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没入感と感動と幸福について

休日を過ごしていて気づいたことがあったので共有したい。
最近、楽しいと思うことが随分と減った。
会社員生活を送る中で、無感情で淡々とこなすうちに私生活でも感情が死んでしまったのだ。
なんとかしないといけないと思いつつ、何をやっても楽しめず、落ち込む日が続いた。
久々にあることをしながら漫画を描くと物凄い幸福感に包まれることに気づいた。
私は精神科医youtuberの樺沢紫苑先生の動画や本をよく見るのだが、そのなかで没入感と感動が幸福感に繋がると説いておられた。
僕の経験上、それは腑に落ちた。
問題はどうやって没入感と感動を起こすか、である。
僕の経験上、漫画を描いていても辛い場合と楽しい場合の両方があった。
この違いは何なのだろうと思った。
最近、答えが出た。
義務感か当事者意識かによるものだと思われる。
つまり、時間が余ったから漫画を描く、一日3枚描かなきゃいけないから漫画を描くという目的では感動しないし没入感もないのである。
では、なぜ最近没入感を持てたか。
実は漫画を描いているときにパソコンで仕事のドキュメンタリーを流していた。
これによって2つの効果が得られた。
一つはミラーニューロンによる模倣効果である。
目の前の人が一生懸命に作業をしているのである。
これによって、作業をする雰囲気になり、没入感も持つことができた。
2つ目が仕事人のインタビューである。放送中に仕事人は仕事への熱意を語る。それに共感し、俺も描くぞ、となるのである。
これで、幸福感を持てる2つの条件である没入感と感動を持てた。
これは義務感の感覚では持ち得ない。
同じことがアニメ視聴にも言える。
僕は最近、2つのことを意識している。
それはアニメの実況をナレーションのつもりですることとアニメキャラの友だちになったつもりで感想を書くことである。
これも大事なのは当事者意識である。
今日暇だからとか、昨日も見たから惰性で、みたいな理由でアニメを観てはダメなのである。
その見方は、アニメの世界と自分の世界は別世界で無感情で無意識のうちに見てしまう。
アニメの世界を自分と地続きにするのである。
ナレーションはツッコミや解説、合いの手をすることを指す。周りから見れば痛いかもしれないが、意外と没入感を得られるし、感情も動く。
このときに冷静な現実的なツッコミをしてはいけない。
こんなの現実ではありえない!などである。これは感情を冷めたものにする。
アニメに没入するのである。
アニメを見終わったら、アニメキャラの友人のつもりで感想を書く。
このときに義務感になってはダメである。だから友人視点なのだ。
自由に実況したり感想を書くことで当事者意識をもつことができる。
これはほかの趣味にも応用できそうなので、是非試してみてほしい。
極端な話、感情を動かす環境を用意して、感情を動かすぞ、という心持ちじゃないと感動しないのである。受け身で感動することはほぼない。
以上、備忘録である。

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