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踊る La Vie en Rose.#4 静寂と暴力。後編

???「ごめんね…」
✕✕「なんのごめん」
???「…だって私のせいで」
✕✕「なぐったの俺だし」
???「でも…」
✕✕「…まちがってたかな、俺?」
???「…まちがってないと、思う」
✕✕「…でも正しくもないってさ。先生が言ってた」
???「……」
✕✕「正しいってなんだろ。わかんね」
???「……」
✕✕「ほんと、よくわからね」
???「…ごめん」
✕✕「もういいって」
???「…ありがとう」
✕✕「……もういいんだって」


〜〜〜〜〜


理佐「これ」

俺が紙切れを取り出すのと同時、理佐さんはスマホにとある写真を表示する。そこに映っているのは、俺が見つけた紙切れと同じようなもの。
そしてそれにも、こちらの紙切れと同じく文字が書いてある。

“わかってくれると思ってた”

✕✕「なんすか、これ」
理佐「……」

理佐さんは少し悩んだように口ごもる。

理佐「…順を追って話すね」

視線はこちらを向かず、手元の湯呑みに落ちている。

理佐「…お店始めてすぐぐらいから通ってくれてたお客さんがいてね、その人はモデル活動を見て私達を知って、それからお店のことを知ったんだって。実際来て、気に入って、頻繁に通ってくれる常連さんになったの」

いいことだ。
そういうお客さんはよくいる。

理佐「…その人は特に美波推しでね。美波もよく来てくれるその人のこと、うれしく思ってた」

た。
過去形。

理佐「…そのうちね、少しずつ、なんて言えばいいのかな。いびつになってた、関係性というか、想い方というか…」
✕✕「……」
理佐「…とうとう出待ちしたり、後をつけるような行動が出てきてね。…美波はギリギリまで説得…っていうのかな。警察に相談したりしなかったの。
ちゃんと話せば分かってくれるんじゃないかって」

ずっと応援してくれていた人だから?
自分を好きでいてくれる人だから?
たとえ今この時、迷惑をかける存在だとしても?

理佐「…結局いくら話しても分かってはくれなかった。美波は最後まで渋ったけど、私達は警察に相談したよ。結論としては、もう店には来ない、私達の前には現れない。それを守ってくれるならこれ以上は何も望まないってね」
✕✕「…それで?」
理佐「その結論が出たのが〇〇が店に入った数カ月前かな。翌日の閉店後、この紙切れ以降確かに接触はないよ」
✕✕「……」
理佐「……まぁ知っての通り、美波は未だカウンターに立ててないけどね」

ここまで来れば、察しの悪い俺でもわかる。  

理佐「…わからなくなっちゃうんだって。笑い方とか、話し方とか。そのうち息が詰まって、苦しくなって…」

たぶん、心から真摯に接してんたんだろう。
それが正しいとか、良い接客だとか、そういうこと以上に。
ありがたいと思っていたから。
好きだと言ってくれることとか、応援してくれることだとか、そういうことに心から感謝してたから。
でもそれが“そいつ”を生み出してしまった。
また同じ事が起きたら。
そういう接し方が、また同じ様な“そいつ”を生み出してしまったら。

理佐「それから、美波はキッチンにこもることになった」

それが小池さんがカウンターに立たなくなった理由。立てなくなった、というべきか…。

理佐さん「……」

理佐さんはちらりと、カウンターに置いた紙切れに視線をやる。

理佐「…私は多分、この紙切れもその人じゃないかと思う」

やり口は同じ。
筆跡…なんてのは俺には判別できんが、同じと言われれば同じようにも思える。

理佐「…✕✕の心当たりはどう?」 
✕✕「……話を聞いた感じ、そっちが本命な気がします」

俺の心当たりは、あくまでもありえるってだけで、今の話を聞いた今では、薄い可能性だと思う。
今はそれより気になる事がある。

✕✕「ただ、この件は俺のせいでもありますよね」
理佐「……」

理佐さんの体が強張る。
俺が来たことによって、また“そいつ”は動き出したんじゃないのか?
排除されたその場所に、異物が紛れ込んだことが“そいつ”を駆り立ててしまったんじゃないのか?

理佐「……私は遅かれ早かれ、こんな時が来るんじゃないかって思ってた」

それが俺を気遣っての発言か、それとも本心からの発言か。実際はどっちでもいいんだ。
俺がそう思ったんだから、事実がどうかは別にどうでもいい。俺にとってはそう。それでいい。

✕✕「…やっと役に立てそうっすね」
理佐「…っ!」

理佐さんが俺の腕を掴む。
別に痛くはないが、視線を向けると力がこもっているのがわかる。

理佐「ごめんっ」

咄嗟に出てしまった動きなんだろう。自身も驚いたように、理佐さんは慌てて手を離した。

✕✕「別に大丈夫っすよ。全然痛くなかったですし」

むしろ理佐さんが指痛めてないかの方が心配。

理佐「…それもだけど、そうじゃなくて」

理佐さんは申し訳なさそうに目を伏せる。

理佐「こんなことのために✕✕を迎え入れたわけじゃない…。でもそう思われても仕方がない扱いをしてること」

…それも実際どっちでもいいことのような気がする。
俺がそう思って、そう行動する。
出てくる結果に違いはないだろう。

理佐「でもこれだけは言わせて」

理佐さんは俺をまっすぐ見つめる。

理佐「あの子は…。由依はそんなつもりで✕✕を誘ったわけじゃないから。それだけは忘れないで」

そうだったとして。
それがどんな意味を持つんだろう。
俺は別に、そんなつもりだって構わない。
そういう事も含めて、それが俺がここにいる意味じゃないだろうか。


俺は別に、黒い羊で構わない。
今更白に成れるとも思ってない。
ただ必要なのは、噛み付く相手を自分の意志で選ぶということだけ。
誰彼構わず噛み付く“狂犬”でさえ無ければ、この黒い羊の皮の下がどんな獣であっても構いやしない。



〜〜〜〜〜



翌日、理佐さんと小池さんの口から今回のことが皆に共有された。

小池「ごめん…、みんな…」
土生「みいちゃんが謝ることじゃないよ」

皆同意するように頷く。

理佐「友香とも相談したけど、落ち着くまで休んでもいいんだよ」
小池「……」

実際、それが一番安全な方法とも言える。
…問題があるとしたら、落ち着く日が来るのか。ってことだけど。

小池「……皆に迷惑とか心配かけてまうけど、私も皆と働きたい」
田村「迷惑なんてそんな…!」
武元「思いませんよ!」

どういう理由かまではわからないけど、それが小池さんの拘りで、戦いなんだろう。

小池「…✕✕もごめん。巻き込んで…」
✕✕「いや、俺がきっかけなんですから謝らんでくださいよ」
小林「それは…」

何か言おうとする小林さんを手で制す。

✕✕「決めたのは俺です。小林さんのせいじゃない」

貴女が誘ったんだとしても、
乗ると決めたのは俺の選択だから。
俺が俺の意思で選び取った道だから。
たとえ貴女でも、俺が取ると決めた責を取り上げることは認めない。

✕✕「俺もまだ、ここを離れたくはないっす」

決めた約束がある。
それを果たすまではここにいたい。

✕✕「…だから、やれることをやりましょうよ」

得るためには、貫くためには、戦わなくては。

✕✕「…でも」

俺は理佐さんと小林さんに視線を向ける。

✕✕「…いざって時は、迷わず切ってください」

それによって事態が解決すると、そう思ったなら。
それが一番安全だと、そう確信したなら。
躊躇うことなく、そうしてほしい。

一同「……」

皆は、仲間である前に、友達だと思う。
けど俺は違う。それは事実だと思う。
仲間と思ってもらえるだけでも、荷が重いくらい。
だから、友達を守るために必要だと思うならそうしてほしい。

小池「……」
✕✕「そんな顔せんでくださいよ笑 いざって時はっすよ」

勿論そんな事態にならないことがベストだ。
そうならないようにやれることをやるってだけだ。

それからしばらく、俺はわざと裏道や人目がつきにくいルートを帰ったりして相手の出方を伺ったりしてた。くれぐれも安全に、と言われていたが釣られてくれるならそれが一番早いと思ったし。
小池さんは人通りの多い道を複数人と帰ったり、タクシーを使ったり、店と通話しながら帰ったりと色々な方法を使って一人になる時間を極力減らしている。



ただ、俺達は心の何処かで思い込んでいた。
あの紙切れがスタートの合図なんだと。
それを合図に行動に移すのだと。
それを無視したとわかった時、行動に出るのだと。

紙切れから早数週間が経った。

俺たちは摩耗していた。
特に小池さんの憔悴は顕著だ。
しばらく睡眠も上手くも取れていないようだった。
皆も気を張り続けてピリピリとしてる。
そんなお店に長居する客はいない。
皆足早に帰っていく。
そうなれば店の周りからも人の足が遠のく。
人の目が、薄れていく。
悪循環。
真綿で首を絞めるように、俺達はジリジリと苦しめられている。
それが向こうの思惑なのかもしれない。

何も無いに越したことはない。
あとはそういう嫌がらせだったと、確信さえ持てればそれでいい。
だが俺はいつの間にか、心の何処かで望んでいる。
シンプルになることを。
思考することを放棄したくなっている。

……出てこい。
俺と対峙しろ。
どんな形でもいい。
俺と相対しろ。

そうすりゃ、世界はもっとシンプルになる。


〜〜〜〜〜

村山「…仕事、うまくいってないの?」
✕✕「あ?」

いつもどおりマッサージチェアで洗濯の乾きを待っていると、村山が声をかけて来る。
閉じていた目を開いてそちらに視線を向けると、村山は気まずそうに視線を逸らした。

✕✕「……」

俺は天井を見上げて、目を閉じる。八つ当たりじみた反応をしてしまったかもしれない。

✕✕「…なんでそう思う」
村山「…前に戻ったみたい」
✕✕「前?」
村山「……ボクシングやってた頃」
✕✕「……」

目を開くと、村山はチラッとだけこっちを見て、また逸らして、話し出す。

村山「ピリピリして、余裕なくて、口数も少なくて…怖い」
✕✕「……」

自覚がないわけじゃなかった。
それでも、こう面と向かって言われると自己嫌悪せずにはいられないもんだ。
俺はまた目を閉じる。

村山「……」

立ち上がる音、こちらへ歩いてくる音。
目を開けると、村山がこちらに珈琲牛乳を差し出して来ている。

村山「…奢り」
✕✕「……」

素直に受け取ると、村山は何も言わずスタスタと受付に戻っていく。
キンと冷えた瓶を目元に当てる。ずいぶんと前にもこんな事があった気がする。

✕✕「村山ぁ〜」
村山「……なに」
✕✕「…もう一本くれ」
村山「……」

村山は一瞬驚いたように目を見開いて、すぐ呆れたようにため息をついた。

村山「…自販機扱いすんなって言ってんのに」

そう言って立ち上がる村山は、少しだけ笑っているようにも見えた。



✕✕「奢り」

珈琲牛乳を2本飲み干し、荷物をまとめて俺は受付のカウンターに400円置く。

村山「…またそれ?っていうか私が奢った意味ないんだけど」
✕✕「そんなもんは知らん」

お前が勝手に奢る事と、俺が勝手に奢る事は何の関係もない話だ。

村山「…大丈夫なの?」
✕✕「…さぁな」
村山「……」
✕✕「分からんもんは分からん」
村山「……」
✕✕「…嘘はついとらん」
村山「…なんも言ってないし」
✕✕「そうですか。…じゃあな」
村山「……」
✕✕「…村山」
村山「…なに」
✕✕「…いや、なんもない。…またな」
村山「…意味わかんな」

なんとなく言い渋ってしまった。
まぁ、いいか。
別にいつでも言えることだ。


〜〜〜〜〜


その夜。
突然その時が来た。
変わらずピリピリとした空気と、控えめな客足の営業を終え、俺は店を後にして裏道に入った。

✕✕「……」

居る。
着いて来ている。
確かに悪意を持って、害意を持って。
“そいつ”がいる。
一定の距離を保って。

仕掛けるか、仕掛けてくるのを待つか悩む。
もし仕掛けて、逃げられるのはまずい。
振り向いて追えば、抑えられるかもしれない。
だが確証も証拠もない。
白を切られればそれで終わり。

これ以上、消耗戦を続けるのは良くない。
まず小池さんが保たない。
俺が弱っていると、憔悴して気づいていないと思わせなければならない。
…向こうから仕掛けてくるのを待つしかないか。

一定のペースを保ちながら、歩き続ける。
しかし、害意は距離を保ちながらついてくるだけで動きはない。

何を確認してる?
何を待っている?

直に大通りに出る。
そうなったら仕掛けては来ないだろう。
引き返すわけにもいかない。
一度大通りに出て、コンビニにでも向かいながら、人通りの少ない道に入るか…。
そう思って一歩大通りに出た時、それが不意に消える。かき消えたように。
まるで最初からいなかったように。

✕✕「……」

振り返ってみるが、当然誰もいない。
どういうことだ?
何をしに来た?
何のために俺を追ってた?
状態を確かめたかったのか?
まだ追い込めると考えて日を改めた?
意図が読めない。

…違う。

読もうということ自体が違う。
“そいつ”はもうまともじゃないんだ。
すでに理の中にいない。
既に常軌を逸してるんだ。
まともに取り合っていてはいけない。

✕✕「……」

俺は歩みを再開する。
理解など出来るわけがないんだ。
もうそういう次元の話ではない。


〜〜〜〜〜

土生「…ほんとに大丈夫?」
小池「うん。皆も疲れてるやろ?ちょっとでも早く帰って休んで…」

あれからもう何日も経ってる。
皆気を張り続けて、ピリピリしてる。

小池「すぐタクシー拾って帰るから」
土生「……」
小池「…たぶんいたずらやったんや。私らが勝手に疲れただけなんやって…」
土生「…そうだね」

何もない方がええ。
でも、このままこの感じが続くんやったら、休むことも考えなあかん。
…私は、迷惑かけたいわけじゃない。

小池「じゃあ、お疲れ」
土生「…お疲れ様」

なるだけ明るい道を選んで、進む。
みんなと一緒に居たいな。
でも、悲しませたり苦しませたくないな。
そう思う。
どうすればいいんだろう。
ぼんやりと靄がかった頭では答えは出そうもない。


だから気づかなかった。
大通りの手前、街灯の影に人がいるのに。
その人が街灯の灯りに照らされるまで。
その人が、知ってるあの人だということに。

元来た道を引き返せば良かったのに。
私は路地に逃げ込んでしまって。
そのうち足が竦んで、その人を見て、動けなくなってしまった。

彼はポケットから折りたたみの刃物を取りだす。
私はただ、声を上げるだけで精一杯だった。
助けを期待してとか、そういうじゃなくて、ほとんど反射的に出た声だったと思う。

小池「誰か────」

すぐに聞こえたのは足音。
アスファルトを蹴る音。
そして、



✕✕「あいよ」


俺はアスファルトを蹴って跳躍。
男の肩口あたりを狙って飛び蹴りを打ち込む。
素人の飛び蹴りなんて、体当たりと何ら変わらないけど、それでいい。
距離を取るために吹っ飛ばしたいだけだから。

立ち上がりながら、チラリと小池さんを確認する。
ケガとかは特になさそうか。
ならいいや。

ふっ飛ばされた男は慌てて立ち上がり、手のナイフを改めて握り直す。
…見た感じはそんな頑丈そうでもない。
刃渡りも短い。

よく見ろ。
見て分かることもあるはずだ。

右手で持ち手を保持。
左手は持ち手を包むような構え方。
ドラマで恋人を刺しちゃった人みたいな持ち方。
…身体ごとぶつかって刺すみたいなイメージなのか。
とても振り回すような構えではない気がする。
……全部予想だけど。

男「……」

目に不安がある。
俺が戻ってくる予想はしてなかったかな。

自然と構えを取る。
右手は顎の前。腕をピタリと身体に寄せる。
左手は少し前に。やや半身気味に。懐を深く。
拳を握り込む。

…違った。
握り込んだ手を軽く開く。
何をやってるんだ俺は。
何を拳で殴ろうとしてる。

人なんて長らく殴ってないだろ。
しかも素手で殴るなんて何年もしていない。
殴るのも下手になってるだろう。

下手くそが素手で殴って怪我したらどうする。
指でも折ったら大変だろ。
明日の仕事に差し障る。

ずっとスイッチが入りっぱなしだったからか。
それとも疲れや、苛立ちや、怒りで追い詰められていたからだろうか。
これが俺の本質なんだろうか。
今にして思えばそんな事を思ったりするけれど、この時の俺はそんなことは考えていない。

考えているのはたったひとつ、シンプルなこと。

奪われる前に、奪わなくては。

相手はまだ、不安な目でこちらを見ている。
動かない。
じゃあ、こっちから動くか。 
ジリジリと距離を詰める。

男「……っ!」

不安な目のまま、男はこちらに向かってくる。
俺はタイミングを見て、半歩分踏み込む。
掌底。
左手、掌と手首の間当たり。
そこを踏み込みの勢いを乗せて、男の右目あたりに叩き込んだ。すぐに後退して距離を取る。

男「ぁぁ…」

男は左手で打たれた目を押さえながら呻く。
今なら右の大きいのも入るだろう。
けど、これはボクシングじゃないから。
倒すことが目的じゃないから。
感触確かめるように左手の手首を軽く回す。
痛めていない。問題なさそうだ。
拳で殴るよりリーチは短くなる。
相手がナイフを片手で持って突いてくれば、向こうの方が有利だけど、そういう気配はない。
まぁ、そうして来たとしてもストレートの要領でかわすけれど。
男はまだ、目を押さえて呻いてる。

こっちを見ろ。
俺に見せてくれ。
お前の欠落を。

俺を安心させてくれ。
お前に比べれば、俺なんてマシな方だって安心させてくれ。

男が目元から手を離す。
やや腫れぼったくなったまぶた。
そのうち腫れが酷くなって、視界も悪くなるだろう。不安の色が濃くなっているのが分かる。

次は一歩踏み込んで、鼻に掌底を打ち込む。

男は鼻を押さえて2、3歩後ずさる。
押さえた指の間から、赤い色が滴る。

✕✕「…鼻血が出てるぞ。みっともないから拭いたらどうだ」

男は自分の手を見る。
確かに、血で汚れている。

嫌だよな。
そんなに痛くなくても、命に別状なんてないって分かってるけど、やっぱり血が出るのは嫌だよな。
げんなりするよな。

理解させなくてはいけない。
何をやっているのか。
何故こんな目に遭っているのか、こんな目に遭わされているのか。
自覚させなくてはいけない。
お前がやろうとしていたことは、これだけの報いを受けるようなことなんだと。
馬鹿が馬鹿をやる前に、強く殴って言い聞かせなくてはならない。

男「…す、すいません」
✕✕「…はぁ?」

男はナイフをその辺に放り投げる。

男「も、もうやめてください…すいません」
✕✕「……」

何を言ってるんだ、こいつは。

✕✕「…勝手なこと言いやがって」

俺は男に詰め寄る。

✕✕「言わなかったのかよ、あの人は…」

胸ぐらを掴むと、男は怯えたような顔をする。

男「ひっ…」
✕✕「言わなかったのかって聞いてんだよ。もう止めてくれって、あの人はお前に頼まなかったのかよ? 1回も言わなかったのかよ!?」
男「い、言いました…」
✕✕「お前はそう言われてやめたのか? わかりましたっつって、止めたのかよ?」
男「……止めてません」
✕✕「じゃあお前はなんで許されると思ってんだよ。やめてもらえると思ってんだよ」
男「……」
✕✕「おかしいだろうが」

最後まで張り続けるならわかる。
常識なんて、ルールなんて関係ない。
もう行き着くとこまで行き着いてしまって。
もうやるしかない。破滅するその時まで。
それなら、まだわかる。
けどコイツは違う。
コイツは打算で暴力を選んだ。
暴力に訴えれば、思ったとおりに事が運ぶと勘違いしたただの馬鹿だ。
だからメリットやデメリットを天秤にかけて、デメリットのほうが大きいと踏んで諦めた。
我が身可愛さに、保身に走った。
他者を想うあまりに狂気に走ったわけじゃない。
自分の思った通りにならないことに喚き散らすだけのガキだ。
 
俺とは違う。
同じ穴の狢ではない。
日常に紛れるために羊の皮を被った獣ではない。
こいつはただ、暴力という虎の威を借る狐に過ぎない。

✕✕「虫が良すぎるよ、お前」

右の拳に力が入る。
既にズキズキと痛みを感じる。
けど、知ったことじゃない。
こんなやつが、のうのうとしてるくらいなら、痛かろうがなんだろうが構うものかよ。

目には目を歯には歯を。
奪うなら、奪われる覚悟も持っておけ。

俺は今も痛む拳を振り上げる。


小池「もうやめて!!!」


胸倉を掴んだまま、俺はその叫びの主を見る。
小池さんは、ポロポロと涙を流しながら、両の拳をぎゅっと握りしめている。

小池「もういい…。もうやめて…」

冷水をぶっかけられたような、そんな気分。
つい先程まで炎のように燃え上がっていた何かが、嘘のように静かになっていく。
胸ぐらをつかんでいた手を離すと、男は膝から崩れ落ちた。

✕✕「……どうしますか、警察呼びますか?」

小池さんはふらふらとこちらへ歩み寄ってくる。

✕✕「…危ないっすよ」

俺の静止も聞かず、小池さんは男のすぐ近くまで来た。

小池「…もう二度と私達の前には現れないと約束してくれますか?」

…もう、既に破られた約束だろ。

男「…約束します」

…口では何とでも言える。

小池「……ごめんな」
男「……え」
小池「ほんまに、嬉しかってん。お店までわざわざ来てくれて、応援してるって言ってくれて…」

正直、理解できない。
何故そんな事が言えるのか。
ついさっきまで、自分に危害を加えようとしていた人間に。
謝る必要が何処にある?
そう思っていても、俺は口を挟むようなことは出来なかった。

小池「顔見に来てくれて、顔見せに来てくれて。元気もらってるって言ってくれて、嬉しかった。
だから来てくれた時は、来てよかったなって、また来よって思ってもらいたかった…。
だから、一所懸命接客したよ…。
でも、それで勘違いさせて…傷つけてごめんな…」

ポロポロと涙を流しながら、時折言葉に詰まりながら、それでも小池さんは話しかけ続けた。
…何の意味があるっていうんだろう。
コイツはもうラインを越えてしまってる。
人の心や気持ちに頓着しない欠落者だ。
何を言ったところで何も変わらない。

小池「ごめん…。もっと、私がうまくやれてたら、もっと上手に接してあげてたら、こんなことにはならんかったかもしれへんのに…、ごめんな…」

そう思ってた。
俺は心の何処かで、コイツもまた、俺と同じで人の気持ちを理解なんて出来ない生き物だと思ってた。

ふと見た時、小池さんの言葉に驚いたような顔をしながら、涙を流す姿を見るまでは。
そしてその表情に、後悔の色が浮かんでいるのに気づくまでは。

男は突然立ち上がると、路地を走り抜けて大通りへと消えていった。
俺は、ただ立ち尽くすしかなかった。
それぐらい衝撃だった。
あの男は、俺とは違う。
それは先ほどまで思っていたのとは別の違い。

あいつは、理解できていた。
小池さんの、思いやりとか、そういうものを。
それを蔑ろにしたことを、後悔したんだろう。

俺には理解できなかったそれを。
あの男は理解したんだろう。


???『私と同じ。黒い人間はどうやったって白にはなれないよ』

今さら身にしみてくる。

小池「……✕✕」
✕✕「…はい」
小池「…ありがとう」
✕✕「……いえ」

嫌な思いをしただろう。
目の前で暴力が振るわれて、怖かっただろう。

✕✕「…歩けますか」
小池「…うん」

こんな奴といても気が休まらないだろうと思ったけど、すぐ一人にしてしまうのも気が引けて、俺達は店まで戻って来た。
ただ既に皆帰っていて施錠済み。
仕方ないのですぐ近くの何も無い公園のベンチに腰掛ける。

✕✕「…カフェオレとミルクティー、どっちがいいすか」
小池「…じゃあミルクティー」
✕✕「どぞ」

自販機で買ったドリンク。
小池さんはミルクティーのプルタブを開けようとして、でもその手は震えていて。

✕✕「…開けます」

受け取って、タブを開けて返す。

小池「ありがとう…」
✕✕「いえ…」

どちらも口をつけず、立ち上る湯気を見つめる。
静かだ。
何も無い静寂。
いつもなら心地よく感じるはずの静寂。
それが今は落ち着かない。
何を言えばいいのか。
何と声をかければいいのかわからない。

小池「…お店出来てすぐくらいにな。来てくれた人やってん」

小池さんは湯気を見つめたまま、話し始めた。

小池「嬉しかったなぁ。応援してくれる人がおるって。頑張ろうって思えた」
✕✕「……」
小池「信頼し合えてる。いい関係が築けてるって勘違いしてたなぁ…」

またポロポロと涙が溢れる。
なんでそうなっちゃうんだろう。

小池「✕✕はケガしてない?」
✕✕「大丈夫っす…」

もう右の拳も痛みはない。
左手で右の拳を撫でる。
どんな人間でも殴ろうとすれば痛む。
でももしあの時殴っていたら、あの男は小池さんの想いに気づくことはなかったかもしれない。

俺には…。
俺の選択肢には、暴力が色濃く馴染んでいる。
深く悩まず、深く考えず、シンプルに。
それを選び取る土壌が出来上がっている。

俺は、異常なのだ。

わかっていたことであるけれど。
今更それをどうこいうつもりなんてないけれど。
それに、今更違和感を感じてる。
俺は…、俺は……。

不意に、俺の手に小池さんの手が添えられる。

小池「…痛いん?」
✕✕「…いえ、今は痛くないです」
小池「…ごめんな」
✕✕「何の謝罪ですか」
小池「…痛かったやんな。ごめんな…」

謝ることなんてない。
俺はただ俺の意思に従って暴力を振るっただけだ。
俺の意思だ。俺は俺に由ってそうしただけだ。
あんたが謝るようなことじゃない。

✕✕「誰かを傷つけるのは、苦しいやんな」

苦しい…?
そんなこと。
俺は何も、感じない。
だから奪えた。
リングで相対する相手のことなんて関係ない。
そいつにも戦う理由があって、貫きたい拘りがあって、それでも俺は何も感じない。
それが、俺の才だと思った。
人と違うことは利だと思った。
相手のことを思いやれないからこそ、容赦なく奪えた。躊躇わず奪えた。
それこそが、何も持たない俺に与えられた物だと。

✕✕「…俺は、何も思えなかったです」
小池「……」

手を添えたまま、小池さんは言う。

小池「…じゃあ、今まとめて来てるんやな」

俺の右の拳が痛むのは、それが理由だと?
誰も殴れないのは、そのツケだと?

小池「誰かを傷つけるんは、ほんまは凄く苦しくて、悲しいことやねん」
✕✕「……」
小池「✕✕はそうしないと生きていけない世界で生きてきたから、それに気づけへんようにしてただけや…。自分を守るために」
✕✕「……」
小池「でも今は違う。そんな苦しい思いや、悲しい思いはせんでええねん。普通に、笑って生きてええねん…」

小池さんは、まっすぐ俺を見つめる。

小池「助けてもらってこんな事言うんはおかしいと思う。けど、忘れんといて」

俺は目をそらすこともできなくて。

小池「誰かを傷つけるのは許されることやない。それは相手だけじゃなくて、自分や周りも傷つけることやから…」
✕✕「自分や周り…」
小池「✕✕が傷つくことで、周りも悲しくなるねん。どうしてもそうしないとあかん時はあるのかもしれん。けど、それを選択する時考えてほしい」

俺は…。
俺は……。

小池「誰かを傷つける時、自分と自分を想ってくれる人も傷つけるかもしれへんってこと…」

俺は、自分の由で立っていたかった。
俺が誰かを傷つけた時、それによって俺が傷つくことに躊躇いはない。
けれど、俺が誰かを傷つけた時、俺の周りの人が傷つくは嫌だった。だから一人で立っていたかった。

俺が俺の選択の責任をとるから、誰も俺の周りで悲しまないで欲しい。

✕✕「……小学生の頃、初めて人を殴りました」

歩み寄ってくれる人には、俺も歩み寄るべきだ。
それが多分、友香さんの言う人に依るってことだと思う。

✕✕「…殴るって言っても、子供の喧嘩っていうか」

ぎこちない。
うまく言葉を整理できない。
落ち着け。

✕✕「…物心ついた頃から、俺は施設で育って。俺と同じような境遇で、同い年の子がいました。
…そいつが、学校でいじめ…と言うか、からかわれることがあって…」

腹を割って話そう。
俺の始まりを。
オリジンを。

✕✕「なんどか、辞めるように言ったんです。嫌がってるからって」

今にして思えばそれは、気になる子へのちょっかいのようなものだったのかもしれない。

✕✕「でもそいつは、辞めなかった」

言葉で言って理解しないなら。

✕✕「だから俺は、そいつの頭にげんこつ振り下ろしました」

強く殴って言い聞かせるしかない。

✕✕「そういう物だと思ってました。俺は痛いのが嫌いです。だから痛い目に遭わないように、言いつけは守ってきたつもりです。でもそいつはそういう教育方針の中にいなかったんでしょう。
急に殴られて、びっくりしたんでしょう。
わんわん泣いて、ちょっとした問題になりました」

思い出すと、うんざりする。
からかわれたあいつも泣いてて、
からかったあいつも泣いてて。

✕✕「呼び出された先生も、教師のお小言くらって、助けたあいつはごめんと謝って。
どうするのが正解だったのか。今も分かりません。
正解なんてないのかもしれません。
それでも、子供心におかしいと思った。
なんで俺やあいつが謝らなきゃなんないのか。
間違ってないけど、正しくもないってどういう意味なんだろうって」

助けたかった。
けど、結果はこのざま。

✕✕「たぶん、俺にはわからないんです。人の気持ちなんて。人の痛みなんて…」

欠落した人間だから。

小池「…そんなわけないやん」

小池さんは、悲しみ半分、怒り半分といった顔で俺を見る。

小池「わからん人が人を助けたりするわけ無いやん。そんな顔するわけ無いやん」

俺の手に添えられた手が、包み込むように俺の手を握る。

小池「人を殴れなくなるわけ無いやんか…」

そうなんだろうか。
この痛みは、そのための痛みなんだろうか。

小池「…約束して」

小池さんは、今尚涙が浮かぶ顔で言う。

小池「また今日みたいに誰かを傷つけないとあかん時が来たら、1回でいい、一瞬でもいい。
傷つけない方法がないか考えて。
人を傷つけへんために。
自分を傷つけへんために。
誰かを悲しませへんために…」



〜〜〜〜〜


翌朝、小池さんから事の顛末が語られた。
時折、また涙ぐみながら、それでも最後まで小池さんは話しきった。
そして。

小池「…今日からまた、少しずつ、カウンターに立たせて欲しい」

驚く人、心配する人、嬉しそうな人。
反応はそれぞれだけど、

小池「…自分から言うといて、またキッチン引っ込んでもうたりするかもしれへん。心配かけたり、迷惑かけたりするかもしれへん…。
でも、やっぱりみんなと一緒に働きたい。みんなと一緒に始めたお店やから、みんなと一緒に守っていきたい…。わがままばっかり言うてごめん…」

俺も含め、皆の答えは決まりきっていた。

〜〜〜〜〜

営業前に、小池さんがカウンターに復帰する事がSNSにて告知された。勿論休み休みであること、無理はさせないことも合わせて。
効果は凄まじく、常連は勿論しばらく顔を出していなかったらしいお客も随分来た。
ここしばらくのピリピリしたムードは、小池さんの口から自分の復帰のために、皆が気を張ってくれていたからと丁寧に説明して回り、概ね納得してもらえたようだった。
時折キッチンで息を整えるように、深呼吸する場面もあったけど、小池さんは閉店まで笑顔でカウンターに立ち続けた。

小池さんの、本当の戦いが始まったんだと思う。
守りたいものがあって、貫きたいことがあって。
そのために、小池さんなりの強さと戦い方で。
苦しい日も、辛い日も、きっとまたあると思う。
でもその時には支えてくれる人達がいるし、俺も微力だけど手伝えたらいいなと思う。

〜〜〜〜〜


閉店後、表の電光看板下げて店内に戻ってくると、カウンターに突っ伏すようにして小池さんが眠っている。
ここしばらくちゃんと休めていなかっただろうし、久しぶりのカウンター業務。疲れるのも無理はないだろう。

土生「戦士の休息かな…」
✕✕「…っすね。俺、小池さんの分まで片付けるんで帰るまで寝かせて上げてください」
小林「最初からそのつもりだけど、✕✕に仕事回すつもりはないから」

いつも以上にテキパキと片付けを進めつつ、一切手を止めないまま小林さんが言う。

✕✕「…負けませんし?」
土生「✕✕」

片付けに入ろうとする俺に、土生さんが声を掛けてくる。

✕✕「はい?」
土生「…ありがとね」
✕✕「…いえ、俺は何もしてないっす。…何も出来なかったです」
土生「…それでも、ありがとう」
✕✕「…どういたしまして」

それだけ言って、俺は片付けに入る。


たぶん、また同じようなことがあれば、俺はその時にも最終的に暴力に頼るだろう。
それぐらい、俺にはそれが色濃く馴染んでしまっているから。
けど、その前に考えようと思う。
本当にそれしかないのか、傷つけずに解決する方法はないのか。

意味がないと思っていた。
結果、結論が変わらないのなら、過程に違いがあったとしても意味がないと。
結果は結果だ。
過程にどれだけの差があろうと、1は1だしAはAだ。
2になったりBになったりはしない。
けど、そうやって考える事で、迷うことで守れるものがあるなら。
そうすることで穏やかに眠れる誰かがいるなら、こうやって皆が穏やかに笑えるなら、それにも意味が、価値があると思う。
そうすることで、周りにいる誰が傷つかなくてすむのなら。
意味も価値もあると思うから。



静寂と暴力。後編END.

NEXT.二律背反。


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