#9.55 私、起きる。
スマホのアラームが鳴り響き、私は目を覚ます。のそのそとスマホを手に取り、アラームを切って時間を確認する。
8:00
12th Birthday Liveも無事終了し、たんだけども、ありがたいことに日々のお仕事は変わらずパタパタ。今日はひさしぶりの午後からお仕事。なので、もう少し眠っていてもいいんだけど。
ふと目に入ったクローゼットと、その取っ手にかけられた服。そしてその前に無造作に積まれた服の山を見て、急に意識がハッキリとする。
井上:「やば!」
バッと飛び起きると、急いで顔を洗い、歯を磨く。
〇〇:「明日、仕事前にでもお茶でも奢ろうか」
昨晩の仕事帰り、〇〇さんからの急なお誘い。
まぁ、ライブがうまくいったら奢ってくださいと言ったのは私だし、断る理由も勿論無いのだけど、急なんだよなぁ。
事前にわかってれば、ちゃんと準備したのに。
美容院とか、新しい服とか。
おかげで帰ってきてから夜遅くまで、クローゼットをひっくり返す勢いで着る服探し。
いや、今更何をとは思うよ。それこそ毎日のように会ってるのに、今更オシャレな自分で会いたいなんて。
それでも、今日は、気合の入った私で会いたいんだ。
散々悩んだけど、少し大人っぽく見える落ち着いた服に決めた。暖かくなってきたけど、外ではジャケットも羽織ろう。
髪を巻くか悩んで、あまり派手にならないようにゆるめにしておく。
ギリギリまで悩みに悩んで、眼鏡をかけた。
井上:「よし!」
何とか時間には間に合いそう。
一層気合を入れて、私は家を飛び出した。
〜〜〜〜〜〜
〇〇:「おはよ」
井上:「…おはようございます」
いつも通りの社用車で、いつも通りのスーツで。そして、いつもの通りの感じで迎えに来てくれると思ってた。
〇〇:「ちょっとだらしなくてごめんな」
いつものセットされたオールバックではなく、多分、軽く整えてきたくらいの前髪のあるヘアスタイル。普段はしてない眼鏡。ネクタイも閉めていないシャツと、羽織っただけのジャケット。
意図せずリンクコーデっぽくなってしまった。
この人は本当にいつも急だから。
こっちがびっくりしてしまう。
〇〇:「乗りな〜」
井上:「あ、はい…」
ついボーッとしてしまって、声をかけられてハッとする。決意して来たのだけど、いざ行動するとなるとやっぱり緊張する。それでも私は意を決して、助手席に乗り込んだ。後ろに乗るよう言われるかもしれないけど、その時はその時だ。
〇〇:「行くよ〜」
あっさりと車は動き出して、拍子抜けする。なんだか変に空回りしてる気がして恥ずかしい。私が1人で緊張しているみたいで。
〇〇:「感想会、次の収録の時にしようか」
井上:「あ…、来れるんですか?」
〇〇:「うん、まだ確定じゃないけど」
井上:「みんな喜ぶと思います」
〇〇:「だといいね〜」
気のせいかもしれないけど、どこかいつもより口調が柔らかい気がする。寝起きってわけじゃないと思うけど。
〇〇:「はい、曲がりまーす」
井上:「はい」
〇〇:「はーい、パーキング止めまーす」
井上:「…はい」
なぜだか面白くなってきてしまって、ジワジワと笑いがこみ上げてくる。そんな実況する人だっけ。
〇〇:「はい、降りるよ〜」
井上:「はーい」
つられて返事も間延びしてしまう。
なんでだろ。
くだらないことが、なんだか楽しい。
〇〇:「ここ」
〇〇さんが指さしたのは、シンプルな外観の小さなカフェ。引き戸をガラガラと開けて、〇〇さんは店内に入っていく。
△△:「おはようございます」
〇〇:「おはようございます」
カウンターの向こうで、店員さんが挨拶する。
〇〇さんも同じ様に挨拶を返す。
△△:「今日はかわいらしいお連れ様とご一緒なんですね」
店員さんがこちらに視線を向けて言う。
〇〇:「でしょ?僕も会うたび可愛くてびっくりします」
普段はそんなこと言ってくれないくせに、こういう時はそんなサラッと言うんだ。
…直接言ってくれたら良いのに。
△△:「ですって」
店員さんがニコニコしながらこちらに言ってくる。なんだか照れ臭くなってしまって、どう返事していいかわからず私は無言で軽く会釈する。
〇〇:「好きなの選びな」
〇〇さんはショーケースを指さしながら言う。中にはマフィンやスコーンなどの焼き菓子が並んでる。
〇〇:「ポップのやつは売り切れ御免のスペシャルなやつ」
ショーケースの上の方に貼られた、手描きのイラスト付きポップ。
そこに気になる名前が書いてあった。
井上:「ビクトリアケーキ…」
△△:「イギリスのお菓子で、スポンジの間にクリームを挟んだサンドケーキですね。今は桜あんとバタークリームを挟んでます」
素敵な名前。桜あんというフレーズに、自然と同期と大好きな先輩の顔が浮かぶ。
井上:「…これがいいです」
△△:「はい、お飲み物はどうしますか?」
レジカウンターに置かれたドリンクメニューを覗き込む。
井上:「…ホットショコラをください」
△△:「はい。お兄さんはどうしますか?」
〇〇:「チャイラテとチーズケーキを」
△△:「はい、ありがとうございます。お会計----円ですね。お好きな席どうぞ」
〇〇:「奥行こうか」
お店の中はこじんまりとしていて、席の数も少なめ。流行りのスタイリッシュでオシャレな映えカフェというより、可愛らしいコーヒースタンドって感じがする。
〇〇:「ほい、座りな〜」
ベンチシートに、小さなテーブル。
その向かい側に小さな椅子。
〇〇さんはさっさと椅子側に座り、ベンチシートを指差す。〇〇さんのほうが大きいんだから、広い方に座れば良いのに。気遣いをありがたく受け取って、ベンチシートに腰掛けて店内を見回す。
先客のスーツ姿のお姉さんは、本を読みながらのんびりコーヒーを。
今入ってきたお子さん連れの方は、店員さんとおやつの相談中。お子さんもショーケース張り付いて、あれがいいこれがいいって楽しそうでかわいい。
〇〇:「なんかいいでしょ、ここ」
〇〇さんが嬉しそうに笑いながら言う。
井上:「…はい。なんかほっこりしますね」
ここにいる皆が、この場所が好きなんだなって分かる。過ごし方や訪れる目的は違っても、なんとなく皆がこの雰囲気や空気感に愛着を持ってるんだろうな。たぶん、眼の前にいるこの人も。
✕✕:「こんにちは。素敵なお連れ様ですね〜」
さっき対応してくれた店員さんとは別の方が、ケーキとドリンクを持ってきてくれた。
〇〇:「そうなんです。こうやって正面から見てると仕上がりすぎてて驚きます」
✕✕:「ベタ褒めですね〜」
店員さんが微笑ましそうに言ってくれるけど、私が恥ずかしくなってしまう。
✕✕:「お先にビクトリアケーキとホットショコラですね。チャイラテとチーズケーキもすぐお持ちしますね」
井上:「ありがとうございます」
〇〇:「先食べ始めな。その間ちょっとスケジュールとニュースだけ確認させてな」
日課なんよね。と関西弁混じりに、眼鏡のズレを直しながらスマホに目を落とす〇〇さん。
せっかくだし、ケーキ達の写真撮っておこうかなとスマホを構える。
すると〇〇さんは写真に写り込まないように、スーッと身体をずらした。
井上:「ブログとかメッセージに使わないんで大丈夫ですよ笑」
〇〇:「あぁそう? ついクセでね笑」
身体を元に戻して、〇〇さんは笑う。
なんとなく、テーブルの上を写すふりして、〇〇さんの写真を撮った。
冷静に考えるとなんのためか分かんないけど。
なんとなく。撮りたいなって思ったから。
✕✕:「はい、チャイラテとチーズケーキ、お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
〇〇:「ありがとうございます」
結局食べ始める前に〇〇さんのも来たので、一緒に食べ始めることにする。
〇〇・井上:「いただきます」
ケーキにフォークを差し込むと、ふわっというより、サクッとした感じ。
井上:「あっ…美味しい」
甘すぎず、素朴な優しい甘さ。
〇〇:「美味しいよね」
まるで自分が褒められたみたいに嬉しそうで、この人らしいなと思う。
でしょう?
僕も会うたび可愛くてびっくりします。
そうなんです。
こうやって正面から見てると仕上がりすぎてて驚きます。
あ、そうか。私が褒められたのが嬉しくて、あんなふうに言ったのかな。
だとしたら、なんか、誇らしいな。
井上:「よく来てるんですか?」
〇〇:「そうだね、常連を名乗ってもいいと思うよ」
チャイラテを傾けると、眼鏡が薄くくもる。
井上:「…眼鏡、珍しいですね」
〇〇:「普段はコンタクトしちゃうからね。ここまで眼鏡で、ここ出る時にはコンタクトして、ネクタイして、髪上げて、みんなを迎えに行くってのがルーティンみたいになっちゃってなぁ」
だらしなくてごめんな。って、また言って笑う。
2年一緒にいて、この人がどういう人なのか、まだまだ知らないことばっかり。
私達に向き合ってきたこの人は、私達のために色々気を使って接してくれてた姿で。
でも、今この瞬間は少しだけ、素の自分で向き合ってくれてるんだと思う。
俺、もう少し俺らしく皆と接しようと思うよ。
あの日言ってくれた言葉を、実行してくれてるんだと思う。気を使ってくれる事自体は本当にありがたいから、それは素直に受け取って。
でも、それでも、私は貴方らしい貴方を知りたいなって思うから。
もっと沢山、話がしたいな。
もっと沢山、顔がみたいな。
これからも沢山、貴方に見ていてほしいな。
これからも沢山、一緒に居られたらいいな。
〇〇:「まぁ、今月いっぱいで移転だから、しばらくこのルーティンともお別れだけど」
井上:「そうなんですか?」
〇〇:「うん。まぁ1ヶ月か2ヶ月くらい休んで再開予定らしいから、そんな悲しむことじゃないんだけど」
せっかく連れてきてもらったのになぁ。
✕✕:「お兄さん、すいません」
〇〇:「はい?」
店員さんがマジックペンが沢山刺さった筆入れを持ってやってくる。
✕✕:「良かったら扉にメッセージ、書いてもらえませんか?」
移転にあたって、常連さんからメッセージを募集してて…と、店員さん。
✕✕:「良かったら、お連れ様も」
井上:「…いいんですか?」
私は初めて来たのに。
✕✕:「未来の常連様かもしれないので」
と、ニコニコして言ってくれる。
〇〇:「よし、書こうか」
井上:「…はい!」
そう言ってもらえるなら、書かせてもらおう。
一度お店の外に出て、改めて扉を眺めると確かに手書きのメッセージがそこら中に書いてある。
〇〇さんと2人、扉前にしゃがみこんでメッセージを眺める姿は、端な傍から見るとシュールな光景だと思う。
ふと同じところにあるメッセージを見ようとして、肩が触れ合った。
〇〇:「あ、ごめんね」
頭の直ぐ側で〇〇さんの声が聞こえて、ドキリとする。肩が触れ合ってドキドキして、なんて今時少女漫画でもあんまり見ない。
そんな時間がむず痒くて、でも、嬉しくて。
“いつもありがとうございます。また来ます”
と書いた〇〇さんのメッセージに、
“←また連れてきてもらいます”
って、くっつけた。
〜〜〜〜〜〜
〇〇:「よし、行こうか」
お手洗いから出てきた〇〇さんは、眼鏡を外して、髪もオールバックにして、ネクタイをした、いつものお仕事モード。
井上:「はい」
その姿にホッとするような、残念なような。
〇〇:「ごちそうさまです」
井上:「ごちそうさまでした」
△△:「はい、いってらっしゃいませ」
にこやかに見送ってもらって、パーキングへ。
〇〇:「陽が出てきたから後ろ乗りな」
井上:「う…」
何食わぬ顔して助手席に乗ろうと思っていたのに先を越されてしまった。渋々後部座席に乗り込んでシートベルトを締める。
〇〇:「ありがとね、付き合ってくれて」
井上:「…いや、私が奢ってくださいってお願いしたから」
〇〇:「それでも、嬉しかったから」
私も嬉しかったです。
だから、
井上:「…また行きましょうよ。移転する前に。気になるお菓子もいっぱいあるし…」
お菓子は日替わりだから変わるよ、とか。
メンバーと行きなよ、とか。
なんか理由つけてスルーされちゃうかな。
もうお仕事モードみたいだし。
〇〇:「……じゃあまた“和”に付き合ってもらおうかな」
ホントに、この人はいつも急だから。
ずるいなって思う。
でも、やっぱり、名前を呼んでもらえて嬉しいなって、すごく思うから。
だから、
きっと、
私はこの人のことが
〜〜〜〜〜〜
〇〇:「着きましたよ〜」
井上:「……あれ」
どこかの、と言うかよく見れば見慣れた建物の入口。今日の現場。
〇〇:「よく寝てたね」
どのタイミングで寝ちゃってたんだろう。
すごくもったいないことをしたかもしれない。
〇〇:「バスラ終わっても、中々ゆっくりする時間なかったもんな」
井上:「すいません。ありがとうございます」
奢ってもらって、更に送迎までしてもらってるのに寝ちゃうとは…。
〇〇:「…そのうち5期が集まれる時に、少し話するよ。俺のこととか、呼び方のこととか」
車から出ようとドアに手をかけた私に、〇〇さんが言う。
〇〇:「その時は……和もちょっと手伝ってな」
照れくさそうに言う〇〇さんを見て、一歩踏み出してよかったなって思う。
確かに一歩、距離を縮められたって思うから。
頼ってもらえることが、嬉しいなって思うから。
〇〇:「任せてください」
この人が隣にいれば、今日も自分らしく、笑顔でそう言える。
私、起きる。 END…
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