
あまり海外経験のない僕にとって、町中に日本語以外が溢れている光景はそれだけで新鮮だ。
異国の地に来たって雰囲気にわくわくする。
〇〇「当たり前ですけど漢字だらけですね」
飛鳥「そりゃね笑」
そこまで日本から遠く離れた場所ってわけじゃないけれど、不思議な気分になる。飛鳥さんと2人、日本ではない異国を旅してるなんて、数年前までの僕に言っても絶対信じないだろう。
飛鳥「行くよ」
〇〇「あ、はい!」
ついそんな事を考えてボーッとしてしまった。
もったいない!楽しまなくては!
〜〜〜〜〜
〇〇「本場の小籠包、美味しいですね」
飛鳥「日本にも店舗あるけど、まぁ定番所は本場でも押えたくなるんだよなぁ」
〇〇「麺も美味いですけど、なんか独特ですね」
飛鳥「香辛料じゃない?八角とか」
〇〇「あー、なるほど。ちょっと甘く感じるのはそのへんですね」
飛鳥「コンビニでお茶買うときは砂糖入ってるかどうかちゃんと見ないと痛い目見るぞ笑」
〇〇「えっ、砂糖入ってるんですか?」
飛鳥「物によってはね笑」
〇〇「へぇ~、気をつけよ笑」
飛鳥「まぁ、ちゃんと見れば避けれるから笑」
何気ない会話かもしれない。
他愛のない会話かもしれない。
それでも、そんな事がこの上なく楽しいと思う。
こんな日々がずっと続いたらなって思ってた。
けど、今はそれではダメだなと思ってる。
この日々は約束されたものじゃない。
ずっと続けたいのなら、行動しなくちゃいけない。
言葉にして、変化を起こさなくちゃいけない。
そのための勇気を持たなきゃいけない。
〜〜〜〜〜
〇〇「凄い人ですね〜」
飛鳥「有名な所だからなぁ〜」
〇〇「観光名所なんですね」
〇〇「色の使い方がやっぱり日本とは違いますね」
飛鳥「なんかカラフルな感じ?」
〇〇「そうですね、そんな感じです」
しかし本当に人が多い。
〇〇「飛鳥さん埋まっちゃいませんか?」
飛鳥「馬鹿にしてる?」
〇〇「してないですよ」
ごく自然に、僕は飛鳥さんに手を伸ばす。
ここ最近、僕は僕のコントロールが下手くそだ。
手を伸ばして、それからやっと気づく。
恥ずかしさとか、もし断られたらどうしようとか、そんな事を考える前に体が動いている。
良いことなのか、悪いことなのかは、今の僕には正直わからない。
それでも確かに、僕は変わりつつある。
今までとは違う僕に。
飛鳥「…へぇ」
それだけ言うと飛鳥さんは僕の手を取り歩き出す。
飛鳥「ボーッとしてるとおいてくぞ〜」
〇〇「ちょっと待ってくださいよ!」
スタスタ歩き始める飛鳥さんに引っ張られながら、僕も歩き出す。
〇〇「凄い細工ですね…」
飛鳥「こりゃ人も集まるわ」
〇〇「日本の神社仏閣ではあんまり見ないですよね?」
飛鳥「中国宮殿式廟宇建築…だっけ」
〇〇「…呪文?」
飛鳥「言いたいことはわからんでもない笑」
〇〇「すごっ」
飛鳥「これはここじゃなきゃそうは見れないだろうな」
未知なるもの、未だ触れたことのない文化。
そういった体験をできるっていうのは旅の醍醐味なのかもしれない。
それを大好きな人と一緒にって、こんなに楽しいんだなぁって。小さな手を握りながら、僕はそんな事を思ったりした。
〜〜〜〜〜
〇〇「うわー!」
飛鳥「急に来たなぁー!」
お寺を後にしてしばらく、街を歩いていると急に雲行きが怪しくなり、案の定すぐさま雨が降ってきた。
そんな大層な雨ではないのだけど、すぐ止むだろうとちょっとした軒先に避難する。
〇〇「雨宿りなんて久しぶりにします笑」
飛鳥「楽しそうね笑」
とても急な雨にやられて雨宿りしてるとは思えないテンションの僕に、飛鳥さんが笑う。
〇〇「なんか、何してても楽しいです笑」
心からそんな言葉が出てくる。
お世辞でも、社交辞令でも、何でもなく。
ホントにそう思う。
〇〇「デートってこんな感じなのかなって笑」
飛鳥「…こんな感じも何も、デートだからそうなんじゃない?」
たった一言で、世界が止まりでもしたのかってくらい、周りの全てが置いてけぼりになって。
しとしと降る雨の音だとか。
雨なんてお構いなしに走るスクーターの音だとか。
そんな街の喧騒が一瞬で聞こえなくなってしまう。
ただ見つめ合っているだけで、この世界に僕達しかいないんじゃないかってくらい、この人の事しか見えなくなってしまって。
場所とか時とか。
実際はそんなことは関係なくて。
僕はただこの人がいる所に居たい。
この先何があっても。
これからなにがどうなったとしても。
例えチャイティーヨがなくなったとしても。
この人と一緒に居たい。
僕はどうしようもなく、この人の事が好きだから。
飛鳥「…止んだ」
雲はまだもくもくと漂っているけれど、確かに雨はやんで。けど僕らはすぐには動き出さず、並んで空を見上げる。
どちらともなく手を握って。
少しずつ雨空が、曇天が、夕暮れに染まり始めて。
ようやく僕らはふと、我に返る。
飛鳥「ボーッとしてたらもったいない!」
〇〇「…そうですね笑」
飛鳥「行くよ」
〇〇「はい!」
雨上がりの少し蒸し蒸しとした空気の街を、僕らは歩く。暑さも湿気も関係ない。
握りあった手が汗ばむけど、不思議と恥ずかしさも、不快な感じもない。それがさも当然のように、ずっとそうだったかのように。
僕らはそのまま、次の目的地へと向かっていく。
〜〜〜〜〜
〇〇「異国どころか、異界感が凄い」
飛鳥「夜は特になぁ〜」
台北からバスに乗って1時間ほど。
僕らは日本人にも有名な観光名所にやってきた。
すっかりも日も落ちて、レトロで趣のあるこの山あいの街は、提灯を中心とした灯りに照らし出され、幻想的な雰囲気を醸し出している。
〇〇「しかし凄い人ですね〜」
飛鳥「ここはもうしょうがないでしょ。人気だし、道も狭いし」
確かに道幅は狭く、ほとんどが階段や坂道。
お世辞にも散策しやすいとは言い難い。
それでもここに沢山の観光客が集まるのも頷ける。
それだけなんとも形容し難い魅力的な風景がここにはある。
〇〇「うわぁ…、すごい」
多くのお店が軒を連ねる中、特に人気らしいお店は、店内はもちろん、この外観を写真に収めるべく、向かいの高台も人がわんさか集まっている。
〇〇「綺麗ですね…」
飛鳥「…ね」
なんとなく、飛鳥さんがよく海外旅行に行く理由がわかったような気もする。
飛鳥さんはこれまでも、年末年始など連休の時はよく海外に一人で旅に出ていて、年始の顔合わせではお土産と共に旅の話を聞かせてくれていた。
その時には比較的ヨーロッパ周りが多かったがするんだけど、今回はアジア圏。
〇〇「そう言えば、今回はアジアなんですね?」
飛鳥「ん?」
〇〇「普段のご旅行はヨーロッパ圏が多かったような気がして」
飛鳥「あぁ、慣れてないのにいきなり十数時間もフライトはしんどいでしょ」
……あれこの旅行って、もしかして僕が行くから台湾になった?
元々飛鳥さんが行く予定に乗っかる形じゃなくて、僕も行くならっていう形で改めて組まれてた?
〇〇「……」
飛鳥「どした?」
〇〇「あっ、いえ、なんでも」
申し訳ないと思う気持ちと同じくらい、いや、それをかなり超えて嬉しい気持ちが大きい。
わざわざ、考えてくれたんだなぁって。
〇〇「よかったら今度はミャンマー行きませんか? 本場のチャイティーヨ見てみたいですし」
飛鳥「本場のチャイティーヨは意味がわからん笑」
〇〇「飛鳥さんは行ったことあるんでしょ?」
飛鳥「そりゃあるよ笑 そもそも私半分ミャンマー人だから、半分故郷みたいなもんだし」
〇〇「…えっ!?」
飛鳥「えっ、なに」
〇〇「飛鳥さん、ハーフなんですか!?」
飛鳥「あれ、言ってなかったっけ?」
〇〇「言ってないですよ!」
飛鳥「…まぁ聞かれなかったし?」
〇〇「…まぁ聞いてないですね?」
飛鳥「……なんか問題になる?」
〇〇「いえ。まったく」
強いて言うなら、結婚して子供が出来たらクォーターになるのかぁ〜ぐらい?
と、想像して、本当に馬鹿なの?と思う。
なんて恥ずかしい妄想だろう。
正気なの?
本当に自分のコントロールがおかしい。
大暴走だ。
飛鳥「どうかした?」
〇〇「いえ、なんでも…」
飛鳥「ま、半分故郷なんて言ってもそんな何度も行ったことあるわけじゃないし、そっちで生活してたわけでもないし、ミャンマーの言葉が話せるわけでもないけどね」
顔面の熱さが気になりつつも、提灯の灯りが暖色だからバレないはず、と意を決して飛鳥さんを見る。
飛鳥「だから、いいよ。行こうか、チャイティーヨ見に」
〇〇「…はい!」
〜〜〜〜〜
帰りはタクシーを拾ってホテルへ。
なんだか色々あって、あっという間の1日だった。
けど、まだ終わりにしたくない。
というか、終わりにしてはいけない。
なぁなぁのままはダメだって、わかってるから。
また明日、また明日って引き伸ばしていると、何も変わらない。
変わらないものがあるって知って嬉しかった。
同時に変わっていくことも喜べたらいいと思った。
今は変えたいって思う関係性が確かにある。
『変えるために動かなきゃいけないと思いますよ』
だよね。
〇〇「あの、飛鳥さん…」
飛鳥「ん?」
チェックインを済ませて、隣同士の部屋の前まで来て、僕はなんとかそう絞り出した。
〇〇「もう少し話したいんですけど…」
飛鳥「……」
飛鳥さんは少し悩んだあと、
飛鳥「今からまた外出るのもアレだし、シャワー浴びて…1時間後、こっちの部屋来てくれる?」
〇〇「…わかりました」
飛鳥「じゃ、また後で」
自分の部屋に入って、荷物を置いて、急いでシャワーを浴びる。
少しでも考える時間が欲しい。
頭がパンクするんじゃないかってくらいずっとずっと考え続けているけれど、それでもギリギリまで整理する時間が欲しい。
何を言えばいいんだろう。
なんて言えばいいんだろう。
ずっとそればかり考える内に、考えた所でどうしようもないんじゃないかって思ったりもする。
今更カッコつけた所でつくようなもんでもないし、これまでどれだけかカッコ悪くて、どれだけ情けない姿を見せてきたと思ってるんだ。
出たトコ勝負なんて言う気はないけど、最低限伝えるべきことを伝えればいい。
結果がどうあれ、変えるために動くんだ。
〜〜〜〜〜
飛鳥「どぞ」
きっかり1時間後、僕は隣の部屋をノックする。
ちょこんと顔だけだした飛鳥さんが、僕の姿確認するとドアを開いて入室を促す。
今更になって、ホテルとは言え女性の部屋に入ってしまうのか…と、緊張感がみなぎってくる。
でも今はそれどころじゃないから…。
部屋に入るとカーテンと窓が開いていて、心地よい風が吹き込んでいる。
飛鳥「景色悪くないね」
そういえば考えるのに必死で、部屋の中とか外とか全然見てなかったな。
飛鳥「涼しいし、外で話すか」
〇〇「…はい」
ベランダに出て、外の空気を目一杯取り込む。
確かに悪くない。
めちゃくちゃ都会の、所謂百万ドルってやつには到底及ばないんだろうけども、このくらいが落ち着きもあって悪くない。
飛鳥「そんで、話って?」
〇〇「先に謝っておきます。支離滅裂になっちゃうかもしれないんで」
飛鳥「ん」
短い返事。
けど、それもありがたい。
〇〇「…あの日、まだオープン前のチャイティーヨの前で飛鳥さんに初めて会って、それ以来とにかくいろんなことが有って…。
それまでの僕は、誰かと何かをするってことをほとんど想像したことがなくて。
ただなんとなく学校に行って、なんとなくクラスメイトと話を合わせて、…孤独ではないけど、腹を割って話す間柄の友達なんてものはいなくって。
学校が終わったらとっとと帰ってギターを弾くか、バンドの動画見たり、音楽聴くばっかりの毎日で…。
とりあえず、高校に上がったらバイトをしようというのは決めてたんですけど、そこでもきっとなんとなく話を合わせて、のらりくらりやってくんだろうなって思ってたんです」
人との関わり合いを、変に難しく考えてた。
人と関わることはどこか面倒で、自分を曲げて、何かに迎合する事だと思ってた。
小学校から中学校に上がる頃くらいからか、男子達は自分のことを指す時、僕から俺に変わって行ったし、女子達は自分のことを指す時、名前から私へと変わっていって、いち早く一人称を変えた子達が、まだ変えていない子達をイジったりすることに違和感を感じたこと、今でも覚えてる。
なんで急に過去の自分を否定するんだろう。
それがさも正しいかのように。
なんか、ダサいなぁって思った。
今となってはそんな考えも十分ダサいと思うんだけど、当時の僕はそうだったんだからしょうがない。
〇〇「けど、チャイティーヨで働くようになって、考え方が結構変わったんです。人といるのも悪くないっていうか…。たぶん本当は誰かと、いや、そうじゃなくて、尊敬出来る誰かに出会いたかったんです」
自分の過去を否定する周りに、勝手にダサいなって失望して。音楽に傾倒して、そういう見ず知らずの、少し違う世界を生きる人達に憧れて。
付き合う人間を無意識に選んでた。
まったく大した傲慢だ。
〇〇「それがわかった時、自分がちゃんと見ていないだけで、周囲にもたくさん、尊敬できる人はいるんだって気づきました。そうやって、少しずつですけど、人といるのって、誰かと一緒にいるっていいなって思えたんです」
チャイティーヨで働いて、奈々未さんやさくらさん、美波さんと出会った。美月さん、祐希さん、史緒里さん。蓮加ちゃんや桃さん、麻衣さんやハマさん達とも。
みんな大好きな、尊敬する人達。
高2になって、意を決して軽音部に入ったけど、正直先輩はあんま尊敬できなくて。
それでも、設楽先生や、Buddiesで会った由依ちゃんや理佐ちゃん。天ちゃんに夏鈴ちゃん。
そして、アルノ、茉央、奈央。
尊敬できる人達に確かに会うことができた。
〇〇「けど、父親のことがあって、僕は怖くなっちゃって…」
生まれて一番最初に尊敬した人。
大好きで、憧れだった人。
離婚するだけなら、それはもうしょうがないことだって割り切れた。
形式上、僕らは家族でなくなったとしても、血の繋がりはなくならないし、変わることはないって。
けど、あの人は大切な人を裏切って、それを悪びれることのない人だった。
形式上、僕らは他人になったとしても、血の繋がりはなくならないし、変わることはないって。
そう思うと、恐ろしかった。
僕はいつか、大好きな、尊敬する人達を裏切ってしまうんじゃないかって、怖くなった。
そしていつか、大好きで、尊敬する人達から裏切られてしまうじゃないかって、怖くなった。
あれだけダサいと失望した周りと同じように、
僕は僕の過去を否定しなくちゃならなくなった。
そうしないと、僕は正気を保てないと思ったから。
〇〇「誰も裏切りたくなかったし、誰にも裏切られたくなかった。けど、自分を、あれだけ周りに迎合したくないってワガママを貫いてまで守ってきた僕自身を、裏切ることになりました」
空っぽになった、なんの当てもない自分は、これから何を標に生きていけばいいんだろうって。
〇〇「逃げて、逃げて。気づいたらチャイティーヨにいました」
裏切りたくない。
裏切られたくない。
だったら誰とも馴れ合わず、触れ合わず、一人孤独に生きればいい。
そう思いながら、僕はそこに向かってた。
〇〇「僕が気づいてないだけで、その時にはもう、僕の中に、当ては…、標はあったんです。
この人について行こう。
この人の背を追っていこうって」
だから僕はきっと、裏切る怖さも、裏切られる怖さも考えずに、この人を目指して走ったんだろう。
〇〇「あの日助けられて、救われて。
なんとか立ち上がるのに必死だった日々も、
一生懸命生きていれば、自分を変えていけるってわかりました」
そうやって日々を過ごす内に、また尊敬する人達との出会いがあって。
和ちゃんや咲月ちゃん。矢久保さん、林さん。
一度途切れてしまった天ちゃんと夏鈴ちゃんにも、もう一度会えたし、ひかるにも出会えた。
彩ちゃんも、今後は美波さんのお店にもお花やハーブを届けてくれるんだっけ。TAKAHIRO先生の言葉にも、勇気をもらったな。
〇〇「でもそうやって変わっていく日々の中で、変わんないものもあるんだって教えてもらったんです。
それが嬉しくって。でも、変わっていくことは決して悪いことでもなかった。僕自身そうだったから」
でも、今は。
〇〇「だから、今日伝えないといけないことがあります」
これからのために。
〇〇「ずっと、助けてくれて、見守ってくれて、導いてくれて…。僕の標でいてくれて、ありがとうございました…。貴女の背を追うのが、追ってるその時間が本当に楽しくて、幸せでした」
でも、このままではダメなんだ。
違う。
このままはイヤなんだ。
〇〇「…これからは貴女の背を追うんじゃなくて、隣に立ちたい。助けてもらうだけじゃなくて、貴女と助け合いたい。一緒に並んで生きていきたいです。」
貴女の隣に、違う誰かがいて欲しくない。
〇〇「どれだけ考えても、貴女と一緒にいない自分が想像できないんです」
そこは僕の居場所で。
そして、僕の隣が、貴女の居場所であってほしい。
〇〇「好きです。心から。
誰よりも、他の何よりも。貴女が好きです」
だから。
〇〇「貴女と一緒にいたいです。これからもずっと」
飛鳥さんは夜景を眺めていた目を、すっと閉じる。
後悔はしない。例えどういう結果になるにしろ、僕は僕の心に従って行動した。変えるために。
その結果起こる変化が、僕の望む変化じゃなかったとしても。
飛鳥「初めて〇〇に会った時、気に入らないなって思った」
僕はただ、静かに飛鳥さんの言葉を聞く。
飛鳥「誰にも嫌われないようにへらへら笑って、踏み込まれすぎないように軽薄に振る舞って。
そういう感じが気に入らなかった。
昔の自分を見てるみたいで…。
そのままにしてたら、それこそ自分を見捨てるみたいで気が引けた。そんくらいの気まぐれ」
少し自嘲するみたいに、飛鳥さんは笑う。
飛鳥「そうしてるうちにさ、当たり前だけど私と〇〇は違うんだってそう思うようになった。
それこそあの日、〇〇がチャイティーヨに助けを求めて来た日。あの日が〇〇にとっての分岐点だったよね…。私にとっての分岐点は〇〇ほど劇的なものじゃなかったから、助けてくれる誰かがいるってわかったら、すぐにでも考えを改めることは出来た…。
けど〇〇が受けた傷は深くて…」
なんで貴女が泣きそうになるんです…。
飛鳥「すぐにでも助けてやりたかった。
私がなにもかもから守ってやれるんなら、どんな傷でも癒せるんなら、すぐにでもそうしてやりたかったな…。けど、そうはいかないんだよね…。
その時に気づいたよ。私は〇〇の未来の可能性の一つでしかなくて、そのものではないって」
目に涙をこれでもかってくらい溜め込んで、飛鳥さんは続ける。
飛鳥「それからはもう、大変。
つい目で追っちゃったり、一人で解決しようとするのを見て心配したり…。和の大会見に行くなんて言い出した時は、いっそやめとけって言いそうになったり…。ほんとに自己嫌悪…」
ぐしぐしと目元をぬぐってこちらをみる。
飛鳥「アルノにおんなじ態度取ってるの見た時には、ホントにそんなとこは一緒なんかって苦笑いしたりね…笑」
口酸っぱく過保護って言われてたのはそれか…。
飛鳥「でもさ、バンド組んで、一緒にステージに立ってから、〇〇は確かに私とは違うって、明確に感じるようになった」
あの日から、確かに僕は少しずつ、ただ飛鳥さんの言うことに従うだけではなくなったかもしれない。
キャンプに天ちゃんと夏鈴ちゃんを連れてったり、
Buddiesでのイベントを受けた時も、見守ることに徹してくれた飛鳥さんに、助言を求めることはしなかった。
飛鳥「とうとう夏フェスでは、私が難色示した時も、〇〇はすぐに行動したでしょ?あの時、確信した。もう、こいつは私の助けがなくたって大丈夫だろうなって」
ニコリと素敵な笑顔で。
飛鳥「誇らしかった。
ほらみろ。お前はやりゃ出来んだろって。
けどさ…、同時に淋しくなっちゃった。
あ〜あ〜!もうこいつの世話焼いてやる必要ないのかー!ってさ」
ふっと、視線がまた夜景に戻る。
飛鳥「……そんな面倒くさいやつだよ?」
〇〇「…そんなトコも大好きです」
飛鳥「……口悪いし、陰気だよ?」
〇〇「僕も気取らずいられます」
飛鳥「…シュミ悪いんじゃない?」
〇〇「正直、女性の趣味だけは抜群だなと自負してます」
飛鳥「笑」
ひとしきり、飛鳥さんは笑って。
スタスタと僕のすぐ隣に並ぶ。
飛鳥「しゃーねーなー!」
そう言って僕を抱きしめた。
飛鳥「飛鳥ちゃんが一生、傍にいてやるかー!」
あぁ、もう我慢しなくていいんだなって。
僕はもう思いっきり飛鳥さんを抱きしめた。
飛鳥「ぐぅっ」
なんかカエルが潰れるみたいな音がした気がする。
次の瞬間には、僕の脇腹に鋭く拳が食い込んだ。
〇〇「ぐぇっ」
今度は僕がカエルが潰れたみたいな音を発した。
飛鳥「死ぬ!息できない!」
僕はそのまま膝をついて、笑う。
飛鳥「…どした?そんな効いた?」
〇〇「は〜…よかった。ホントによかった…」
どうしても涙が出てきてしまう。
最後まで本当にカッコがつかないなぁ…。
飛鳥「…ほら、そんなとこでうずくまってないで立った立った」
〇〇「…はい」
飛鳥「…ストップ」
〇〇「ん?」
中途半端な中腰で、ストップするよう声をかけられ、僕は戸惑いながら飛鳥さんを見る。
飛鳥「ん」
〇〇「!?」
すっと飛鳥さんの顔が近づき、唇に優しく、唇が重なった。
飛鳥「はい!そろそろ中はいろ!寒くなってきた」
〇〇「……」
飛鳥「…さっさとしないと締め出すけど」
〇〇「あ、ま、まってください!」
急いで僕も後を追い、部屋に入る。
飛鳥「あー、こんなことだったら部屋一つで良かったなぁ…」
〇〇「えっ…!?」
先程のキスを思い出してしまい、僕は一気に体温が上がってしまう。
子供が出来たらクォーターになるのかぁ〜ぐらい?
ボンッと音でもしたんじゃないかってぐらい頭に熱が上る。
飛鳥「…えろいこと考えてる?」
〇〇「かっ!考えてないです!」
もうほんとにどうしたらいいんだろう…。
〇〇「なんかどっと疲れました…」
部屋に戻って早く休もう。
幸せを感じる以上に、色々いっぱいいっぱいだ。
飛鳥「…〇〇」
〇〇「はい?」
飛鳥「おりゃ」
ドンッとわりと力強く突き飛ばされ、油断と疲労の重なった僕はいともあっさりベッドに転がされる。
〇〇「…飛鳥さ〜ん、もう危ないですから…」
そう言って起き上がろうとした僕に、飛鳥さんが覆いかぶさる。
飛鳥「ホントに、マジで、これっぽっちもえろいこと考えなかった?」
〇〇「ピェ…」
なんか変な声出た…。
〇〇「あの…、その…」
飛鳥「チッ」
軽く舌打ちのあと、飛鳥さんはやや乱暴に僕にキスをする。あの、なんていうか、ちょっと大人なやつをだ…。目が回るっていうのはこういうときにも使うんだろうか…。くらくらだ…。
飛鳥「…で?」
〇〇「…カ、カンガエマシタ」
飛鳥「よし」
〇〇「ア、アノ…、アスカサン…?」
飛鳥「……うるさい」
これ以上僕があーだこーだ言う前に、物理的に口を防ぐ飛鳥さん。しばらくの間、僕らはベッドの上で、これまで互いにどこか見ないようにしていたものを確かめ合った。
〜〜〜〜〜
数年後、喫茶チャイティーヨは僕の正社員雇用、アルノとひかるの卒業、姉妹店ビストロplumが軌道に乗ったことなどなどで、また新たな体制に移行しようとしていた。
〇〇「飛鳥ちゃーん」
飛鳥「ん?」
〇〇「これ仕入れてみてもいい?」
カウンターに座ってパソコンを操作する僕。
そんな僕の背中にピタッとくっついて、パソコンを覗き込む飛鳥ちゃん。
飛鳥「…たっか!なしなし」
〇〇「え〜、なんか面白そうじゃない?」
飛鳥「面白い基準で決めんな」
〇〇「うーん、でも新しい事始める時はなんだってそういうもんじゃない?」
飛鳥「だったら私だって入れたい豆あるんだけど」
〇〇「流石に1杯1万の珈琲は…。うちスペシャリティ珈琲の専門店じゃないよ?」
飛鳥「そっちもワンショット数千円取る酒入れようとしてるでしょ!」
美波「おはようございます!」
入口が開いて、美波さんが入ってくる。
〇〇「おはようございます!」
飛鳥「おはよ」
梅澤「…また昼間からいちゃついてる」
さくら「あ、おはようございます」
キッチンから出てきたさくらさんが、美波さんに挨拶。
美波「さくも大変だね〜。こんないちゃつき見せられて…」
さくら「う〜ん…、もう慣れちゃいました笑」
美波「…可哀想」
飛鳥「おい、人の事ディスってないで用件は?」
美波さんはおずおずと鞄から資料を取り出す。
美波「あの〜、おふたりの結婚式のお料理なんですけど…」
僕と飛鳥ちゃんはもうそれだけで大体見当がつく。
美波「もうちょっとだけ、予算上げれませんか…?もうそれそれはすごく豪華で美味しいものが出せるようになるんですけど!」
飛鳥「何回目だそれ! 人の結婚式で自分とこの料理の実験すんのやめろ!」
〇〇「まぁまぁ、飛鳥ちゃん。そんな怒んなくても…」
飛鳥「お前は誰の味方してんだ…?」
ぐぃーと僕の頬をひっぱる。
〇〇「僕はいつでも飛鳥ひゃんのみはただへど?」
飛鳥「わかってんならいいけど…」
美波「……」
さくら「……」
では、改めまして。
乃木駅から徒歩6分ほど。
カウンター5席、2名がけテーブル席2つ、
4名がけテーブル席1つ。
この春から定休日を日曜と月曜に変更。
12:00〜18:00までを喫茶チャイティーヨ。
19:00〜24:00までをBar風見鶏。
として営業してまいります。
これまでの夜喫茶同様、
珈琲にスイーツ、ご用意致しておりますので、今後とも変わらぬご贔屓をよろしくお願いいたします。
喫茶チャイティーヨ エンディングA“標” END.
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ライナーノーツ。
ひとまず、ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございます。
約5ヶ月ほど前書いた喫茶チャイティーヨPrologue。
それが巡り巡ってここまでやってきました。
チャイティーヨをきっかけに僕を知ってくれた方も多いですし、色々つながりを作ってくれたシリーズでした。まぁ、まだもう一つエンディングはあるんですけどね。
人を好きになることの難しさ、愛おしさが少しでも描けていればと願います。
この物語を読んで、何か感じることがあったなら、思うことがあったなら幸いです。よろしければ難しく考えず、言葉にしてくれたら嬉しく思います。
ではもう一本ぜひ、最後までお付き合いください。
よろしくお願いします。
シリーズ。
シリーズ本編