踊る La Vie en Rose.#0 黒い羊はバーテンダーの夢を見るか。
小林「なっつ…」
営業準備をほぼ終えたのか、カウンター内でスマホをいじる小林さん。
✕✕「なーにサボってんすか」
小林「サボってないわ」
スマホから視線をこちらに向ける。
相変わらず眼光鋭い感じだ。
小林「数年前にやった仕事の写真が出てきた」
✕✕「数年前?バーの仕事じゃないんすか?」
小林「バーはバーだけど、夏フェスに呼ばれたの」
✕✕「夏フェスでバー?」
土生「あー、あったね」
裏にボトルを取りに行っていた土生さんが帰ってくるなり、思い出したように言う。
✕✕「土生さんも行ったんす?」
土生「ううん。お声がかかったの、由依だけだったからね〜」
✕✕「へぇ〜?」
小林「その夏フェスの協賛企業がウィスキー取り扱ってるんだけど、そこのブースでハイボール作ってくれってオファーがあってね」
✕✕「ほぉ…。で、なんで小林さんが?」
小林「さぁ?」
✕✕「さぁって…」
小林「選定理由は何度聞いても教えてくれないんだもん。知りようがないじゃん」
✕✕「…そんなもんなんすか?」
小林「さぁね?気になるなら白石さんに聞いて」
✕✕「白石さん…。あぁ、あの美人さんか」
たまーに来る企画会社かなんかの人。
美人ってことくらいしか知らんけど。
しかし夏フェスか。
縁遠すぎてあんまりピンとこないんだが。
土生「でもそれからだよね、由依がタンデムやるって言い出したの」
小林「…そうだっけ?」
土生「そうだよ笑 私はそこで色々あったに違いないって踏んでるんだけど」
小林「別に何もないよ。懐かしい顔に会ったってだけだし」
✕✕「懐かしい顔?」
土生「私達、地元が同じって話はしたよね? その夏フェスに地元から出店してるお店が有って、そこのスタッフに知り合いがいたんだって」
✕✕「そりゃまた奇遇っすね」
土生「んで、由依が立ってたお店のスタッフがトラブルで足りなくなっちゃってさ、そのお知り合いの一人が手伝ってくれたんだよ」
✕✕「へぇ〜、そりゃありがたい」
土生「それで一緒にやったのが楽しかったから、タンデムやるって言い出したのかな〜って」
✕✕「あ〜なるほど、だからコンビ組んでパフォーマンスするタンデムっすか」
小林「ちょっと、人の思考を勝手に捏造しないでくれる?」
土生「違った?」
小林「違います」
土生「…だってさ笑」
✕✕「はぁ…」
まぁ、そう言われても俺にはようわからんす。
小池「もう準備終わったん?」
キッチンから小池さんが出てくる。
✕✕「こっちはOKです。なんか手伝います?」
小池「ううん、こっちも終わったし。後は買い出し班が帰ってきたらガーニッシュ準備するくらい」
✕✕「…そっすか」
小池「……問題です」
✕✕「ん?」
小池「ガーニッシュってなんでしょう」
✕✕「……」
小林「え…、前言ったでしょ」
✕✕「……」
小林「マジ?」
✕✕「…ど忘れっすよ。ど忘れ」
小池「…はぁ」
そんなでかいため息つかなくても。
小池「パフォーマンスはすぐ覚えて、見込みもあるってみんな言うてんのに、なんで知識は全然身に着けへんかなぁ…」
✕✕「…すいません笑 学がないもんで笑」
小池「無いなら無いで、もっと色々入ってもええんちゃう?」
✕✕「…仰るとおりで」
小林「めっちゃ怒られてる笑」
笑いごとじゃないんだが?
土生「まぁまぁ、そのへんにしておいてあげなよ」
小池「…ちょっと甘いんちゃう?」
土生「褒められて伸びるタイプらしいから」
小池「…別に私だって怒りたくて怒ってるわけちゃうで?」
土生「わかってるって笑」
小池「…もう」
土生さんのおかげで助かった。
✕✕「…そう言えば買い出し、俺が一番下っ端なんで、俺にもっと振ってくれてもいいんすけどね」
理佐「テキトーな買い出しするようなやつには任せません」
✕✕「うわっ、ビックリした」
いつの間にか、理佐さんが俺の後ろに立っていた。
理佐「…鈍ってんじゃないの?」
✕✕「…鈍るも何も、いらんスキルでしょ」
理佐「…ま。別にいーけどね」
浄水器から水を汲むと、グビグビと飲み干す。
小林「こんな時間に降りてくるなんて珍しいじゃん」
理佐さんはこの店のオーナーで、普段は2階にある事務所で事務作業をしたり、兼業のモデル仕事のアレコレで店にいることは少ない。
理佐「一応お知らせ…。あ、ちょうどいい」
武元「戻りました〜」
田村「ただいまでーす」
買い出し班の2人が店の入口から入ってくる。
理佐「おかえり」
武元「みんな集合してどうしました?」
理佐「ちょっとお知らせ」
田村「なんです?」
理佐「今日は友香来るから、きっちり仕事するように。…まぁ、言われなくても手抜いた営業するとは思ってないけど」
✕✕「お、やった」
理佐「好きだねぇ、友香」
✕✕「すげぇ褒めてくれるんで友香さん好きっす」
田村「……」
✕✕「なんすか?」
なにか言いたげに視線を飛ばしてくる田村さんに、俺は当たり強めに聞く。
田村「…別に何もないよ」
✕✕「そっすか」
理佐「…相変わらず折り合い悪いなぁ。なーんでそう強く当たるかな」
✕✕「別にあたってないすよ」
理佐「はいはい」
諦めたように渡邉さんは手をひらひらする。
理佐「じゃあ、よろしく」
それだけ言い残すと、2階の事務所へ。
土生「じゃあ、オープンしようか」
✕✕「看板、つけてきます」
俺は電光看板を押して、店の外へ。
コンセントを差し込めば、看板に明かりが灯る。
“BAR La vie en rose”
今現在の俺の立ち位置。
今日も俺は慣れない皮を被り、その中に溶け込むために尽力する。
〜〜〜〜〜
✕✕「はい、これがカスケードっすね」
俺は3本のボトルをジャグリングしながら、目の前のカウンターに座る友香さんに話しかける。
いい時間になってきて、お客さんも増え、店内は活気づいている。お客さんの多くは酒は勿論だが、スタッフを目当てに来ている人も多い。
こういう時は唯一の野郎で、固定のファンもほぼいない俺が友香さんの対応することが多い。というか、俺が構ってもらってるっていう方が正しいか。
菅井「すごーい!もうそんなの出来るようになったんだ!?」
✕✕「あざす」
やっぱ定期的に人は褒められなくては。
心の栄養成分が偏る。
田村「…あんまり褒めると調子に乗りますよ」
✕✕「褒められて伸びるタイプなんでー!」
田村「…ほんまに可愛くないー!」
✕✕「可愛がられようと思ってないんで」
田村「そういうトコも可愛くない!」
✕✕「…ふぅ」
ムスッとして離れる田村さんを見送って、一息。
菅井「ホントに保乃ちゃんとはそんな感じなんだね〜」
✕✕「…まぁ、そうっすね」
菅井「他の子とは仲良くやってるのに…」
✕✕「…ま、そうなるようにやってるんで」
菅井「…どういうこと?」
俺はキョロキョロと周りを伺う。
皆それぞれ忙しそうで、こちらを見ているスタッフは居ないようだ。
✕✕「友香さんだからいいますけど、他のスタッフには絶対言っちゃダメっすよ?」
菅井「なになに?」
俺はチラリと田村さんへ視線を送る。
✕✕「…真面目だし、何かに打ち込むって事自体が好きなんでしょうね。努力も惜しまないし、技術もホスピタリティもあるし…。まぁ、なんつーかいい人なんすよ、あの人」
友香「…だね」
✕✕「だからもし俺がいい後輩だったら、あの人すごい世話焼いてくれると思うんすよね」
友香「…それが何かダメなの?」
✕✕「ダメっすね。俺はね、あの人より上手くならなきゃダメなんです。本気で、全力で、一切容赦のない状態のあの人にね」
友香「……」
✕✕「もし俺がいい後輩だったら、たぶんあの人、俺が上手くなるのを喜んじゃうと思うんです。でもね、それじゃダメなんすよ。こんなやつに絶対負けるもんかって思ってもらわないと」
もし仮に俺がいい後輩で、上手くなって、田村さんより上手くなったって周りから言われるような日が来たとしても、あの人はごく自然に後輩の成長を喜ぶだろうから、俺はそういう“いい後輩”になるわけには行かない。
意地でもコイツにだけは負けたくない。
そういう気概で居てくれないと。
✕✕「そんぐらいしないと、俺は小林さんとバディ組んで、タンデムやるに相応しい人間って、外野に認めてもらえないと思うんでね」
店のスタッフが認めたとしても、ぽっと出の俺が外野を納得させるには確固たる証がいる。
少なくとも先輩より明確に勝ってなくちゃ、誰も認めないだろう。少なくとも俺はそう思う。
菅井「…そんな悪者ぶらないでも」
✕✕「悪者なんすよ。綺麗な女の園に突然やって来た異分子っすからね笑」
この店の常連だったり、それこそ思い入れの強い客は小林さんがタンデムを組んでコンペに出るって言ったなら、俺以外のバディを望むだろう。土生さんや武元さんが出ないって言うなら、必然的に田村さんがいいと思うのが自然だ。
菅井「…もう」
✕✕「…すいませんね、友香さん相手だから話しすぎました笑 でも聞いたからには友香さんも共犯ですから、誰にも言っちゃダメっすよ」
菅井「…聞いたからこそ、黙ってられないよ」
✕✕「…友香さんだから信じて話したんすよ?もし誰かに言ったら、もう“菅井さん”とは口聞かないっす」
菅井「…ずるい言い方するなぁ笑」
✕✕「そんくらいの覚悟ってことっす。頼んますよ」
菅井「わかったよ…笑」
この人も大概、いい人っていうか、お人好しと言うか…。まぁそんな人でもなきゃ、いくら馴染の人らが店建てるからってスポンサーになったりしないんだろうけど。
客「ガハハハ!!」
話が一区切りしたところ当たりで、遠慮のないボリュームの笑い声が響く。
✕✕「盛り上がっちゃってますね」
菅井「そうだね…」
✕✕「ちょっと行ってきます」
菅井「うん、大丈夫?」
✕✕「まぁまぁ、見ててくださいよ」
俺はカウンター内を移動し、そちらに向かう。
武元さんが立ってるあたりか。
小林「あんま荒っぽいのはやめてよ?」
✕✕「わかってますよ」
カウンター内を移動中、途中に立つ小林さんが声をかけてくる。
まぁ、そう思われてもしょうがないとは思うけど。
土生「……」
✕✕「土生さん、俺行きますよ」
心配そうに視線を向ける土生さんに声を掛ける。
土生「…じゃあお願いしようかな」
✕✕「はーい、お願いされました」
端から端まで移動してくると、そろそろ声をかけたほうがいいか…と悩ましげな武元さん。
✕✕「武元さん、俺、声かけしますよ」
武元「えっ、あ、ごめん。やっぱ言ったほうがいいよね」
✕✕「まぁ、そっすね。俺行きますんで」
武元「いやいや、悪いって」
✕✕「気にしない気にしない」
カウンターに座るお客さんは二人組で、一人は見たことある顔。もう一人、声のデカい方のお兄さんは初めて見る。
連れてこられて楽しくなっちゃったかな
ま、気持ちはわからんではないが。周りがややしかめっ面で自分を見てるのに気付けないほどのテンションは頂けんね。
✕✕「すいません、お客さん」
声のデカい客「あ?」
✕✕「楽しんで頂いてるトコ悪いんですけど、少しだけ声を落としてもらえますか?」
声のデカい客「は?」
俺は最近寝る前に鏡を見て練習している営業スマイルを浮かべる。
✕✕「同じ空間を共有してるお客の皆さんが気持ちよく過ごせるように、ご協力お願いします」
声のデカい客「あ、はい…、すんません」
よかった、穏便に済んで。
武元「顔こわっ」
✕✕「…武元さん?」
武元「あぁ、ごめん。ついね、つい」
ついじゃないっすよ、ついじゃ。
✕✕「わかって頂けたなら、何よりです。どうぞごゆっくりお過ごしください」
一礼して、武元さんの所へ。
✕✕「ほら、ばっちり」
武元「…ばっちり、かなぁ」
✕✕「なーんのトラブルもなかったじゃないですか」
武元「いや、まぁ、そうなんだけど…。まぁいいか…。ごめん、ありがとね」
✕✕「どういたしまして。なんかあったら遠慮せずにすぐ言ってくれていいっすよ。こういうの、俺の仕事だと思うんで」
武元「損な役回りじゃない?」
✕✕「慣れてますんで平気っす」
武元「慣れんな慣れんな〜笑」
✕✕「まぁまぁ、女性陣は笑顔のがいいっすよ。野郎に怒られるのも癪だから大人しくしてよって思ってもらえりゃそのほうが楽ですし」
構われたくて面倒起こすような輩が出ないとも限らんし、面倒くさいやつには野郎が出張ってくると分からせておくほうが色々都合がいいだろう。
✕✕「んじゃ、戻りま…」
田村「……」
今日のポジションはカウンターの端っこ、キッチン前が田村さん。先程のやり取りを見ていたのか、こっちに視線を送っている。
なんか言うかな…。と思っていたら、そのさらに後ろ、ムスッとした小池さんがキッチンから顔を出してこちらを見ている。
田村「……?」
俺の視線が自分の後ろに向いていると気付いたのか、田村さんが振り返る。
田村「っ!?」
ビックリしたんだろう、田村さんがビクッとする。
取り敢えず、弁明に行こう…。
田村さんの後ろを通り過ぎ、キッチン前へ。
✕✕「あの、全然、穏便に済みましたよ…?」
小池「…それが普通やねんで?」
✕✕「あ、はい、そっすね…」
小池「…あんな、なんべんも言うけど、私は暴力とか、脅したりとか、そうやって物事解決しようとする人は嫌いやで」
✕✕「あっ、はい」
小池「…皆のこと助けようって思ってるんはわかるで? それ自体はほんまにありがとうって思ってる。実際助けられてるし…。けどな、誰かを傷つけたりするようなやり方は褒められるような事ちゃうって、それだけは忘れんといてな?」
✕✕「…はい、肝に銘じときます」
小池「…わかってるんやったらええねん」
ポンと、俺の肩を叩く小池さん。
小池さん「…ポム助けてくれてありがとうな」
それだけ言うと、シュッとキッチンに引っ込む。
色々思うことはあるけど…、小池さんたまに武元さんのことポムって呼ぶのなんでなんだろうってことが一番気になってしまう…。
でも怖くて聞けねぇ…。とんでもねぇ理由とかあったらアレだし…。怒られたくねぇし…。
武元「ごめん、なんか怒られた?」
✕✕「いやいや、全然全然。武元さん助けてくれてありがとうって」
武元「ならいいんだけど…」
✕✕「ほんと、お気になさらず。武元さんはパワフルガールで居てくんないと」
武元「ちょいいじりすんのやめてくれる?笑」
✕✕「愛されキャラだからしゃーないっすね笑」
武元「はいはい笑」
✕✕「じゃ、戻ります」
俺は元いたポジションに戻るべく、再びカウンター内を移動する。
小林「ホントに美波に弱いね笑」
✕✕「…最近わかったんすよ。小池さんとか友香さんみたいに諭すみたいっつうか、淡々と怒られる方が罪悪感を感じるんすよね。馬鹿みたいに声張り上げて怒鳴られると逆に半笑いになっちゃうんすけど」
小林「…それは人としてどうなの…」
✕✕「なーんか感情のコントロールも上手く出来ねぇんだなぁって可笑しくなっちゃうんすよね」
小林「…そんなんだから怒られるんでしょ」
✕✕「…なるほど?」
小林「はいはい、もういいから戻りな」
✕✕「はーい」
結局その日はトラブルらしいトラブルもなく、ごくごく平凡な営業となった。まぁ、売上は悪くないし、面倒事なんて起こらないなら起こらないのがいいんだろうけど。
〜〜〜〜〜〜
理佐「じゃ、悪いけどクローズ作業よろしく」
小林「ごめんね」
土生「はいはい、まかせといて」
菅井「今度は土生ちゃんとみいちゃんも一緒にね」
小池「楽しみにしとく」
閉店作業を任せて、私と理佐は友香と先に店を後にする。一応スポンサーには色々報告しないといけないこともあるし、単純に友人として色々話したいこともある。
小林「✕✕!」
✕✕「はい?」
店内の掃除を進める✕✕に声を掛ける。
小林「…寄り道せず帰りなよ?」
✕✕は一瞬キョトンとして。
✕✕「……ガキの使いじゃねぇんすけど?」
小林「未成年でしょうが」
✕✕「いや、もう19っすよ? ほぼほぼ成人でしょうが」
小林「未成年は未成年」
✕✕「……はいはい」
苦虫でも噛み潰したような顔をして、✕✕は掃除を再開する。
小林「目処ついたらあがらせてくれる?」
土生「はーい笑」
小林「…なんの笑い?」
土生「なんでもない笑」
今度は私が苦虫を噛み潰す番らしい。
理佐「じゃあ、お疲れ様」
土生「はい、いってらっしゃーい」
東京の街並は夜が更けても明るい。
その明るさが、逆に落ち着かない。
理佐「で、✕✕はどう?」
菅井「相変わらずいい子に見えるけど。えーと、カスタードだっけ?ボトルをこう、ぐるぐる」
小林「…カスケードね」
菅井「あぁ、そうそう笑」
友香は、変わんないなと思う。いい所でもあるし、心配になる部分でもある。
小林「パフォーマンスに関しては覚え早いんだけどね。自分の身体を操るセンスっていうのかな。そつなくなんでもやるけど…」
理佐「問題はそれ以外は覚えないこと…っていうか覚える気がないことでしょ」
菅井「覚える気がない?」
理佐「物覚えが悪い振りしてるけど、客の顔はすぐ覚えてるでしょ?」
小林「……」
たぶん、パフォーマンスやトラブル対応、そう言ったことに可能な限りリソースを振り分けるためなんだろう。
自分に求められる事だけを、完遂するために。
菅井「まぁ、他のことを覚えないのはよくないけど、お客さんの顔を覚えるのはいいことだよね?」
理佐「ご主人様の躾が行き届いてるみたいで笑」
小林「…その言い方やめてくれる?」
理佐「でも実際拾ってきたのは由依だし」
小林「自分だって反対しなかったじゃん」
理佐「私は反対も賛成もしなかっただけ」
小林「ズル…。サイレントマジョリティーなんて都合よく受け取られるだけって、知ってて言い訳に使ってるでしょ」
理佐「そりゃそう。肯定も否定もしないって最高に都合がいい立ち回りでしょ? 後からいくらでも立場変えられるし」
小林「…もういい」
口で勝てる気しないし。
理佐「…でも実際、由依がリード握ってる間はとやかく言う気は無いけど、誰彼構わず噛みつくようなら容赦しないからね。慈善事業してるわけじゃないし、お客あっての商売だし」
小林「……」
夜でも明るいこの街でも、暗がりは有って。
そんな暗がりの中で、ただただ終わりを持つように蹲る✕✕を見て、放っておくことは出来なかった。
それは別に✕✕のためってわけじゃない。
私が腐っていく人間を見ていられなかったから。
…期待が重荷になることがある。
それは知ってる。でも、それでも何も無いと塞ぎ込むよりはマシだと思う。
こんなもんだ。
そう判断するのは、走れる所まで走ってからでも遅くない。自分に夢がないなら、誰かの夢に寄り添ってみるのもいい。そうしてる内に見えてくるものもあると思うから。
菅井「…お店での彼を見てる限りだと、そんなふうには見えないけどな」
小林「…友香は現役時代の✕✕は見ないほうがいいと思う。良くも悪くも、見方が変わっちゃうかもしれない。…✕✕は友香に懐いてるし、出来たらそのまま接してあげてほしい」
菅井「…わかったよ」
大通りへ出ると、ちょうどすぐそこに空車のタクシーがやってくる。
小林「続きは向こうで」
理佐「会長にも報告しないとだしね」
菅井「うわぁ、懐かしい呼び方笑」
タクシーに乗り込み、少しだけ考えを整理する。
飼い主だのご主人様だの、そんな言い回しをされるようなことはしていない。
ただどこへ行けばいいのか分からないあいつに、一つ指針というか、目的を与えただけで。
いつかあいつが自由に生きていこうと、そう思えるようになればそれでいい。
この期待も、目的も、指針も、
そう思うまでの繋ぎで構わない。
〜〜〜〜〜
✕✕「じゃ、お先です」
土生「うん、お疲れ様」
片付けに目処がついたので、言われた通り先に上がらせてもらう。ああ言われてしまっては、残ると言っても残らせてもらえないのは目に見えている。
土生「…✕✕」
✕✕「はい?」
土生「…また明日ね」
✕✕「…はい。失礼します」
そんな顔しないでほしいんだが。
ちゃんと明日も来ますよ。
俺は夜道を家へ向かって歩き出す。
夜は好きだ。もう少し暗くて、静かで、
“誰もいなけりゃ”もっといいけど。
???「すいません」
大通りに出たあたりで、背後から声をかけられる。
店を出てすぐついてきてたから、予告なしも警戒してたけど、その手のアレではなさそうだ。
✕✕「なんすか?」
振り返って姿を確認する。
スーツを着て、ややくたびれた感じの男。
30代くらいか。見覚えのない面。
店の客ではなさそうだ。
警戒してたからか、威圧的な返事になったかもしれない。男はやや気圧されたような顔をする。
くたびれた男「…元スーパーフェザー級、全日本新人王の✕✕選手ですよね?」
意外な話が出てきて、俺は面食らう。
くたびれた男「私はこういう者でして」
取り出した名刺を、受け取ることなく一瞥する。
✕✕「スポーツ紙の記者さんすか」
記者「ええ」
✕✕「人違いじゃないですか?」
記者「いやいや、トレードマークの剃り込みの入った坊主じゃなくなりましたが、流石に分かりますよ。さっきの睨みもあの頃と変わりません」
確信持ってるなら聞くなよ。
せっかく無駄に伸びた髪、ドレッドにしてんのにそこも触れてくれねーし。
✕✕「で、なんか用すか?もう引退してんすけど」
記者「そこなんですよ。何故新人王を獲ってすぐに引退を選択したのか。その理由も明かさずだったじゃないですか」
✕✕「…そんだけ調べてんなら知ってんでしょ。獲ってすぐでもないっすし。ランキング乗って何戦かやって、最後の試合のKO打で俺は右の拳砕いたって」
記者「でも今はバーテンダーとして、不都合なく働けているようですが…」
やな感じだなぁ。
知ってるくせにネチネチと。
✕✕「…御存知の通り完治してますよ」
俺はグパグパと手を開いたり握ったり。
✕✕「けどね、人を殴れないんすよ。殴ろうとすると痛むんで」
記者「…それは精神的なものですか?」
✕✕「知らねっすよ、そんなこたぁ」
誰か分かんなら教えてくれよ。
✕✕「もういいすか?早く帰りたいんすけど」
記者「……申し訳ないとか思わないんですか?貴方に期待していた人や、夢を見ていた人に」
質問の意図が一瞬よくわからなかったが、なんとなく想像がついて、俺はつい笑ってしまう。
✕✕「カカカ…笑。っと、カカカ笑いはやめろって言われてたんだった。また怒られる」
突然笑い出した俺に困惑するキシャさん。
✕✕「すんませんね。こっちの話です。
期待かぁ…。親なしの施設育ちの不良少年が、拳一つで成り上がってく痛快青春活劇って感じっすか?
わかりやすくていいっすね。シンデレラストーリーってやつかな?…男性にも当てはまんのかな?
まぁいいや。えーと…、なんだっけ。
…あぁ、望む場所で、望まれるまま、望んだように生きれたら、そりゃあいいでしょうね。けどあいにく、そうはならないんすよ」
そう簡単にはいかんもんだ。
✕✕「キシャさんもそうなんじゃないすか?
俺みたいなオワコン待ち伏せて、誰が読むかもわかんねぇちゃちい記事書くより、華やかなスター追っかけて、センセーショナルな記事書いて、称賛浴びて、うまい飯にうまい酒、美人な女抱いて、そういう生活がしたいって、思ったことありませんか?」
初めて、キシャの表情に不快感が浮かぶ。
まぁ、当たらずとも遠からずってことなんだろう。
✕✕「ままならないっすねぇ、人生は。…もうやめにしませんか、不毛でしょ?お互い」
記者「……」
✕✕「じゃ、そういうことで」
背を向けて歩き出そうとすると、
記者「最後に一つだけ」
しつけぇなぁ…。
記者「何故、あの店なんですか? あそこは美人なスタッフ達が売りでしょう。なぜ、男性でしかも元プロボクサーなんて人があの店なんです?特に繋がりもあったとは思えないんですが」
???『貴方は狂犬でしょう?今更人間のふりなんて出来っこない。考え直したほうがいいよ』
???『私と同じ。黒い人間はどうやったって白にはなれないよ』
???『いつか誰彼構わず噛みついて、住処を追われて、淘汰される。必ずね』
くだらない話を聞かされると、くだらない話を思い出してしまうから、辞めてくんないかな。
✕✕「さぁ、俺にはわかりませんね。特に知ろうとも思いませんし。ただ…」
今日は友香さんに褒められたし、小池さんにもお礼言われちゃったし、小林さんは友香さんと話せるから機嫌良かったし。
俺もたぶん、上機嫌だったんだろう。
だからついおしゃべりが過ぎた。
✕✕「俺は黒い羊なんすよ、たぶん。悪目立ちでも何でもして、白い羊が面倒事に巻き込まれないように、ヘイトを集めるためのね…」
アンタみたいな、人の人生に土足で踏み込んで食い物にしようとする奴とか、プライベートを侵害する勘違いな連中とか、そういう面倒な奴ら諸々も含めてね。
✕✕「じゃ、失礼します」
今度こそ俺は歩き出そうとして、あることを思い出し、立ち止まる。
✕✕「今度は客として店に来てくださいよ。
プライベート削ってまでする仕事じゃないでしょ。
たまには酒でも飲んでゆっくりしたらどうです?
あいにく俺はまだ酒の飲める歳じゃないんで、酒の味はわからんすけど、モクテルも美味いんで下戸でも安心すよ。
東京神保町、櫻ビルディング一階。
BAR La Vie en Roseは、今宵も華やかなパフォーマンスとドリンクで、訪れる皆様が薔薇色のひとときを過ごすお手伝いを…ってね」
俺はそれだけ行って、歩き出す。
学がなくとも、まともな背景がなくとも、
この手さえあれば何処までも上がっていける、何でも掴み取れるって本気で信じてた。
社会のルールだとか、世間からの目だとか、そんなもんを軒並み殴り飛ばして、シンプルな世界の中、俺は俺の力で生き残っていくと本気で信じてた。
そんな夢物語は右手の拳と共に砕けて散って、完全に元通りになったはずの拳は、人を殴ろうとする度幻痛を発して、俺は俺の寄る辺も居場所も全部全部無くした。
いつだったか連れて行かれた酒場。
“ココで酒が飲めるようになる頃には、薔薇色の人生が待ってる”なんて、馬鹿な夢を疑いもせず抱いていたあの頃。栄光を夢見たその酒場で、俺は俺を終える日をゆるやかに待っている。
『踊る La Vie en Rose』
これはきっと、
夢を追って走り、
挫折して蹲る、
何処かの誰かのヒーローのお話。
--------
ライナーノーツ。
というわけで、喫茶チャイティーヨスピンオフ。
踊る La Vie en Roseでした。
想定してたよりクセの強いお話になってしまった。
チャイティーヨのEpilogueを書く頃にはざっくり内容は決まってたんですけど、いざ出力するとクセ強いな…ってなりました。
黒い羊はバーテンダーの夢を見るか。END.
NEXT.行き止まり。