約束され続ける格差是正
近代の政治を扱うにあたって、暴力は常に正義によって制されてきた。勧善懲悪という概念がある。善とは我々だ。だから滅びた者共は悪だった。と子供騙しの建前を平然と並べ立てて、てんとして恥じない事へ懐疑の念を這わせるなどなくなって久しい。街頭演説で片や日本の歴史を、心を、時には列島から目線を泳がせて煌びやかな大陸世界へ打って出るのだ、と言って毎秒起こる目の前の鈍痛を広告塔として利用した挙句に、政界へ一度入ったが最後、二度と有権者と弱者の前に現れる事が無い。もうこの頃では暴力革命など起きてはいないのに、権力が右から左へ縦横無尽に摩擦を生みながら弱者の四肢を削っている。
格差是正の本質では時間の遡及を、つまりは亡者にさえ及ぶ程の是正をありったけに行わなくてはならない時が来るのだが、軈て果てしのない時間の逆行に限界を感じた時、格差を容認して終には政治家までもが夢を語る口を使って自分の無力さを吐露し、何もかもが手遅れだったと歴史に遺るようにする。この調子で一体誰がいつ、当選した後10日以内に不幸な少年少女に手ずから金を渡すのだろうか。
日本の核保有や軍備増強の話題を選挙へ意気込む政治家が語っている動画を、アップロードの日付が最近であったことに惹きつけられて視聴した。その人はもう一度偉大な過去の日本へ戻そうと常々言っているような人間だったが、「当選しても直ぐにはできない。外国を刺激してしまうから」と言ってのけた。戦争を避けるのだそうだ。戦争を避けながら知略によって支配から抜け出すのだそうだ。拍手の音が少なからず聞こえた。
武力の均衡とはなんであったか。
初めから知略があったのはその通りだと思う。しかしその知略は武力支配で得た安息の地で練られたはずだ。極微量の未知を埋めるべく大詰めで兵力をぶつけた後に記録を取る、リベンジに備えるのが史実ではなかったか。既に支配下にあるのなら政治家1人が数年の任期で出来上がった大勢を掻い潜って武力を拡充するとは、時間を遡る困難を差し置いてまで優先されるくらいのリアリティを含んだ大望だったのか。疑念は晴れなかった。この間にも格差は庶民を縛っているのかもしれない。
我々の財産はどこへ消えたか。
ホームレスよりも猫を。そういった御坊ちゃまがいたのを連想させる。それに激昂した善良な人々は選挙に行くのだろうか。聞いた話では今も公共の場でさえ利用を拒まれる時もあるらしい。ベンチも工夫されているものをよく見る。絢爛な法治国家で弁護士を雇えないだけの誇り高く出自の明瞭な国民が、公務員に立ち退きを要求されるのは察してなお有り余る心痛が魂に肉薄するほど全身に走るのだろうと思う。その法は我々が議論した末に設けたものではなかったはずだ。現在の法律は財産ではなく負債なのだと日々熱弁する知識ある政治家の労働時間は1日の大半なのだそうだ。ホームレスの祖先は太古より懸命な営みで国土となって無関係な国民までもを育みたもうた。その土を踏みしめる子孫が健やかな労働さえままならないとは、放っておいて良い格差だろうか。獅子奮迅の勢いで当選した政治家がのうのうと国土を歩み、彼らに手ずから金を渡す日が来るだろうか。
人々の居場所を安易に奪って良いものか。
凄惨ないじめで命を絶つ若者と、それをひた隠す教育機関。教師の飲酒による犯罪や生徒にも及ぶセクハラが謹慎処分だけで済まされる世界に目をつむって、束の間にゲームに没頭する子供が依存症・中毒者と言われて逃げ込める場が1つでもあるだろうか。
子供には身に余る威力の武器が、子供のような大人によって制限されていなければ幾分か被害が出なかったのではないかと考える時がある。無論勉学の未熟な子供がその武器を正しく扱える日は来ないだろう。しかし少憩する場所は確保されるように思えてならない。
今の国家は武力均衡で出来上がり、その後安定した暮らしと人々の中から学問が発展した。オアシスを奪われた子供が再びオアシスを求めるのは何か間違っているだろうか。武力行使によらない国家の樹立を大人が実現したなら理想論でも語れば良い。理想を語る己の出自が非暴力的に神聖でないのは文明単位で免れない負債なように思う。
国民の意見を聞く主体は誰であるか。
民主主義は自然発生ではない。「国民の意見を聞くべきだ」という理不尽を前提とした制度設計だと愚考するが、聞く主体が多くの意見・思想の集合体であると大人が真面目に語るのを見て正気を疑わない子供はいない。国家規模でヒエラルキーの頂点に1人、権力者を置く前に常識で考えて意見の反映は個人単位で行われるべきだ。意見の検討は生活の中で行われるため、権力者が多くの国民と生活を共にできないと分かったら即刻権力は分散される必要がある。
国家を維持する前に国民と共に暮らすという課題を先延ばすかどうかで権力者の資質が問われる。国民が任意で権力者を裁けない距離は必要無い。
文明の恩恵とはなんであったか。
国家の強いる理不尽と文明の恩恵を比べて感謝を強要するのを見た事がある。技術は物理に依拠するが、国家の理不尽はその成り立ちに依存する。
人類の殆どは1人で生きてきた歴史が無い。少しづつ大人数で恩恵を積み上げてきたはずだ。嫌だったら出て行けと言う者は権力者でない限り、牢獄の凄涼な壁や床に染みた体温が冷めるのを厭っていつまでもそこにいる自身を写す鏡といつか運命を共にするかもしれない。最終的な目標は1人に1国家並の恩恵を持たせる事ではないのか。文字通り1人で生きていける環境と人間を人々が協力して輩出するのは得難い財産な気がする。
格差是正は順を追ってされるべきか。
似たような現象を長く続いた漫画やゲームシリーズで見る事ができる。過去の設定に縛られて何もかもがインフレしていく。予想外を起こせばユーザーの熱は冷める。作者と読者が何か足りないと思いながら最後には散る。
設計の限界はいずれ来る。格差にリセットをかけて国家が崩壊しても国民は否応なく小規模のコミュニティから始めるしかなくなる。永遠に小さな格差が大きくなるまで放置し続ける設定をいつまでもなぞる意義を正直感じない。文明の後退も招くだろうがそれだって技術を個々人に分けていない証左に思える。ともかく始点と終点を知らないまま優先順位を付けていく行為はどう見ても理性的ではない。
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