LOST 過去を日常にするための遺影
遺影と暮らす。
非日常な日常の風景
実家には、父の遺影がある。
遺影があるのは、普通のことだ。
うちの遺影が少し大きいだけ。
そう。畳二畳分かもう少し。
壁一面。そう。少し大きいだけ。
多分普通じゃない。
初めて我が家に来る人が引く遺影なんて。
もう30年近くあるから、
それが日常ではあるのだけど。
50代で夭逝した父は、高校の校長をしていたから、
学校葬をして頂き、我が家にはリムジンが迎えに来た。
内容はよく憶えていないのだけど、
壇上では、父の遺影が穏やかな表情を浮かべていた。
母が少し誇らし気で、嬉しそうだったような気がする。
帰るときに、母が遺影を持って帰ると言った。
体育館サイズの。モノクロームの。その遺影を。
本当に?持って帰る?どこに置くの?
でも、母に駄目とは、言えなかった。
無邪気過ぎて。
だから、我が家には体育館に飾ってあった遺影が
今も、ある。
永遠にこれが、日常。
断捨離が苦手な家族だ。
きっと、これからも、ずっとあるのだろう。
いつしか家族だった年月よりも、
いなくなってからの年月の方が、
遥かに長くなってきたけれど、
いまだに、もう何百回聞いたかわからない父の話が、
家族の会話の当たり前なのは、
この遺影が、いつも存在を主張するからかもしれない。
お父さん、あなたは、なかなかに大きな人です。
体育館サイズどころか宇宙規模に存在感が大きいです。
今でも。
寂しがり屋のあなたの策略だったのでしょうか?
忘れようがありません。作戦成功です。お父さん。