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EX2 My Favorite Things


〇〇:「はい…、はい。はい、よろしくお願いします」

とあるスタジオのドリンクステーション。
概ね電話は控室ではなく、こういった場所で行うのが習慣化している。
せっかくの空き時間はメンバー同士の交流が活発に行われてほしいので、電話中だから静かにしようなどと気にしてほしくないのである。

〇〇:「はい、失礼します」

通話を切り、残りわずかとなった缶のおしるこを飲み切ると、ゴミ箱へ投下。
もうじき次の冬までお別れになりそう。

??:「あ、やっぱここだった」

どこか聞き覚えのある声に視線送ると、小柄で顔のちっちゃい人。

齋藤:「よっ」
〇〇:「……いやいやいやいや!何やってんすか!」齋藤:「うっさ」

齋藤飛鳥という人を一言で語るのは難しい。華奢で可愛らしいルックスは、それこそアイドルらしいかもしれないけれど、この人を推す人はその感性やセンス、振る舞いに惹かれている部分も大きいと思う。
その内面をもっと知りたくて近づいていくと、スルリと離れていって、いつの間にかどこまでも追っかけて行ってしまうような。そんな人。
なんだけども。

〇〇:「いやいや…、ご無沙汰してます」
齋藤:「急に落ち着くじゃん」
〇〇:「いや、急はそっちですよ…。どしたんすか」齋藤:「雑誌の撮影してた」

言葉足らず〜。

〇〇:「じゃなくて〜」
齋藤:「うっさいな〜。撮影終わりに時間あったから様子見に来たんじゃん」
〇〇:「…メンバー、控室いますよ?」
齋藤:「知ってるわ…!」
〇〇:「あ、そこはご存知だった」 
齋藤:「そっち挨拶行ったら居なかったの〇〇だし」〇〇:「あ、すいません。わざわざ来てもらって…。もう少し時間あるんですか?」
齋藤:「いや。ない」

即答。

〇〇:「あら〜…」
齋藤:「わかりやすくしょげるじゃん笑」

いや、そりゃね…。
半年?もっと?ぶりだし。

〇〇:「せめて玄関まで送りますね…」
齋藤:「大げさだなぁ」

玄関口へ向かいながら、ぐるぐると頭の中に色々と思い浮かぶのだけど、いざ口にしようとするとなんだかためらわれてしまうのは何故なんだろう。

齋藤:「今日何時まで?」 
〇〇:「え?え〜と、今日は早めの予定です。20時とか21時とか」
齋藤:「ふ〜ん…」

世間話をしながら歩いていると、曲がり角から整った顔立ちの少女が現れる。

井上:「あ、よかった。見つかったんですね」
齋藤:「ありがと〜。すぐ見つかった」
井上:「…LINE、したんですけど」
〇〇:「えっ、…ホントだ」

控室方面からやって来た井上に言われて、スマホを確認すると、確かに通知が来ていた。

〇〇:「ごめん、通話中だったかも」

わざわざ送ってくれたのに、未読でスルーになってしまった。

齋藤:「〇〇」
〇〇:「はい?」
齋藤:「スマホ」

彼女はそう言って手をこちらに差し出す。

〇〇:「…はい」

その手の上につい今しがた操作を終えたスマホを置く。

齋藤:「これ仕事用?」
〇〇:「はい」
齋藤:「じゃなくて」

つっかえされたので、プライベート用のスマホを入れ替わりで渡す。

齋藤:「ロック!」
〇〇:「あぁ、はいはい」

ロックを解除して、再度手渡す。
しばらく自分のスマホと交互に操作する彼女。

齋藤:「はい。今日終わったら連絡して」
〇〇:「え、あ、はい」
齋藤:「じゃ、二人ともお疲れ」
井上:「お疲れさまです!」
〇〇:「あっ、お疲れさまです…」

スタスタ歩き去っていく背を見送ると、自然と井上と顔を見合わせる。

井上:「…で、なんだったんです?」

何故か不機嫌そうに井上が聞いてくる。
最近、ちょっと当たりが強い気がする。

〇〇:「え〜と…」

スマホの画面をみると、よく見る画面に見慣れないアイコン。

〇〇:「…LINE。登録してもらった…」
井上:「…えっ!?」

今晩、一体何が待っているのだろう…。


〜〜〜〜〜〜

結局何故か終始ご機嫌斜めな井上を送り届けて社用車を返却し、タクシー移動。

『このビルの地下2階の防火扉開けて、その先の小さい扉開けた先』

仕事終わりのLINEに返信されたのは、とある住所のマップとこの一文。まぁ、ここに来いっていうことなんでしょうけども。

〇〇:「入りづら…」

防火扉はイミテーションで、言ってしまえば知らない人間を排除するための門番。隠れ家と言えば聞こえは良いが、こんなん知らんかったら誰が入るんだ…。小さい扉は本当に小さいので屈んで潜り込む。

〇〇:「うぉ……」

入口の狭さに対して、中は思ったより広く、スペース最奥にはピアノとドラムセット。

△△:「こんばんは」
〇〇:「あ、どうも」

入口すぐのバーカウンターから、スタッフさんが声をかけてくれる。

△△:「どなたかのご紹介ですか?」 

そりゃこんな隠れた所は、初見の飛び込みなんてありえないので見慣れない顔はそう聞かれるに決まってる。

〇〇:「えっと、ツレが来てると思うんですが…」△△:「どうぞ」

にこやかに奥へと案内される。

齋藤:「お、来た」

ピアノやドラムセットが並ぶ店の奥。
彼女はその片隅の本棚を眺めていた。

〇〇:「言いたいこと聞きたいことがありすぎて何から始めたものか…」
齋藤:「この辺から始める?」

スッと手渡された紙を受け取ると、それが楽譜だということが分かる。

〇〇:「いやいや…飛鳥さん」
齋藤:「飛鳥“さん”?」
〇〇:「あの…」
齋藤:「飛鳥…“さん”?」
〇〇:「…飛鳥ちゃんさ、そろそろちゃんは呼びはアレだって…ご卒業なさったしさ…」

齋藤:「それ関係あんの?」
〇〇:「いや、なんというか…」
齋藤:「自分がつい、ちゃん呼びしちゃうって言い出したんじゃん」

いや言いましたけど、乃木中見てたらバナナマンさんが飛鳥ちゃん呼びしてるから、つられて呼びそうって言ったらもうずっとこれ。何年このやりとりしてんの。
基本ああ言えばこういうの得意だけど、飛鳥ちゃんと山さんには勝てる気がしない。

〇〇:「というか今はその話がしたいんじゃなくて…」
齋藤:「なに?」
〇〇:「今どういう状況なんです…?」
齋藤:「練習、付き合ってよ」

彼女の指差す先はドラムセット。
あぁ、そういう…。
いや、もっと適任というか、俺である必要…。
と、言いたいことは色々出てくるけども、言った所でまた言い負かされるだけな気がする…。

〜〜〜〜〜〜〜

んで、結局こうなると。
グランドピアノなんて何年ぶりに弾くんだ。乃木坂の運営に加わる前、もっと言えば物心ついた頃からピアノには触れてた。
ジャズ好きの親の影響で音楽を始めた俺は、そのうち音楽で生きていくなんて大層な夢持って家を飛び出して、順当に夢打ち砕かれて、ここにきて。
そして、何故か、今、ピアノの前に座ってる。

〇〇:(いやいや、お付き合いだし…)

知らず知らず深く息を吐く。
チラリと飛鳥ちゃんに視線を送る。
彼女は確かめるようにキックペダルを何度か踏み込むと、こちらへ視線を返す。どうぞ。とでも言うようにこちらへ手のひらを向けた。

なるようになれ。

ゆっくりとスタートを切ると、譜面をなぞる様に指を動かす。
楽譜通り鳴らすだけならなんとかなるだろう。すぐに飛鳥ちゃんのドラムも動き出す。形になっているはず。演奏自体はうまくいっている。はずだ。
はずだけど。
なんだろう。
このきごちなさは。
この窮屈さは。
この息苦しさは。
こんな風に音楽をしていたっけ。
音楽ってこんなだっけ。
あの頃は、ただただ楽しくて、夢中で。

今は、なんのために?

サラサラと譜面が流れていく。
何が何やらわからぬまま、曲は進行していく。

〇〇:(ソロが来る)

飛鳥ちゃん、ソロ叩くかな。
そう思いながら、視線を送ると彼女は顎でこちらを指した。

〇〇:(…俺が弾くの!?)

迷う間もなくソロに突入。
どんな風に弾いてたんだっけ。
当たり障りなく、大きく逸脱することもなく、それなりの流れを進めて。
この音楽はなんのために鳴ってる?
誰のために?
これは誰が楽しい音?

もうじき終わるソロから戻るために三度飛鳥ちゃんへ視線を送る。
じっとこちらを見ていたのか、すぐに目が合う。彼女はこちらを見ながらくるくると指を回した。一瞬、戸惑い、すぐに理解する。

齋藤:(もう一週行け)

心でも読まれてるのかと錯覚する。もしくは、自分の音がそれほど酷かったのか。

どっちでもいいや。
もういいや。

難しいこと考えた所で、今の自分にはできやしないんだから。もういい。

どうとでもなれ。

この音楽で飯食うわけじゃあるまいし、
この音楽でギャラが出るわけじゃあるまいし。
この音は、俺が楽しむための音だ。
誰かのためにじゃない。
俺が、俺のために鳴らす音だから。

指、もっと早く動いただろ。
指、もっと強く鳴らせただろ。
指、もっと繊細に表現出来たろ。

悔しいな。
窮屈だな。
息苦しいな。

けど、楽しいな。

心の何処かで、ずっと見て見ぬふりしてた。

音楽が好きだ。
聞くことも鳴らすことも。
そうやって生きていきたいと願ったほど好きだ。感じるまま、ただ音の中にいることが。

今、はっきりとわかる。

それと同じくらい。
皆が好きだ。
懸命に夢を追う皆が好きだ。
傷ついても、悩んでも、それでも立ち上がり、坂を駆け登る皆が好きだ。
それを応援することが好きだ。
そんな皆を応援することに、幸せを感じるファンの人達が好きだ。

過去を想うと、
今を蔑ろにしてる気がして躊躇われた。
今が幸せだと、
過去を否定してる気がして躊躇われた。


ずっと中途半端で。
でも簡単なことで。
どっちも好きでいい。1番を決めなきゃいけないなんてことはないはずだ。

これが俺だ。

いつの間にか息すら忘れて弾いたソロが終わる。呼吸のために顔を上げると、彼女は笑っていて。
あぁ、そういえば、この人はよく、こんな風に笑っていたっけ。

〜〜〜〜〜


何曲もぶっ通しで演奏したみたいにヘトヘトになって、鍵盤から指を離す。

齋藤:「まぁまぁよかったかな」
〇〇:「…ありがとうございます」

気がつくとパラパラと拍手の音が聞こえる。無我夢中で、いつの間にかここがお店だということを忘れ去っていた。

齋藤:「座ろ」

ピアノの譜面台から楽譜を取ると、先程の本棚へとしまう。そこ、全部楽譜なんか…。
ふらふらと飛鳥ちゃんを追い、席につく。
ピアノやドラムセットが並んだ空間は少し眩しいくらいの照明だったが、席周辺は薄暗い。

△△:「失礼します」

席についた俺達の下にスタッフさんがやってくる。

△△:「1杯奢りたいと、他のお客様から」
齋藤:「やった」 
〇〇:「?」
齋藤:「じゃあビール2つ」
△△:「ビールがおふたつ」
齋藤:「…あ、スペアリブ食べたいかも」
△△:「スペアリブで」
齋藤:「以上で」
△△:「はい。承りました」

メニュー表を閉じながら、飛鳥ちゃんは俺の質問を先読みするかのように話し始める。

齋藤:「いい演奏した人には1杯奢る。っていうのがお約束なんだって」
〇〇:「あぁ…」
齋藤:「…よかったじゃん」
〇〇:「…そうですね」

誰のために弾いたわけでもない。
自分の為に、自分が楽しいために弾いた音だけど、それでもそう思ってくれる人がいるなら、嬉しいもんだ。

〇〇:「でも良かったんですか? 目立つと声かけられたりしませんか?」
齋藤:「ないよ。ここは基本、他のお客さんと直接交流しないルールだから」
〇〇:「ほう?」
齋藤:「プロでもアマでも。有名でも無名でも。ここは好きに音楽する場所だから。評価は拍手とご馳走だけ」

小粋な文化だなぁ。

△△:「お待たせしました」
〇〇:「…デッカ」

やって来たビールジョッキは明らかに通常サイズを逸脱した大きさをしている。

齋藤:「…重いから早く!」

ややプルプルしながらジョッキを持ち上げる飛鳥ちゃん。

〇〇:「あぁ、すいません」

ガチンと音を立てて乾杯。

〇〇:「飛鳥ちゃん大丈夫?溺れない?」
齋藤:「…バカにしてるでしょ?」
〇〇:「いやいや、マジで」

飛鳥ちゃんの顔よりデカいでしょ、このジョッキ。

〇〇:「どんだけ入ってるんだ」
齋藤:「…1リットル」

ハンドルを無視して、両手でジョッキを傾ける飛鳥ちゃん。傾け過ぎたらマジで溺れないか心配。

〇〇:「そりゃ重いって」

こちらも慣れないサイズ感に戸惑いつつ、ジョッキを傾ける。疲労した身体に流れ込む、冷えたビールが心地よい。

齋藤:「どうだった?」

視線はジョッキとビールに注いだまま、彼女は言った。一瞬ビールのことかと思ったが、すぐに思い至る。

〇〇:「…楽しかったです」
齋藤:「…よかったじゃん」

先程も聞いたセリフ。けど、より優しさが滲む気がするのは気のせいだろうか。

〇〇:「…いいんですよね、楽しくて」
齋藤:「いいんじゃない」

サラッと、そう言われてしまって、そりゃあ楽しくて悪いことはない、当たり前のことだけど、そう言ってもらえることがありがたかった。肯定してもらえることが、ありがたかった。

△△:「お待たせしました。スペアリブです」
齋藤:「来た〜」

素敵な香りと、テラテラとした輝きを放つスペアリブがテーブルに着弾。 
カトラリーや取り分け皿もテーブルに並ぶ。
飛鳥ちゃんは熱さを確認するようにツンツンすると、サッと一本を手にする。

齋藤:「で、最近どうなの?」
〇〇:「ざっくりしてるなぁ」

質問しておいて、くるくるとスペアリブを回して噛みつき場所を探す飛鳥ちゃん。

〇〇:「バスラ直前ですからねぇ…」
齋藤:「そっかぁ、不思議な感じするな…」

言ってることは感慨深いけど、スペアリブかぶりつこうとしては、やめて、角度吟味して、かぶりつこうとして、やめて。を繰り返しながら言われても。

〇〇:「バスラに出ずに春が来ますよ」
齋藤:「だね〜…」

結局ちらりとこちらを見ると、スペアリブを戻してこちらに皿ごと押し出す。テーブルに備えられた紙ナプキンを飛鳥ちゃんに渡して、俺はカトラリーからナイフを手に取る。


齋藤:「バスラ前はそりゃ〇〇もソワソワするか」
〇〇:「まぁ、それはそうですね」

手を拭く飛鳥ちゃんを横目に、俺はナイフでスペアリブの解体にかかる。

〇〇:「今回、結構5期生からもセンターポジションに立つ子多くて」

骨から肉を切り離しながら、今回のバスラの構成に思いを馳せる。
初期の楽曲は既にオリメンが一人もいないのが当たり前で、それらの披露はバスラの醍醐味であると同時に、参加メンバー、センターポジションを誰が務めるのか、それらにも注目が集まる。

〇〇:「特に井上は結構高いハードルで、ちょっと心配です」

取り外した骨を取り分け皿に避けると、すっかりお肉だけになったお皿を飛鳥ちゃんへ返す。お皿の横に新しい紙ナプキンを敷き、新しいナイフとフォークを置いた。


齋藤:「それ、本人には言ってあげたの?」
〇〇:「…いえ」

ナイフで食べやすい大きさに肉をカットしながら話す飛鳥ちゃんに、俺は目を伏せ、躊躇いつつ答えた。

〇〇:「心配も、期待も、不安や負担になるかと」

進言するべきか。とも考えはした。
乃木坂にとっても象徴的な楽曲。ハードなダンスナンバー。表現力を求められる楽曲。そんなリストを、彼女はセンターポジションで披露する。
乗り切った先に得る経験は、それはそれは大きいと思う。その時はもちろん褒め称えるつもりでいる。けど、その前の心配は不安に。期待は負担になってしまいそうで。

齋藤:「うま!」

視線を上げるとモグモグとお肉を食べる飛鳥ちゃん。いや、いいけどさ。

齋藤:「〇〇はさ、何と戦ってんの?」

お肉を飲み込んだ飛鳥ちゃんが俺に問う。

〇〇:「何と…?」

ビールを流し込んで、次なる獲物をナイフで刻みながら彼女は続ける。

齋藤:「〇〇がなろうとしてるマネージャーは、今のやり方でなれそうなの?」

何と戦ってんのか。
おそらくは自分の中にあるマネージャー像と。
漠然とした。何か。

〇〇:「マネージャーって…そういうものじゃないですか?」
齋藤:「わかんない。なろうとしたこと無いから」

そう言ってお肉をぱくり。

齋藤:「…今もずっと引きずってんのかなって。4期生のマネージャーに選ばれなかったこと」
〇〇:「…え? それ、なにか関係ありますか?」

突然出て来る言葉に混乱する。

齋藤:「あだ名呼びとか、親しげな話し方とか、一緒になって泣いたり笑ったり。そういう風に向き合ってたから、4期生のマネージャーになれなかった。みたいに思ってない?」
〇〇:「……まったくない。とは言えないですよね」

4期生のマネージャーになりたかったわけじゃない。そうなるのかな。とは思っていたけれど。
5期生のマネージャーが嫌だったわけじゃない。素敵な子達だから、この子達のためにできる限りのことをしようって心から思っている。

大事だから。
そう思ってるからこそ、常に悩む。
どう付き合うべきか。どう向き合うべきか。
正しく向き合いたい。
けど、正しいってなんだ。

齋藤:「〇〇が4期のマネージャーに選ばれなかった理由なんて私には分かんないけど、〇〇が5期のマネージャーに選ばれたのにも理由はあるんじゃないの?」

俺が選ばれた理由。
あまり考えたことなかった。

齋藤:「それは〇〇の4期生に対する対応を見て、決められたことじゃないの?」
〇〇:「あ…」

それ以外の理由があるだろうか。それを見て、これから来る子達のマネージャーを任せていいだろうと、そう判断されたってことか…。
なんで気づかなかったんだろう。
いや、考えもしなかった。

齋藤:「別に今のが悪いとは言わないけど、もう少し“らしく”やってもいいんじゃない。さっきのソロみたいに」
〇〇:「そう…ですね」

やっぱり、この人のスタンスは素敵だなって思う。
この人は誰に対しても甘いわけでも、誰に対しても厳しいわけでもない。
その人にとって、必要な場所にいてくれる。
俺にとっては、付かず離れずなこの距離感が、なによりありがたい。
あの時、サクの隣にこの人がいてくれて本当に良かった。今の遠藤さくらがあるのは、本当にこの人の存在が大きいと実感する。
眼の前のジョッキを掴むと、中身を飲み干す。

〇〇:「すいません、もう1杯」

スタッフさんにジョッキを掲げてお願いする。

齋藤:「あ、私普通のサイズのビールください」

普通のサイズのあるんかい。

〜〜〜〜〜〜

齋藤:「いいの?乗んなくて」
〇〇:「はい。ちょっと歩きたい気分なので」

配車アプリで呼んだタクシーに飛鳥ちゃんに乗ってもらい、自分は同乗を遠慮させてもらう。

齋藤:「ふ〜ん、まぁいいけど」

歩きたい気分なのも本当だけど、どうせそのへんで週刊誌の記者も張ってるだろうから、卒業生の身とはいえあまり長々と一緒にいるのは良くないだろう。

〇〇:「ありがとうございました」
齋藤:「なんのお礼かわかんないけど、まぁどういたしまして」

感謝してもしきれないので、そんな感じで受け取ってもらえるとありがたい。

齋藤:「頑張りな。ちょっとだけ期待してるから」

意外な言葉に少し驚く。

齋藤:「負担になる?」
〇〇:「いえ、元気百倍アンパンマンです」
齋藤:「しょーもな笑 けど、それが答えなんじゃない?」
〇〇:「ですね…」

日々勉強だな。人間関係。

齋藤:「じゃ、またね」
〇〇:「はい、また」
齋藤:「あ…。梅にもお礼言っときな。心配してたから」
〇〇:「梅さん…。泣いちゃう」

おかぁちゃん過ぎる…。

齋藤:「梅のこと好きすぎでしょ笑」
〇〇:「カッコカワイイから…」
齋藤:「うざ笑 本人に言えよ笑」

タクシーを見送って、歩き出す。
カバンからDAPを取り出して、イヤホンを装着。
ここ最近はずっと12thバスラのセットリストを組んでリピートしてたけど、今日だけ趣向を変えよう。


-それが私のお気に入り-

My Favorite Things(jazz standard number) END… 


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