踊る La Vie en Rose.3回裏
大将「今日はいい海鮮が入ってますよ」
✕✕「いいっすね、刺身盛り合わせてもらったり出来ます?」
大将「もちろん」
✕✕「じゃあ、お願いします」
大将「かしこまりました」
大将が奥へと引っ込んでいく。
理佐「…なんか随分馴染んできてない?」
✕✕「え…。まぁ、ちょこちょこ誘ってもらってますし…。こないだは初めて一人でも来ましたし」
理佐「…聞いてないんだけど?」
✕✕「まぁ…、言ってませんし?」
理佐「ふ〜ん」
なんとなく不服そうな理佐さん。
✕✕「…お誘いした方がよかったっす?」
理佐「…誰もそんなこと言ってないですけど」
理佐さんは湯呑み片手にそっぽを向く。
流石に遅くまで働いてるオーナーを飲みに誘う従業員は居ないだろうと思うんだが、一応次からは声かけようかな…。
あの日以来、時々理佐さんは子供っぽい部分が見え隠れするようになった気がする。
気を許してもらってる。そう思うことにしてるけど、いかんせん人の心なんてのはわからん。
ボクシングしてる頃は人の考えてる事や、気配のようなものを感じ取れると本気で思ってた。
よく見て、よく考えれば、察することが出来ると。
でもそれは厳密に言えば違ってて、正確には殺気とか害意を感じ取っていたんだと思う。
イラつかせて、煽って、思考を単純化させて。
そうやってこっちに向けられるものを読み取っていたんだと。
その証拠に、現場で仕事をしていても人の考えなんて読めやしなかったし、ラビアンで働いてる今も不意に2階から降りてきた理佐さんの声掛けにびっくりすることもままある。
✕✕「…理佐さん」
理佐「…ん?」
✕✕「以前言ってたみたいにビル丸ごと手に入ったら、またカウンター立ちますか?」
理佐「……どうかなぁ。けどまぁその気がないわけじゃないから、ありえるかもね」
✕✕「そっすか」
ホッとする…というか、嬉しいというか。
理佐「…✕✕は立ってほしいの?」
理佐さんは俺の顔を覗き込むようにして言う。
✕✕「まぁ、そうっすね…。俺が初めて行った時は小池さんも理佐さんもカウンターに立ってて…。やっぱりまたそんなLa Vie en Roseが見たいなって」
俺が憧れた、薔薇色の人生を夢見たLa Vie en Roseは、やっぱりその姿が一番しっくり来る気がする。
理佐「まぁ、悪くないね。またそういう時間が取れるのは…」
✕✕「是非」
理佐「…高校の頃、私と由依は地元のライブハウスでバイトしてたんだけどさ。スタジオが併設されてて、そこの一番大きい部屋はダンス部員みんなで踊れるくらいの広さがあったの。…そこでみんなであーだこーだ言いながら練習するのが好きでね。…たぶん私は、自分達でそういう場所を作り上げたいのかなって、最近はそう思う」
理佐さんの戦う理由というか、得たいものというか、そういうものがそれなんだろう。
なら、心配ない気もする。
理佐さんがそれを望んで、客や俺もそれを望んでる。スタッフの皆さんもきっと喜ぶだろう。
✕✕「しかし小林さんと理佐さんがバイトするライブハウスか…」
理佐「なに?なんか気になる?」
✕✕「いや、偏見丸出しで申し訳ないんすけどナンパとか凄そう」
理佐「なにそれ笑 まぁ、無くはないけどね」
ケラケラと笑って、理佐さんは続ける。
理佐「そういう出会い方には興味無かったし、由依は…」
そこまで言って、理佐さんはハッと口をつぐむ。
✕✕「どうかしたんすか?」
理佐「いやぁ…これ言ったら✕✕が嫉妬しちゃうかなぁって笑」
✕✕「なんすかそれ。彼氏いたとかって話っすか?」
いても不思議じゃないでしょ、普通に。
理佐「彼氏ってわけじゃないけど、仲良いお客さんがいてね。私としては悪くない雰囲気だと思ってたんだけどね〜」
おしゃべりが過ぎたかなと、理佐さんは楽しそうに言う。バレたら怒られるって割にはホント、楽しそうだった。
理佐「ちなみに私にはそういう人いなかったから」
どこかニヤニヤとしながら、俺を見る理佐さん。
✕✕「なんの報告なんすかそれ笑」
そうやって笑ってると、大将が奥から出てくる。
大将「お待たせしました刺盛りです」
✕✕「ありがとうございます」
提供すると、大将はまた奥へと引っ込んでいく。
職人だなぁ。
理佐「…ね」
すっと理佐さんが俺に近づく。
✕✕「なんすか?」
俺は思わずちょっと離れる。
理佐「…なんで逃げんの」
✕✕「…別に逃げてないっすよ」
ややドスの効いた声にたじろぐ。
理佐「……海老、1本くれない?笑」
意外なお願いだった。
✕✕「…別にいいっすけど、好きなんすか?」
理佐「海老はね、昔っから好き笑」
ちょっと照れくさそうに言う理佐さん。
✕✕「どぞ。なんなら2本ともあげますよ」
理佐「へへ、やった笑」
そう言って子供っぽく笑う。
理佐「大将〜」
大将「はい?」
理佐「日本酒をグラスで。…少し華やかなのを」
大将「かしこまりました」
✕✕「すいませんね、酒は付き合えなくて」
理佐「別にそこまで求めてないから笑」
大将「お待たせしました」
理佐さんの前に酒の入ったグラスが置かれる。
✕✕「大将」
大将「はい」
✕✕「すいませんけど、同じグラスにお冷いれてもらえますか?」
大将「…もちろん」
大将はすぐ察してくれて、理佐さんと同じグラスにお冷を注いでくれる。
大将「ごゆっくり」
そう言って大将はまた奥へと引っ込んでいった。
✕✕「酒は付き合えないっすけど、雰囲気ぐらいなら付き合えるんで」
俺はグラスを理佐さんに突き出す。
理佐「変な気の回し方しちゃって笑」
✕✕「接客には必要でしょ?」
理佐「…そうかもね笑」
グラスを軽く掲げて乾杯。
ふと、思い立った言葉があって。
けど、それを口にしていいか悩む。
小林さんの手伝いを終えて、その結果がどうであれ何かが変わるのか、何も変わらないのか。
…もし何も変わらなかったら、俺はどうなるだろう。
また、何もかも終わりにしたくならないだろうか。
俺は俺を終える日を待っている。
その気持ちは今も薄れつつあるものの、消えてはいない気がする。
だから、この言葉を口にしていいか悩む。
けど、同時に思う。
そうやって言葉にして、未来に置いておけば、終える日を先延ばしにしようと思えるかもしれない。
それが何度も続けば、そのうち心から先を望めるようになるかもしれない。
✕✕「理佐さん」
理佐「…なに?」
✕✕「……20歳になったら、そん時はお酒も付き合いますね」
理佐「……約束だからね」
すっと理佐さんは小指を立てる。
そんな様子もどこか子供っぽい。
✕✕「…はい、約束っす」
俺も小指を立てて、指切りをする。
未来に約束を置いておこう。
その約束を果たすためにも、先を望もう。
まずは小林さんの夢を叶えるために力を尽くす。
そうすりゃ小林さんの作る酒を飲む時も、理佐さんの酒に付き合う時も、こうやって屈託なく笑える気がするから。