1.5IF アイドル。
齋藤「私は明日で卒業…?いや、今日で卒業なので明日からは恋とかもするかもしれませんね!」
会場のファンが、え〜〜っ!?とどよめく。
齋藤「お前らの誰かの嫁が、飛鳥になるかもしれませんね!」
彼女は笑いながらそう言う。
途端、沸きに沸く東京ドーム。
舞台裏で俺も、居並ぶメンバーも笑う。
齋藤「俺の嫁ですね!」
最後まで、彼女らしいような。
俺達が思う、齋藤飛鳥らしさのまま。
齋藤「じゃあ!さよなら!」
彼女はアイドルという世界から卒業した。
約12年。
順風満帆ではなかった。らしい。
というのも、俺がこの会社に入った頃には、既に彼女は何度かセンターを経験していたし、なんなら俺が入社して初めて発売されたシングルのセンターも彼女だった。
だから葛藤する、苦悩する彼女を、俺は映像の中でしか知らない。最年少で、甘えん坊の末っ子で、自分のキャラ付けに悩む彼女を、俺は直接この目では見ていない。
そんな俺がこんな事を口にするのは、何と言うか烏滸がましいと言うか、生意気かもしれないけれど、その在り方が、その距離感が、尊敬する、憧れの人って感じなんだと思う。
〜〜〜〜〜
齋藤「…ねぇ、ちょっと聞いていい?」
〇〇「なんです、珍しいですね…」
卒業コンサートを控え、定期的に顔を合わせる機会もずいぶんと減ったある日。打ち合わせの場で久しぶりに顔を合わせた飛鳥ちゃんに声をかけられた。
齋藤「…推しの子って知ってる?」
〇〇「ええ…、漫画の…ですよね?」
齋藤「うん、アニメもやってるけど」
〇〇「はい、知ってますけど…」
齋藤「…こっからは他言無用にしてほしいんだけど」
〇〇「言うなと言うなら、言いませんよ」
齋藤「…実写版の企画が動いてて、アイ役やらないかってオファーが来てる」
〇〇「えっ!?」
齋藤「声でかい」
〇〇「あ、すんません…」
なかなかどうしてビッグニュースじゃないだろうか。普通なら喜ぶところだろう。
ただ、オファーを受けた本人は微妙な顔だ。
齋藤「…正直悩んでる」
〇〇「……」
俺は急かすことなく、彼女の言葉を待つ。
齋藤「オファー受けてから、アニメの1話見てみたり、原作読ませてもらったんだけど…、正直荷が重いなぁって」
〇〇「…完璧で究極のアイドルですもんね」
齋藤「…そ」
自身がアイドルを経験しているからこそ。
そこにある苦悩や葛藤、ままならなさを知ってるからこそ。
完璧で究極のアイドル。それを演じること、引き受けることの重圧が想像できる。
齋藤「実際受けて、制作が進んで、公開される頃には私はアイドル卒業してるしね。こんだけ準備してもらって、送り出してもらったのに、またアイドルやってるとこ見せるってのもなぁ…」
そしてなにより。
齋藤「私じゃないと思うんだよなぁ」
〇〇「言うと思いました笑」
齋藤「なぁんだよ笑」
笑ってんじゃねーとでも言いたげに、俺の腕を叩く。懐かしい感じがする。
まだ会う頻度が減ったってだけなのに。
彼女は王道の、所謂いつもニコニコ、キラキラしているタイプのアイドルではない。
誰にでも分け隔てなく愛を振りまいて、カワイイを見せつけていくタイプではないのかもしれない。
齋藤「いろんな人に相談してんだけど、やったほうがいいって人も、止めたほうがいいって人も、半々くらいなんだよね」
〇〇「それで俺にもってわけですか」
齋藤「そういうこと…」
たぶん、そんな身構えることではないと思う。
まぁ、ついでだし、コイツにも聞いとくか。
そんくらいのことだと思う。
けど…。
〇〇「……」
齋藤「そんな悩む?笑」
〇〇「…いや、わかってるんですよ?そんな悩むことじゃないって」
けど…。
〇〇「…悩みますよ」
齋藤「…なんで?別に担当でもないじゃん」
〇〇「…まぁ、そうなんですけど」
そりゃそうなんだけど。
別に俺がどっちの答えを出そうとも、それによって飛鳥ちゃんがオファーを受けるかどうかに影響なんてないんだろうけど。
尊敬する人からされる相談なら、真剣に考えたい。
〇〇「…受けるのは、リスキーかなって思います」
齋藤「……」
飛鳥ちゃんは何も言わず、ただ俺の言葉の続きを待っている。
〇〇「…アニメや漫画の実写はそもそも凄いハードルが高いですし、尚且つ公式で“完璧で究極のアイドル”ですからね…」
正直、誰がやったって原作ファンから叩かれるのは想像に難くない。
だって彼女は、
星野アイは、金輪際現れない者だから。
星野アイ以外、星野アイたり得ないのだから。
齋藤「そっか…」
〇〇「…はい」
これでいい。
なにもそんなリスクに飛び込まなくていい。
これから飛鳥ちゃんは、多忙なアイドルを卒業して、少しゆっくりして、これからの生き方を考える時間を取っていい。
取っていいのに。
〇〇「…あの」
齋藤「ん?」
〇〇「……こっからは、その…」
齋藤「なに?」
〇〇「……ただのファンの意見みたいに受け取ってもらえます?」
齋藤「何その予防線?笑」
〇〇「あー、その、なんというか、1スタッフとしてはこう非合理と言うか何と言うか…」
齋藤「あー、はいはい。分かったから」
結局黙ってられなくて、変に前置きして話し始めることになってしまった。
〇〇「…その、ファンは、嬉しいと思います。どれだけ盛大に送り出しても、あり得ないけど、悔いなく心残りなく、卒業を見届けても、またアイドルをやる飛鳥ちゃんが見れるのは」
齋藤「……」
〇〇「…それに、アイは、ファンを喜ばせること…。ファンへの“愛”として“嘘”を付きますよね」
齋藤「うん」
〇〇「…飛鳥ちゃんも、時々、本当の飛鳥ちゃん以上に、“齋藤飛鳥”になる時がありますよね」
齋藤「……」
それを俺は“嘘”だとは捉えていない。
でも、俺はそれをファンへの“愛”と捉えている。
期待に応えたいから。
ファンに喜んでほしいから。
求められる自分の一部分をフォーカスして見せる。
それはやはり“愛”なんじゃないかと思う。
〇〇「あと…、“アイドル星野アイ”を演じるのなら飛鳥ちゃんじゃないのかもしれませんけど、人としての、“アイドル星野アイ”という嘘を貫く一人の人間、星野アイなら…アリなんじゃないかなって」
かつて、かわいいものが好きでなきゃいけない。
誰かと被ってもいけないと、理想的なアイドルを目指そうとして、悩み、貫けなかった彼女。
そんな彼女が、完璧で究極のアイドルという嘘を貫く彼女を演じるなら…。
〇〇「…見てみたくもあります。齋藤飛鳥の演じる、星野アイ」
他人の目気にせずに、気まぐれで。
いつも君に振り回されて、あきれたり、疲れたり、
それでも君に…。
飛鳥ちゃんが初めてセンターを務めた楽曲の歌詞。
それこそ初めて聴いた時、ぴったりだなって。
けど、今は少し印象が違っても聴こえる。
これは俺達が見る齋藤飛鳥であって、
本当の齋藤飛鳥は、他人からどう見られているかを注意深く観察していて、どんな自分が求められているかに聡い人だから。
ただ気まぐれな君に振り回されて、あきれたり、疲れたりしながら、それでも君を想っていたい。
そんな期待に応えてくれている姿なんだって。
期待に応えることを、
期待する人達への愛とするならば。
期待される自分になることを、
期待する人達への嘘だとするならば。
意図はわかる。
彼女が、彼女に選ばれた理由が。
齋藤「そっか」
〇〇「はい…」
齋藤「……なんかキモい笑」
〇〇「え〜!?」
許されるなら、今すぐ新喜劇ばりにズッコケたい。
〇〇「自分が聞いたんじゃないですか!」
齋藤「いや、そうなんだけどなんか熱くて…笑」
真剣に答えたのが恥ずかしくなる。
齋藤「ま、参考にはなった」
〇〇「…それは良かったです」
齋藤「…じゃ、また」
〇〇「はい…。お疲れ様でした」
それから数日後、担当のマネージャーさんを経由して届いた連絡は
齋藤『例の件は、申し訳ないけれど丁重にお断りしました』
それそれはそれで、齋藤飛鳥らしいな。
そう思った。
〜〜〜〜〜
卒コンも無事おわり、年が明けて2024年。
1月の終わり頃。
実写版推しの子のキャストが発表された。
そこには星野アイ役として齋藤飛鳥の名前があり俺はそれはそれは、びっくりした。
卒業を期に、飛鳥ちゃんとは連絡取っていなかったし、というかそもそも私用の連絡先を知らないし、この件を確かめることはなかった。
…わざわざマネージャーさんを経由して聞くのもなんか違う気がしたし、担当している5期生のスケジュールも、有り難いことに日々密度を増し、そこに思考を割く余裕も、いつの間にか多忙な日々に埋没していった。
転機が訪れたのは12thバスラも近づいたある日。
飛鳥ちゃんが近くのスタジオでの雑誌撮影終了後、顔を出してくれて、なぜか連絡先を交換することになった。
その日は俺の相談に乗ってもらい、それからは梅さんを交えてのチートデイなど、少しずつプライベートでお話する機会を得た。
とはいえ、別にくだんの件を問うこともなく、記憶の彼方へと消え去っていた。
その件を思い出したのは、実際作品が配信され始める頃、彼女が受けたインタビューを読んだ時。
そこにはオファーを一度断ったこと、再度オファーを受けた時、プロデューサーの「ひとりの人間としてのアイの心の動きや暗い一面もしっかり描きたい」という言葉が腑に落ちたという言葉。
それはアイドル時代のスタッフの一人に、このオファーを受けるかどうか相談した時、似た言葉を言われたのが、心に残っていたから。
そんなインタビュー記事。
何を意識したわけでもない。
けど、自然と俺はスマホを手にしていて、彼女にLINEを飛ばしていた。
〇〇『インタビュー、拝見しました』
単純に、事実を述べた。
齋藤『バレたか』
バレたって言い方よ。
齋藤『近々時間取れる? 黙ってたことも含めて、話したいことあるし』
〇〇『勿論です』
齋藤『ん。飛鳥ちゃんが奢ってやろう』
〇〇『いいですよ、そんなの笑』
齋藤『私のほうが稼いでるし』
それを言われちゃぐうの音も出ない。
〜〜〜〜〜
齋藤「よ」
〇〇「どうも」
呼び出されたのはなんてことのない町中華屋。
飛鳥ちゃんは大きめの帽子に髪を入れて、大きめの眼鏡をかけている。
〇〇「ちょっと意外でした」
齋藤「何が?」
〇〇「もうちょっとカタいお店に呼ばれるかと」
齋藤「そういう方が良かった?」
〇〇「いえ、緊張するんで笑」
齋藤「あっそ笑」
食べたいものをざっと注文して、運ばれてきた瓶ビールをグラスに注いで乾杯する。
〇〇「お疲れ様です」
齋藤「お疲れ」
グラスを合わせて、ぐいと傾ける。
齋藤「最近は?大体歌番組?」
〇〇「そうですね…。今年も紅白決まりましたし」
齋藤「そうだった」
〇〇「飛鳥ちゃんは、年末年始どうするんです?」
齋藤「ど〜すっかな〜」
運ばれてきた餃子や豆もやしのナムルをつつきながら、飛鳥ちゃんは視線を彷徨わせる。
〇〇「紅白出ます?」
齋藤「なんでだよ笑」
〇〇「ほらvaundyさん出るし、風神歌われるなら踊れるじゃないですか笑」
齋藤「ヤダ!笑」
〇〇「みんな喜ぶのに笑」
齋藤「絶対嘘だ笑」
〇〇「なんで嘘になるんですか笑」
くすくすと笑って、餃子を食べて、ビールを流し込んで、飛鳥ちゃんは少し言い出し辛そうにしながら、切り出した。
齋藤「バスラ直前にさ、顔出したでしょ?」
〇〇「…ええ、あの日ですね」
5期生の子達との距離感に悩んでいた俺。
もう少し自分らしくやればいいと言ってくれた飛鳥ちゃん。
齋藤「…ちょうどその頃がね、推しの子の撮影が終わった所だった」
〇〇「そうでしたか…」
何かのインタビュー記事で読んだ気がする。撮影は去年の11月から、今年の3月くらいまでだったって。
齋藤「…撮影が終わって、色々反芻してたらさ、なーんか思い出すんだよね」
〇〇「何をです?」
齋藤「……見てみたくもあります。齋藤飛鳥の演じる、星野アイ」
〇〇「……」
ドキリとする。
そんな、大きな意味を込めたつもりはなかった。
ただ一個人として、思ったことを伝えただけだ。
齋藤「〇〇はさ…。なんで私の事を知ってて…、私が時々“齋藤飛鳥”になることを知ってて、尊敬したり憧れたりすんの?」
そこに込められた意味を、本当の意味で理解出来ているかはわからない。
齋藤「星野アイを調べて、考えて、解釈して、演じて。色々思った。そんでちょっと、怖くなった」
〇〇「怖い?」
齋藤「アイは、完璧で究極のアイドルっていう“嘘”を死ぬまで突き通して、たくさんのファンに愛されたけど、本当の意味で“星野アイ”を愛してた人って、どんぐらいいたんだろうなって」
〇〇「……」
齋藤「誰かもっと、アイを愛してあげてほしかったなって」
いつか“嘘”が本当になる日を願って。
アイ自身は最後の最後、自らの子を確かに愛していたと思う。そして子らもまた、彼女を愛していたかもしれない。
でも多分、多くの人は彼女の“嘘”を愛してた。
それは彼女がそう仕向けたものであり、自業自得と言ってしまえばそれまでなのだけど。
愛し愛されるのに、“嘘”は必要なのかもしれない。
けど、その結果愛し愛されるのは誰なんだろう。
“嘘”を愛することは、本当に“愛”なんだろうか。
齋藤「…それで、私はどうなんだろうって思った。
26年間、私はずっと嘘をつき続けてきたから」
嘘と言うのは言葉が強い気がするけれど。
齋藤「こうなろうとか、こうあろうとか。そういう自分のキャラクターに対する気持ちはずっと強かったし。人から求められてる姿に寄せて、喜んでもらえることは素直に嬉しかったから、別にそれを後悔してるとかじゃないけど、本当の私と期待してた私とのギャップに、ファンの皆はがっかりすることもあったんじゃないかな。
…これからもきっと、私は嘘をついていくと思う。
けど、たぶん、私はアイほどそれを貫き続けることは出来ないだろうなって。…その時、誰かを失望させちゃわないか。それだけが、不安」
〇〇「飛鳥ちゃん」
齋藤「ん?」
〇〇「これはもう、スタッフだとかファンの一人とかじゃなくて。…もう、俺個人の考えというか、想いに過ぎないんですが」
総意ではない。
ただ、俺という、一人の人間の意見だ。
〇〇「裏表も、ぶりっ子も、キャラクターも、いいんじゃないですか?
それは、今目の前にいる誰かに対するその人のサービスというか、努力じゃないですか。
その人に喜んでほしい、その人に可愛いと思ってほしいから、その人に好かれたいから、その人によく思ってほしいから。そのためにする努力だと、俺は思います。だからいいことなんじゃないですか?」
包み隠さず。言ってしまおう。
〇〇「好かれるためにそう振る舞った。そんな風に言われたら、それこそイチコロなんで、裏も表も見せてくれたら、言うことないですけどね笑」
それが本音。
そう言われて嬉しくない男がいるだろうか。
自分に好きになってほしいから、似合わなくても、頑張ってでも、可愛くあろうとか。
無理しなくていい。
そう言いたくなることはあったにしても、好かれたいから努力したなんて言われて、嬉しくないわけないと、俺は思う。
齋藤「……語ったなぁ〜」
〇〇「ホントにヒドい笑」
齋藤「別に悪いとは言ってないじゃん笑」
〇〇「良いとも言ってないですね?」
齋藤「屁理屈だなぁ…」
〇〇「ラーメン追加しますからね…」
齋藤「食え食え」
〇〇「まったく…」
齋藤「…今度舞台挨拶があんだけど、来れたりする?」
〇〇「日にもよりますけど、なんとか都合つけれないか、頑張ってみますよ」
そこからはとりとめなく、ただ他愛のない話をしながら、俺達はラーメンを啜った。
〜〜〜〜〜
齋藤「嘘をついてきているなと。毎日、日常的に、常に嘘をついていますので、あえて言うほどでもないくらい」
前夜祭と銘打たれた舞台挨拶の壇上。
最近ついた嘘。というお題に、彼女はあっけらかんとそう答えた。
司会の方からの「真実の姿は誰も知らないということですか?」という質問にも、至極当然のように。
齋藤「はい、知れません」
そう答えてみせた。
けど、すぐにちょっと笑って。
齋藤「まぁ、これも嘘ですね笑 実際は知ってる人もいると思いますけど」
司会「…例えば?」
齋藤「……母とか?」
司会「そこはファンじゃないんですね笑」
そんなやりとりで会場の笑いを誘った。
〜〜〜〜〜
〇〇「お疲れ様です」
イベントが終了し、控室に挨拶に伺う。
齋藤「お疲れ。忙しかった?」
〇〇「まぁ、ちょっと抜けるくらいは何とでも。この後戻りますけど笑」
齋藤「そっか笑」
〇〇「齋藤飛鳥節が効いてましたね」
齋藤「なにそれ笑」
〇〇「面白かったです」
齋藤「…ね」
〇〇「はい?」
齋藤「……1個、“嘘”ついていい?」
〇〇「……はい」
飛鳥ちゃんは、少しだけ居住まいを正す。
齋藤「…ずっと、私についてくる気ある?って言おうかと思ってた」
〇〇「……それはまた大層な嘘ですね」
齋藤「ね。でも喜ぶかなって」
〇〇「そうですね…。喜んだと思います」
齋藤「もし言ってたら、ついてきてた?」
〇〇「……いえ、お断りしてたと思います」
齋藤「だよね笑」
楽しそうに、嬉しそうに、飛鳥ちゃんは笑う。
あの頃の俺に、それが務まるとも思わなかったし、それに、あの子達に対する思い入れもある。
齋藤「…4期のマネに選ばれなかった時、言うのもありかなってそう思った。あの時も言ったけど、私は別に間違ってないと思ったから。
けど、迷ったり悩んだりする前に、その機会を奪うのは違う気もした。だから、悩んで、迷って、それでもまだその意志があるように見えたから、言うのは辞めた。私がオファーを受けた理由も、ついてくるかって言うのも」
それに、と付け足して。
齋藤「私もいつまでこの世界にいるか、分かんないしね。そんな曖昧な私に付き合わせて、また向こうに戻ってってのも悪いし」
〇〇「正直、乃木坂卒業したらもう飛鳥ちゃんは引退すると思ってました」
齋藤「私も思ってたよ。けど、寂しいって言われちゃね」
飛鳥ちゃんが引退を思いとどまったのは、お母様の言葉があったから。メディアに出てる飛鳥ちゃんのの姿を見れなくなることが寂しい。
そう伝えられたから。
齋藤「後はこのまま辞めちゃったら、私みたいなやつに憧れてる誰かさんとの縁も、そのまま切れちゃうかなって思ったから」
それが嘘か本当かは分からない。
けれど、彼女なりの思いやりなのは分かる。
〇〇「嬉しいですね」
齋藤「ほんとか〜?笑」
少しだけ、呼吸を整える。
〇〇「……“本当”は聞いてもいいんですか?」
齋藤「……それ、覚悟して聞いてんの?」
覚悟。
うん。
きっとずっと前からそうだったと思う。
〇〇「俺は何にも知らないでこの世界に来て、
人との距離感に悩んで、手探りで進んできて、
色んな人から学びながらここまで来ました」
正解なんてないと分かっていながら、
それでも可能な限り正解を知りたくて、
3期の先輩達に教えを請うて、
4期の同期達と一緒に過ごして、
5期の担当する子達と日々挑んで。
〇〇「俺にとって、飛鳥ちゃんはお手本でした。
その子のこと見て、どんな風に接してあげればいいのか。どれくらいの距離を保っていればいいのか。
構いすぎず、構われすぎず、そんな接し方が出来たらいいなって」
でも。
〇〇「出来なかったですね…。俺には」
それは、齋藤飛鳥という人だから出来たことで。
だから、思う。
齋藤飛鳥は、齋藤飛鳥にしかなれない。
齋藤飛鳥しか、齋藤飛鳥たり得ないと。
〇〇「もう卒業してますし、言っても良いですよね。齋藤飛鳥は俺の初めての推しの子なんですよ、きっと笑」
齋藤「……」
〇〇「…それが俺なりの想いと言うか、俺なりの覚悟ですかね」
齋藤「…そっか」
〇〇「はい、そうです」
求められた解になってるかは分からない。
けれど、それが俺の答え。
齋藤「…じゃあ、その覚悟に答えようかな」
飛鳥ちゃんは立ち上がると、俺の直ぐ側へ歩み寄ってくる。
齋藤「ついてこいなんて言わない。
〇〇には〇〇のやるべきことがあるし、見守りたい子達もいるだろうし。まだまだスタッフとしてもそこに居て欲しいしね。……けど」
彼女は俺の左手を取る。
いや、具体的に言うなら、俺の左手の薬指。
齋藤「…ここは空けといて」
細い指が、撫でるように。
齋藤「あんまこういう形式的なことって興味ないんだけど…。こう言っとけば〇〇は意識するでしょ?」
〇〇「…あ、はい」
何と言うか、思っても見なかった言い回しに、ちょっと思考が追いついてこない。
齋藤「別に束縛しようとか、そう言うんじゃないけどね。誰かの専属とかになっても別にいいし…。あ、嘘、山はダメ。アイツは絶対面倒くさいことになるから」
〇〇「あ、えー、たぶんないとは思いますけど信用ないですね…」
齋藤「違う。信用はしてる。絶対面倒くさいことになるって信用してる」
〇〇「あっ…。そうですか」
山さんが聞いたら怒る…、
いや、たぶんめちゃくちゃ笑うだろうな。
齋藤「まぁ…、そんな感じ」
〇〇「そう…、ですか…」
齋藤「で…?」
俺の薬指を掴んだまま、飛鳥ちゃんは聞く。
〇〇「…空けときますよ」
齋藤「…そっか」
〇〇「…飛鳥ちゃんは、空けててくれるんですか?」
意趣返しってんじゃないけれど、冗談交じりにそう言ってみた。
齋藤「私はずっと前から、そのつもりだけど?」
すっと手を離す飛鳥ちゃん。
殴られたら痛そうと評判の飛鳥ちゃんの手。
けどその薬指は、徹底していつも空いていた。
それは俺も、良く知ってることだった。
齋藤「…覚悟は出来てるって言ったよね?」
〇〇「はい」
齋藤「言っとくけど、私知ってるから」
〇〇「…何をですか?」
齋藤「…〇〇が“おし”に弱いってこと」
〜〜〜〜〜
その“おし”が、“押し”なのか“推し”なのかは、その時わからなかったけど、確かに俺は弱かった。
齋藤「〇〇〜、今日何時に終わんの?」
〇〇「わっ、びっくりした!なんでいるんですか!?」
齋藤「は?会いに来たに決まってんじゃん」
〇〇「あ、はい…、ありがとうございます…」
齋藤「何照れてんの?」
〇〇「あ、いえ、なんかすいません…」
井上「〇〇さん、今日この後空いてますか?」
齋藤「あ、和ごめん。今日は私が連れて帰るから」
井上「ええっ!?またですか!?」
齋藤「いいじゃん、普段いっつも一緒なんだし」
井上「いや、そうかもしれないですけど!」
齋藤「どうすんの?」
〇〇「……ごめん、和」
井上「も〜!飛鳥さんに甘くないですか!?」
〇〇「…おしには勝てんのよ…」
池田「お疲れ様です…。えっ!?飛鳥さん今日も〇〇さん連れてっちゃうんですか!?」
齋藤「ごめんねー。その内埋め合わせはするから、〇〇が」
〇〇「えっ!?俺ですか?」
井上・池田「絶対ですからね!」
〇〇「…ご無体な」
〜〜〜〜〜
結局の所、こんな日々がしばらく続き。
推しの押しは日々強くなり。
いつの間にか家に泊まり込むことが増え。
物が増え。
飛鳥「狭い」
〇〇「えっ?」
飛鳥「〇〇の家狭い」
〇〇「…まぁ、そりゃ、男の一人暮らしなんてそんなもんでは…」
飛鳥「うちのがまだ広い」
〇〇「…まぁ、かもしれませんね?」
飛鳥「もう引っ越そう」
〇〇「え?」
それから半月もしないうちに、俺の荷物は飛鳥ちゃんの家へと配送され、俺の家は綺麗さっぱり引き払われた。
梅澤「尻に敷かれすぎでしょ笑」
〇〇「こ、断れないです…」
与田「飛鳥さんもその気になったら、グイグイ行くだね笑」
〇〇「びっくりです…」
〜〜〜〜〜
飛鳥「今日何時頃終わり?」
〇〇「えっと…21時くらいかと」
飛鳥「私のが早いか…。なんか食べたいものある?」
〇〇「えっ、いや、何でも大丈夫です」
飛鳥「何でも〜?そういうのが一番困るんだよなぁ〜…」
遠藤「もう夫婦みたいな会話になってる…笑」
〇〇「何だこの会話ってなったよ…」
賀喜「…いくら何でも急展開すぎ」
〇〇「それは、まぁ、俺も思う」
賀喜「…もう」
遠藤「よしよし」
賀喜「さくちゃーん!」
〇〇「…なんだこれ」
〜〜〜〜〜〜
ベッドの中で目が覚める。
なんかいっぱい夢を見た気がする。
上半身を起こすと、隣でもぞもぞと動きがある。
飛鳥「…寒い」
〇〇「あぁ…、すいません」
ベッドから出ようとすると、寝間着のジャージの襟元を掴まれる。
飛鳥「だから寒いって…」
〇〇「あぁ…」
ぐいーとベッドの中に引き戻される。
手を伸ばしてスマホを手に取り、時間を確認。セットしたタイマーの時間までまだ1時間ほどある。
飛鳥ちゃんは俺より更に1時間ほど後に起きても問題ないスケジュール。
〇〇「……」
俺は諦めて、もう一度ベッドの中でしっかりと横になる。
飛鳥「……」
飛鳥ちゃんはそんな俺にピタリと寄り添う。
これからもきっと、私は嘘をついていくと思う。
飛鳥ちゃんはそう言った。
今のこの甘えも、俺が喜ぶだろうとついている嘘なのかもしれない。けど、別にいいと思う。
俺だって、きっと大なり小なり、見栄という名の嘘を彼女についている。
疲れていても元気に振る舞うし、
悩んでいても彼女の前では見せたくない。
そんな嘘、きっと彼女も気づいているだろう。
けど、俺達はそんな嘘について指摘し合ったりもしない。何も言わずそれを受け入れて、日々を過ごしてる。
どれか嘘かわからなくても、
何が本当かわからなくても、
お互いに嘘と本当を綯い交ぜにして、
どっちも等しく、愛してると思う。
都合のいい“嘘”だけを愛してるわけじゃない。
都合の悪い“本当”もまとめて愛してる。
だからたとえ、
最初に愛し愛されたのが“嘘”の自分だったとしても、
今愛し愛されていることは“本当”なんだと思う。
腕の中で眠る人に抱いているこの気持ちは、絶対嘘なんかじゃない。
〇〇「…飛鳥ちゃん」
飛鳥「ん?」
〇〇「そう言えばちゃんと言ってなかった」
飛鳥「…何を」
〇〇「……愛してる」
飛鳥「……恥ずかしいやつ」
飛鳥ちゃんの右手が、俺の左の薬指を握る。
俺も右手で飛鳥ちゃんの薬指を握る。
いつかこの指の輪が、本当になる日を願って。