踊る La Vie en Rose.#5 二律背反。
???「新人王、おめでとう!」
✕✕「新人賞?おめでとう」
ジュースの缶をぶつけ、俺達は互いの健闘を祝う。
???「なんで?付きなの笑」
✕✕「よくわからんから」
それが素直な感想。
???「まぁ、これで読み切りが載るのは確定!」
✕✕「ほぉ?」
???「まぁ、連載持てるかはこれからの頑張り次第かなぁ」
✕✕「ふーん」
???「もうちょっと興味持ってよ〜」
✕✕「と言われてもなぁ。まだ安心できんってことだろ?」
???「まぁ、そうだけど…」
✕✕「ようやく第一歩だからな…」
???「……長かったねぇ」
✕✕「17年か…。世間一般で見りゃ短いほうじゃねぇの」
???「……」
✕✕「…ま、一般じゃねぇ俺らには長かったか」
???「…だね」
✕✕「どこまで行けっかな」
???「…どこまでも行こうよ」
✕✕「…だな笑」
???「きっと行けるよ…」
そんな何の確証もない言葉に、胸が躍った。
何の根拠もなく、信じてた。
この先続いてくLa Vie en Roseを。
〜〜〜〜〜
村山「…そんなのつけてたっけ」
✕✕「ん?」
村山はマッサージチェアに座って珈琲牛乳を飲む俺の手を見て言う。
✕✕「…感謝の気持ちだってさ」
左手の親指。
シンプルな、まだ慣れない指輪。
✕✕『いいんすか?俺指輪の値段とか分かんないっすけど、安くはないんじゃ…』
小池『そんな高いもんちゃうよ笑』
✕✕『…そうっすか』
小池『拳、握ってみ』
✕✕『…当たりますね、人差し指に』
小池『拳握るたびに、約束思い出すかなって』
✕✕『…そうっすね』
小池さんは親指と人差指で輪っかを作ると、そこから俺を覗く。
小池『見とるからな?約束、ちゃ〜んと守っとるかなって笑』
✕✕『…わかりましたよ笑』
むずがゆい感覚だ。
けど、悪くないかなと思う。
なんというか、すこしばかり心強さを感じる。
村山「…ピリピリしたりヘラヘラしたり忙しいね」
✕✕「…お前はいつもムスムスしてんな」
村山「…ハァ?」
✕✕「客商売として大丈夫なのか?」
村山「他のお客さんには愛想よくしてるし」
…それは差別なんじゃ?
村山「安心して?差別じゃなくて区別だから」
…何が違うんだそれ。
✕✕「というか俺の思考を読むな」
村山「分かり易すぎ」
✕✕「……」
マジか。
そんな顔や態度に出てるのか。
村山「都合悪くなるとすぐ黙る」
✕✕「別に都合悪くねぇし」
村山「どーだか」
✕✕「ああ言えばこう言うやつ…」
村山「だからあんたには言われたくない」
不毛なやり取りだ。
でも無意味とは思わない。
矛盾しているが、それ以上に言い表し方が思いつかない。村山とは出会ってからずっと、そうだった気がする。
乾燥機終了の合図を聞いて俺は立ち上がる。
荷物をまとめて入口へ。
✕✕「じゃ、またな」
村山「はいはい」
俺の立ち位置や戦い方、在り方や気分がどうであれ、村山は変わらずムスムスとしながらそこにいる。そういうものに何といえばいいのか、平穏とか日常を感じている。
これもきっと、依るということなんだろう。
〜〜〜〜〜
武元「なんやかんや馴染んで来てんちゃう?」
✕✕「…どうっすかねぇ」
ここ最近は武元さんと買い出しに出ることが多い。
少し前までは行かせてももらえなかったが、勉強がてら武元さんをお目付け役に、近所のスーパー等を回っている。
✕✕「…色々戸惑うことも多いです。今までと色々違いすぎて」
俺が生きてきた世界。
皆が生きている世界。
同じようで、同じじゃない。
✕✕「…いつか払拭される時が来るのかなって」
武元「来るやろ。そのうち」
何の躊躇いも迷いもなく。
武元「そりゃ✕✕はなかなか珍しい経緯やけど、誰にでも大なり小なり初めての場所で戸惑いとか違和感は感じるって」
並んだレモンを手に取ったり、表面を眺めたりしながら、武元さんは続ける。
武元「自分で自分を追い込む理由ばっか考えとったら疲れるで」
✕✕「う…」
なんとなく自覚がある。
俺は俺が特殊な人間だと思い込んで、人と違うことを正当化しているかもしれない。
人と違うのだから、人を理解できなくてもしょうがないと…。
武元「なんでもポジティブに捉えたほうが、人生楽しいで」
✕✕「難しいことを…」
武元「ポジティブな人間になれって言うてるんちゃうで? ポジティブに捉えたほうがええっていうてんねん」
✕✕「…なにか違いあります?」
武元「全然ちゃう」
…ムズ。
武元「…少なくとも✕✕のおかげで助かったこともあるし、マイナスにばっか捕らわれることはないで」
✕✕「…小池さんの件は、あれは、俺のおかげってわけじゃないです…」
俺のせい。と言ってもいい。
武元「もっと穏便なやり方もあったかもしれんけど、みぃさんがまたカウンターに立てるようになったんは✕✕のおかげやろ?」
✕✕「……」
今までの俺だったら素直に首を縦に振れただろう。
どんな過程を経ようと、結果がAならAだ。
でも今の俺はそれを素直に受け入れるのに抵抗を感じる。迷うことなく、躊躇うことなく暴力を行使したこと。しょうがないことだったとも思う。
相手は刃物を持っていたし、情をかけてやるような相手でもなかった。
けれど、当の被害者本人である小池さんは最後まで相手を思いやるような言葉を投げかけ続けていた。
今も鮮明に思い浮かぶ。
そういう言葉を投げかけられた男の表情。
泣きながら、後悔する顔を。
✕✕「…もし俺が来なけりゃ、アイツは来なかったかもしれません」
武元「…でもそれやったらみぃさんは今もカウンターには立てへんままやったかもよ」
✕✕「……」
わかっている。
こんな考えに意味はないって。
考えたところでもう終わったことなのだ。
今更何も変わらない。
やはり、AはBに変わったりしない。
けれど…。
武元「…ぼ〜っとしてたら勉強ならへんで」
✕✕「…すんません」
俺もレモンを手に取る。
武元「選び方覚えとる?」
✕✕「ツルツルしてて、重いやつです」
武元「よし」
並んでレモンを選びながら、視線をこちらに向けることなく武元さんが呟く。
武元「一個ずつでええねん。一個ずつで。地道に行こーや」
✕✕「…っすね」
武元「…次は保乃かな」
✕✕「……」
武元「ここまで来たら理由というか、訳あってのことやってわかってるけど、本人は色々思ってることあると思うで」
✕✕「…そうですね」
武元「…意地でも通さなあかんことなん?」
✕✕「…どうなんでしょう」
今、俺は自分に揺らぎを感じてる。
培ってきたあれやこれが、もう信用できるものではなくなっている。だからこそ、揺らがない自信が必要な気もする。けどそのために誰かに当たることを良しとしていいのか?
生きることは依ることだと、友香さんは言った。
けどこの依り方は、許されることだろうか。
〜〜〜〜〜
武元「戻りました〜」
✕✕「お疲れ様です」
理佐「おつかれ」
店に戻ると珍しく理佐さんが出迎えてくれる。
✕✕「珍しいっすね…」
いいながら俺は店内を見渡す。
いつもいるべき所にいるべき人がいなかったから。
✕✕「…小林さん、まで来てないんすか?」
理佐「由依、体調不良らしくて今日は休ませる」
✕✕「…マジすか」
理佐「こじらせたり、インフルだった場合しばらく休ませるから」
✕✕「え…、コンペの2ndステージ明後日っすよ?」
理佐「しょうがないでしょ」
✕✕「…まぁ、そうですけど」
理佐「その場合は代役立てるしか」
✕✕「……ん?」
代役…?
理佐「……ルールちゃんと読んでないとか言わないよね?」
✕✕「っ…すぅ〜」
理佐「どういうリアクション?」
土生「えーとね、今回のコンペはお店で参加登録してて、基本は申請したバーテンダー2人での出場なんだけど、事情がある場合1人はお店に所属してるバーテンダーを代理で出せるんだよ。今回みたいに体調不良だったり、怪我でパフォーマンスが出来ないとかね」
✕✕「なるほど?」
理佐「…読んでないでしょ」
✕✕「……さぁ、どうでしたかね?」
理佐「まったく…」
✕✕「それで、代理出るとしたら誰が出るんです?」
理佐「……由依が保乃に頼みたいって」
✕✕・保乃「……え?」
〜〜〜〜〜
✕✕「お疲れ様です…」
営業終了後、店先で見送りに出てきてくれた小池さんに頭を下げる。
小池「…お疲れ様」
✕✕「…すいません、なんか色々」
小池「ううん、ええよ。こんくらい」
結局その日の営業は俺と田村さんが終始ギクシャクしていて、いや、俺が変に意識しすぎたせいだと思う。なんというか大きなトラブルがあったわけじゃないんだけれど、変な空気になることがしばしばあった。
小林さんの不在はお客さんも思うことはあったろうが、素直に心配の声が大きかった。穴は小池さんがカウンターに立てるようになったことで、ある程度カバーはされたけれど…。
小池「…思うことは色々あるんかな。それは直接言われへんことなん?」
✕✕「…わからないんです。俺が勝手に決めて、勝手に始めたことなんで今更…」
今更、何と言えばいいんだろう。
俺はどうしたいんだろう。
小池「…そんな顔せんといて」
ぽすぽすと頭をあやすように叩かれる。
✕✕「子供じゃねーんすけど…」
小池「子供みたいな顔しとった笑」
✕✕「んんん…」
どんな顔なんだ…。
小池「困った時は頼ってや。…あんま頼りがいある先輩やないけど」
✕✕「…そんなことないっす」
無意識に親指はめたリングに触れる。
あの一件以来、俺は揺らいでる。
その揺らぎは、俺が俺を決めかねているから。
確固たる己をまだ見定められていないから。
行く先に迷っているから。
俺はどうなりたい。
約束を守りたい。
目的を達成したい。
なら、やるべきことは決まっている。
明日には小林さんがコンペの2ndシーズンに出場できるかの判断が下される。
その時、するべきことをしよう。
そのために、俺は今晩中に覚悟を決めなくては。
✕✕「一晩、ゆっくり考えます…」
小池「うん。とりあえずしっかり休んでな」
✕✕「はい。ありがとうございます」
店内に戻っていく小池さんの背を見送って、俺はちらりと田村さんを見る。彼女はカウンターの中でこちらに背を向けて作業をしている。
俺は振り返るのを待つこともなく歩き出す。
答えの出ない問いをぐるぐると頭の中で繰り返しながら…。
翌日、大方の予想通り小林さんはインフルと診断されたとのことだった。これによって、次回のコンペは俺と田村さんのバディで出ることになる。
田村「…こんなもんやけど」
営業後、片付けを他の皆さんに任せ、俺と田村さんは店近くの何も無い公園に来ている。
田村さんは昨日のうちに今回俺と小林さんが行う予定だったパフォーマンスを頭に入れて、なんなく俺と合わせてみせた。
✕✕「…さすがっす」
複雑な気持ちになる。
この感覚はなんだろう。
田村「……」
✕✕「……」
話をしなければならない。
わかっている。
その覚悟も決めてきたつもりだ。
けれど、いざこの場になると尻込みしている。
✕✕「…あの」
田村「…なに?」
何をためらっているんだろう。
俺はあの人の手伝いをするために来たんだろ?
なら、なにも迷うことはない。
自分勝手だろうと、虫が良かろうと、目的を達成するために手段を選ぶなよ。
過程にこだわるな。
1は1だしAはAだろ。
けど、そうやって考える事で、迷うことで守れるものがあるなら。そうすることで穏やかに眠れる誰かがいるなら、こうやって皆が穏やかに笑えるなら。
俺は…。
✕✕「……すいません、いつも態度悪くて」
こんなにも言葉にすることに躊躇いを覚えるのは初めてかもしれない。
田村さんは何も言わない。
静かに俺の言葉を聞いている。
✕✕「…その、俺は…田村さんに負けないように…っていうのはなんか違うか…」
なんど整理しても、うまい表現が見つからない…。
✕✕「認められなきゃ…と思いました。少しでも田村さんに追いついて、一つでも追い越してってしないと、誰も納得しないと言うか…」
何を言っても言い訳がましくなってしまう。
会話の順序もめちゃくちゃだ。
✕✕「…小林さんとバディを組む以上、それにふさわしいって周りに認めてもらわないといけないって。そのためには、お店の皆さんにも負けない実力を見せないと」
これは誰に対する、何に対する言い訳なんだ。
✕✕「…本気の、情け容赦ない田村さんと張り合うことが必要だと思いました。もし俺がいい奴だったら…、いい後輩だったら、田村さんはやり辛いというか…俺に気を使ったり、俺の成長を喜んだりしちゃうかなって…」
言葉にして恥ずかしくなる。
田村「なにそれ…」
口を開いた田村さんの言葉は、俺にとって予想だにしないものだった。
田村「…関係ないやん、そんなこと」
✕✕「…え?」
心なしか、田村さんの表情が曇る。
田村「…私への態度とか、いい後輩とか悪い後輩とか関係ない。由依さんが認めて、連れてきて。由依さんの夢叶えるために頑張ってるのなんか見てたらわかる。みぃちゃん助けて、また一緒にお店に立てるようになったんも、✕✕の助けがあったからやん」
じっとこちらを見つめる目に、気圧される。
田村「あの日、酔ったお客さんに絡まれた時に助けてくれたんも✕✕やん。…私にどんな当たり方したって、そんなんは関係ない。後輩の成長喜ぶなんて、先輩として当たり前の事や」
俺は最早、思考することすら出来ない。
田村「見損なわんといて。私はそんな狭量ちゃうから」
そう言うと、田村さんは踵を返して公園を出ていく。俺はその後を追うことも、声をかけることもできずに立ち尽くすしか出来なかった。
何故…?
だって、誰だって、
悪意や敵意を向けてくる相手なんて、思いやれるわけがない。
誰だって普通、自分のことでいっぱいいっぱいだ。
なんでそんな相手にまで、そんな風に思える?
このまま何もせずに放っておいて、いつか突然あんたが店に顔を出さなくなったら、その時私はきっと後悔する。そうならないために、私は私にできることをしたい。
慣れなきゃいけないよ、甘えることに。頼ることに。依ることにね。もちろんその上でそうさせないために頑張ること自体は素晴らしいことだと思うけどね。…でもそれを常に続けるのは、だめだよ。心も身体もついてこなくなっちゃうから。
こんなことのために✕✕を迎え入れたわけじゃない…。でもそう思われても仕方がない扱いをしてること。
ごめん…。もっと、私がうまくやれてたら、もっと上手に接してあげてたら、こんなことにはならんかったかもしれへんのに…、ごめんな…。
短い時間だけど、沢山言葉を聞いた。
ずっと、違和感だった。
分からなかったから。
何故、そんな人に寄り添えるんだろう。
どうして、そんなことが言えるんだろう。
誰だって、心地のいい間柄でいたいはずだ。
みんな自分にとっていい人、都合のいい人間とつるんでたいはずだ。
なのにどうして、
なんの縁もないただの客に、道を標してくれるんだろう。
これから入る見ず知らずのやつに、そんな親身になってくれるんだろう。
入ったばかりのただの新人に、そんなに気を使ってくれるんだろう。
自分に危害を加えようとした人間に、そんな気遣いができるんだろう。
こんな生意気で態度の悪い後輩なのに、成長を喜ぶなんて当たり前って言えるんだろう。
俺には、そんなの…。
土生「…✕✕」
いつの間にか伏せていた顔を上げると、土生さんが立っている。
✕✕「土生さん…」
土生「こんなとこでぼーっとしてると風邪ひくよ」
✕✕「……」
土生「…詳しいことは聞いてないけど、✕✕なりに何かを変えようとしたんだよね?」
✕✕「…俺は自分勝手なんです」
ずっとそうだった。
周りのことなんて関係ない。
俺は俺がしたいようにしてきた。
ここに来てからもそう。
俺がしたいから、
田村さんに絡む酔っ払いに喧嘩ふっかけて、
小林さんの手伝いをすることにして、
小池さんの付きまといに対処して、
それも全部、俺がしたいと思ったからだ。
誰かのためじゃない。
それが結果たまたまうまく言っただけで。
✕✕「…俺は小林さんとバディ組んで、コンペに出ないかって誘いに乗ってからずっと、認められなきゃいけないって思ってました。お店の人達や、お客さん達から…。土生さんや武元さんが出ないなら、田村さんと小林さんが組むのが自然かと思いました。だから、田村さんに負けないようにしないとって…」
別に誰かに言われたわけじゃない。
俺が定めた目標と言うか、勝手に決めた事。
そうしないと誰も納得しないだろうって。
そう、俺が思ったから。
結局のところ、それは俺が俺を納得させるための方便なんじゃないだろうか。どこまで言っても、俺は俺の事ばかりなんじゃないか。
嫌になる。
前はこんなことは思わなかった。
自分のことは自分のことだ。
自分の手で、掴み取りに行くものだった。
周りなんて関係ない。
自分に由って生きていたから。
でも今はどうだ?
散々人に依ってるくせに自分本位で、自分勝手で。
ほんとうんざりする。
✕✕「…俺には一生、人の気持ちなんてわからないのかもしれません」
土生「…悲しい?」
✕✕「…?」
土生「…寂しい?」
✕✕「……」
俺は…。
✕✕「……そうかもしれません」
うん。
それなら、納得できる。
今のこの気持ちも。
✕✕「俺はこれから先も、きっと皆さんと同じように笑ったり、泣いたり、怒ったりできないんじゃないかって。一緒にいても、一緒の気持ちにはなれないんだろうなって」
今更人間のふりなんて出来っこない。
黒い人間はどうやったって白にはなれないよ。
✕✕「…それが、怖いのかもしれません」
どうあがいたって、俺は結局灰色の半端者なんだ。
土生「…ずっとそうだったの?」
✕✕「ずっと…、ですか?」
土生「小さい頃から、そう思ってたの?」
✕✕「…いえ、ここに来てからかと」
そっか。
と、土生さんは笑う。
土生「ここに来て、みんなと会って、色々あって、変化があったんだね」
変化…。
土生「今まではそれで良かったのかもしれない。けど今はこのままじゃダメだと思ってるんでしょ?」
一緒である必要はないと思っていた。
同じ方向さえ向いていれば、それでいい。
それだけで十分だと。
けど、今俺は怯えている。
皆と同じじゃないことに。
利だと思っていた人とは違う自分が、今は恐ろしく、寂しく思える。
土生「そうやって一緒でありたいと思える人が居ることは、たぶん素敵なことだと思うよ。望んでも、必ず手に入るものではないし、必ず出会えるものでもないから」
✕✕「……」
土生「✕✕は、それを今まで自覚したことがなかったんじゃないかな。出会わなかったのか、それとも当たり前すぎて気づけなかったとか」
土生さんは俺の手を取る。
土生「だから、焦らなくていいよ。一つずつ知っていけばいい。自覚していけばいいよ」
一個ずつでええねん。
一個ずつで。
地道に行こーや。
そういうことなのかもしれない。
土生「縁はね、結ぶ事自体は難しくないよ。でもその縁を太くしたり、強くしたりするには、相応に努力しなきゃいけないと思う。時には傷ついたり、傷つけたり、傷つけられたりすると思う。でもそうやって強くなった縁はね、簡単には切れないんだよ。
けど、一度切れてしまった縁を結び直すのは難しいから。大事にしないといけない。みんなおっかなびっくり触れ合って、切れないように縁を育ててるんだと思う」
土生さんは俺の親指にはめられた指輪に触れる。
土生「荒っぽいやり方になっちゃったかもしれないけど、たしかにここにも縁は繋がってるでしょ?
傷つけたかもしれない、傷ついたかもしれない。
でも✕✕が一生懸命向き合って、繋いだ縁だよ」
あぁ、そうか。
わかる。
今なら、分かる。
土生「大丈夫。ここにはそうやって縁をつなぐことに付き合ってくれる人ばかりだから。
正しければ正しいって、間違ってれば間違ってるって、ちゃんと言うよ。真正面から向き合えば、きちんと向き合ってくる。そういう人達だよ。保乃ちゃんもね」
そうだ。
俺がきちんと、こういう気持ちを持っているって話して、その上で向き合っていれば、田村さんは俺の成長を喜ぼうがなんだろうが、どういう後輩であろうが、きちんと向き合ってくれたはずだ。俺の想いを汲んで、先輩として壁になってくれたはずだ。
それなのに、俺は一人で勝手に色々思い込んで、のらりくらりと向き合いを拒んでた。
だから田村さんは怒ったんだ。
傷つくことも傷つけることも覚悟せず、都合のいい風に振る舞って。俺は、だから、ずっと複雑な気持ちになってるんだ。
土生「…出来ればね、私は✕✕にも、そんな風に縁をつないでいってほしい。苦しい事も悲しい事も、きっとあるけど、その時は支えるし、きっと後悔はしないから」
✕✕「…はい」
覚悟を決めよう。
約束果たす。
そのためにやるべきことだけをやる。
それではダメなんだ。
約束を果たす。
そのために出来ることはすべてやるんだ。
そうじゃなきゃ、いつか何処かで立ち止まる日が来る。そうならないために、走り続けるために、全部やるんだ。
人に依るっていうのは、誰かに頼るだけじゃない。
依るにたる人を見つけて、依らせるにたる人だと信用してもらうことだ。
依り合うことなんだ。
そのために、ぶつかり合うことを恐れながらでも実行することなんだ。
その夜。
アパートに帰ってからも寝つけず、俺はひたすらにコンペのパフォーマンスを繰り返した。
どれだけやっても、不安は拭えないだろう。
俺一人のことじゃないから。
コンペは、タンデムは、バディを組むってことは、
自分に由っていても完成しない。だからどれだけ足掻いても、一人ではどうにもならない。
それを刻もう。自分の中に。
この不安を。この怖さも。
自分が変わりゆく不安を。
ちゃんと、自覚しよう。
〜〜〜〜〜
✕✕「…田村さん」
田村「……」
コンペ直前、俺達は入場待ち。
✕✕「…改めて、よろしくお願いします。
それで、コンペが終わったらもう一度話をさせてくれませんか?」
田村「…後でええん?」
✕✕「はい。今はただ勝ち抜くことだけを考えたいです。勝手で申し訳ないですけれど…」
田村「……わかった。私も由依さんの夢、こんなとこで終わらせたくないから」
うん。
ここで終わらせるわけには行かない。
実況「さぁ、続いて登場するのはBar La Vie en Rose。なんと今回は小林がインフルエンザで欠場。代打で登場するのは後輩バーテンダーである田村」
解説「渡邉でもなく、土生でもなく、田村というのは少し驚きですね」
実況「今大会でもバーテンダー歴の特に短いバディとなりますが、新風は台風の目となり得るのか、Bar La Vie en Roseの入場です!」
田村「いこか」
✕✕「はい」
俺達はまばゆいライトの元へ歩き出す。
前回より緊張を強く感じる。
それを振り払うように俺は吠える。
✕✕「しゃあぁぁ!!!」
田村「っ!?」
実況「おっと、今回も吠えます✕✕笑」
解説「隣の田村が驚いてますね笑」
実況「リアクションの良さも田村の魅力と捉えるファンも多いようです笑」
解説「今回の美女と野獣コンビはやや野獣の手綱が緩そうですね笑」
田村「びっくりするやんか!」
✕✕「あっ、すいません」
実況「野獣、意外と聞き分けがいいようです。さぁ、それではお時間が来ました。Bar La Vie en Rose、パフォーマンススタートです!」
〜〜〜〜〜
土生「じゃあ戸締まりよろしくね」
✕✕「はい、すみません。気を使ってもらって」
小池「喧嘩したらあかんで〜」
✕✕「しませんよ…」
武元「二人きりやからっていかがわしいことせんようにな!」
✕✕「しませんよ!!!」
武元「笑」
コンペは無事突破。
お店に戻って、営業に加わり、そして営業終了後。
土生さんが気を利かせて、最後の戸締まりを俺と田村さんに任せてくれた。
✕✕「お待たせしました」
田村「…みんなとはいつの間にか仲良しやし」
✕✕「仲良しってほどじゃ…」
いや、そういうことじゃないな。
✕✕「…改めて。重複しちゃう話もあるとは思うんですけど」
落ち着いて、順に話そう。
✕✕「俺は元々ボクシングをやってて、この道で生きていくと思ってました。ただ、強くあればいろんな物が手に入る。難しく考えなくても、生きていけるって、そう思ってました。
そこでは人生の奪い合いをしている。俺はそう考えてます。勝てば自分の人生に価値が宿る。負ければ目減りする。奪えば奪うだけ、価値が上がるって。
だから考えないようにしました。
相手がどんな人間で、どんな生活をしてて、どんな事を思ってるのか。考えたら、奪うことを躊躇ってしまうかもしれないから。
それで、俺はそれが出来る人間でした。知らない振りして、分からない振りして、奪える人間でした」
どう思われるかわからない。
けど、それを恐れていたら、恐れて向き合うことを拒んでいたら、いつか田村さんとの縁は切れて無くなってしまうだろう。
もしかしたら、この話が終わった頃には、あっさり切れてしまってるかもしれないけれど。
それでもきちんと育てて行きたいと望むなら、体当たりでぶつかっていくしかない。
✕✕「そうやって過ごすうちに、わからなくなりました。人の事が。考えてること、感じてること。
ボクシングを続けていく限りは、それでも良かったんです。慮ることも思いやることも、必要なかったから。けど拳を砕いて、ボクシングから離れて、普通の生活をしていて、薄々気づいてたんです。
干渉をウザがって、興味のない話を聞き流して、
俺はこのままじわじわと朽ちていくんだなって」
誰とも交わらず…、いや、誰かを思いやることもせず、人の形をしたまま、中身が腐っていく。
人に依る事なく生きていくことで、人と自分の境が分からなくなっていく。
自由ではなく、自分本位になっていく。
他者と自分の違いに鈍くなっていく。
いつか、人のことなど考えもしなくなっていく。
孤高ではなく、孤独になり、孤立していく。
✕✕「施設に、仲のいいヤツがいたんです。
俺はじっとしてるのが苦手で、外で暴れ回ってましたけど、そいつは大体部屋で絵とか漫画ばっか描いてて…。俺たちは全然気も合わなかったけど、何故かよく一緒にいたんです。
きっと走り方も、速さも全然違ったけど、同じ方を向いていたから…。だから、なんとなく、心強かった。一人じゃないんだなって。
いつも店の近くのあの公園で練習する小林さんを見て、1人じゃないって思えたのも、きっと同じ理由だと思うんです」
そうやって気づく。
✕✕「…一人でいたいわけじゃないだなって、気づくんです。そうやって、勝手に仲間意識みたいなものを持って」
分かってたことだ。
あの風呂屋に通って村山と話すことも、
この酒場に通って小林さんと話していたことも。
✕✕「人を理解できないことを利点だって言いながら、俺は人を理解していると信じたくて繰り返しここにも通ってたんです、きっと」
だから、今はわかる。
✕✕「俺が田村さんに本心を話すこともせず、あぁやって振る舞っていたのは、俺は人を理解しているって信じたかったから…」
こうに違いない。
大丈夫。俺は人の気持ちを理解している。
こう振る舞っておけば、こう返してくれるはず。
✕✕「…とんだ勘違いでした。
でもそれを認めたくなかった。
けど、ここで皆さんと一緒にいるうちに、どんどん溜まっていくんです。何故。どうして。理解できない。そんな言葉が。どんどん…」
無視できないほどに。
見て見ぬふりできないくらいに。
✕✕「あの夜。田村さんの言葉ではっきり分かりました。ここまで確信を持たないように逃げていたことに、はっきり向き合って。それで気づいたんです。俺は皆さんと自分が違うことが怖いんだって」
田村「怖い…?」
✕✕「…はい。最初はそれでよかったんです。別に仲良しこよしじゃなくても、約束さえ果たせればそれで。けど皆さんと一緒にいて、過ごして、いつの間にか、自分もその中の一人になった気になって…」
その中にいるのに。
俺は皆とは同じになれない。
✕✕「怖かったんです。皆さんと一緒にいても、同じように笑ったり、怒ったり、泣いたり、出来ないんだなって思うと」
田村「……」
✕✕「そんなこと、今まで思いもしなかったのに。
ほんと、虫がいいなって…」
今更何を。
そう思わないでもない。
けれどそうやって向き合うことから目を背けていても、なんにもならない。
✕✕「…すいません。いろいろ語っちゃって」
田村「…ええよ、そんなん」
✕✕「最後に一つだけ。…俺は田村さんに負けないように頑張らないとってずっと思ってました。
けど昨日と今日、田村さんのパフォーマンスを見て、はっきり確信しました」
俺がどっかで感じてた複雑な気持ち。
✕✕「俺は、俺みたいな半端もんより、田村さんみたいな人の頑張りが報われてほしい。…一生懸命な人が評価されてほしい。勝たなきゃいけないと思いながら、負けてほしくないなんて、わけがわからない矛盾ですけど…。それが一番しっくりくるんです」
認められたいと思いながら、
それ以上にこの人の努力を尊敬してる。
✕✕「これが俺の考えていること全部です」
田村「……」
しばし、沈黙が続く。
田村「……ありがとう、話してくれて」
✕✕「いえ。もっと早く話すべきでした」
余計な面倒を田村さんに押し付けてしまった。
田村「…あんな。私は、一緒に働くみんなの事、尊敬してる」
✕✕「……」
田村「同期の唯衣ちゃんも、先輩の皆さんも。
……由依さんはな、学校卒業しても少しの間、部に顔を出し続けてくれてん…」
ラビアンで働く皆さんは、同じ学校のダンス部に所属してたって、聞いたことがある。
田村「そんな由依さんに恩返ししたくて、私と唯衣ちゃんは東京出て来て、ラビアンで働くことにしたんよ。…だからな、由依さんが✕✕を働かせたいって言った時も、私達は気持ちの上では何の迷いもなく賛同した。勿論経営面とか、お店の雰囲気とか、そういうのもあるからすぐにオッケーが出たわけやないけど…。けど、私は、あの日助けてくれた✕✕やから、大丈夫やと思った」
酔った客に、喧嘩を売って追い出したあの夜。
小林さんが俺に声をかけた夜。
田村「…だから、実際働き出した✕✕の態度には、ちょっと困惑した」
✕✕「…すいません」
田村「…ううん。なんか理由はあるんやろうなって、そう思ってたから。…嫌やったんは、その理由を話してくれへんかったことかな」
✕✕「……」
田村「…ごめん、責めるみたいになってもうた」
✕✕「いえ…」
田村「とにかく!せっかく出来た後輩やのに、悩んみとかも相談してもらわれへんくらい頼りない先輩なんやって凹んだ!」
✕✕「…すんません」
田村「他のみんなと着々と仲良うなってんのになんで保乃だけ!?ってなった!!」
✕✕「……すんません」
田村「…そんだけ」
✕✕「…え?」
田村「だから、そんだけ。…私が言いたいんはそんだけ。前も言った通り、私は由依さんが信用して連れてきた✕✕なら、文句ない。あの日丁寧なやり方ではなかったかもしれんけど、私は助かったし、一緒に働いてみて、一生懸命さも伝わったから」
田村さんは笑う。
田村「それで十分」
✕✕「……」
あぁ、そうだった。
この人も大概、お人好しなんだった。
田村「でもこれからは普通に話してくれるんやんな?」
✕✕「あ、はい。すいません、自分勝手で…」
田村「よーし!」
✕✕「え、え〜と?」
田村「やっと、後輩を後輩扱いできる〜!」
✕✕「…?」
田村「も〜、ず〜っと気使ってたから大変やったんやで!」
✕✕「あ、はい…」
田村「これからどんどん世話焼いてくから覚悟してな!」
✕✕「え〜…」
田村「なんで嫌そうなん!?」
✕✕「いや…嫌じゃないっすけど…」
田村「じゃあなに〜?」
✕✕「あ〜、いや…、なんもないです」
田村「よし!」
う、う〜ん…。
これまでの態度があれだった分、何も言えない。
田村「じゃあ、戸締まり確認して店出よか!」
✕✕「あ、はい…」
田村「順番に教えていくから着いて来てな!」
✕✕「はぁ…」
しょうがない。
大人しく後輩に徹しよう。
田村「✕✕!」
✕✕「はい?」
それはそれは飛びっきりの笑顔で。
田村「改めてよろしくな!」
✕✕「…はい笑」
あぁ、なるほど。
この人のファンはこれを見に来てるんだな。
二律背反。END.
NEXT.鉄風よ。