1週間に1回は思うこと
小学生の時。母に抱かれ、泣いていた。「僕、死んだらどうなるの。一生眠っているの?」
大切なおじいちゃんがみえなくなり、僕は死が怖かった。長くて100年。人間の歴史は何万年。宇宙は何億年?分からない。なにも分からない。
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死を怖がることは少なくなった。生きることが簡単ではなくなったからかな。生きることを考えるから、死と向き合ってない。
友達が言ってた。生の終わりと向き合っている人はいても、死と本当に向き合っている人は少ない。
僕も高校生から数は減った。考えて論理が進んだり、視野が広がる哲学は好きだが、どんなに考えても分からなそうなことを考える哲学を僕(今)は好んでいない。
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身体が浮いているような、夢みたいな感覚になる。僕は今の意識を失った時、どうするんだろう。一生寝ているのだろうか。会えないのかな、この人に、あの人に。
なんで生きているんだろう。「大切な人がいるから」「それに前向きな理由を加えたい」。インスタに投稿した通りだ。けれど僕は弱いから、大切な人が近くにいない時、夢に入ると、泣きそう。
「正欲」に書いてあった文を思い出す。地球に留学してる気分。
ちひろ美術館に行った。またこの時間だ。なんで生きているんだろう。考えたくなくても、何もできない時に問いかける。例えば荷物が多くて立っている時、歩いてる時。考えていると電車がきた。あ、逆だ。そっかこの駅は改札が2つあって、上り線の改札を通らないといけないんだ。ばかだな。電車に乗り、駅。バス停に歩く。
バスが来るまでまた考える。バスがきた。時計を見る。バスに乗る。動き出して気づく。違った。一つ前のバスに乗ったんだ。バスが時間通りにくるとは限らない。5つ進んでおりる。歩こう。2kmちょい。何をしてるんだ。
電車に乗ることも、バスに乗ることも、できないのか。こんな人間が生きていいのか。でも地球にはいろんなことがある。人間に優劣はないと思うが、戦争をしたいと思っている人は僕以下だ。僕以下の人間がいることに悲しくなる。生きなきゃと思う。意味があったのか、なかったのか分からない時を終え、ご飯を食べる。
泣きそう。一人でご飯を食べる時、泣きそう。僕が命を食べていいのか、また生きるのか、けど食べたい。生きたいかは分からないけど食べたい。美味しい。お肉の強さも野菜の優しさも、チョコレートの甘さも、ゴーヤの苦さも、おにぎりの温かさも胸を抱きしめる。ありがとう。僕、生きる。
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教育実習、本当に幸せだった。生きろ、生きてと言われていた。生徒が尊かった。線なんか引けないけど、自分のために我慢してお金を稼いだり、生きるために食べ物を口に運んだり、どうでもいいはずのことに感情を動かされる虚しさと違った、希望(hope)があった。大切な人が遠くにいても頑張れる人は本当に強いと思う。そうなりたい。僕はまだ弱くて、近くにいる!と思えてないと悲しくなる。生徒に生きる理由を話す分際ではないのだ、訴えたかった。ありがとうと伝えたかった。
大切な人といる時、僕は本当に考えていない。幸せで満たされている。全力で愛し、生きることを楽しむ。だけど大切な人と3日も会わないと苦しい。弱い。会うの定義は電話か、一緒にいる。音やぬくもりは尊い。去年、家族や教授が「電話しなさい。カラオケにいったら?話そう。」と言っていたのは本当に大切なことを教えてもらったと思ってる。弱い。
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けど弱い人が多いよね。子どもも大人もそんなに根本的な感情は変わらないと思う。ニュースを見ると笑っちゃう時がある。上辺だけ取り繕う大人をみるからだ。裏金議員の認めるか、認めないかは地元の支持で考えているということを凄い難しい言葉で言うんだもん。ただ「選挙で負けそうな議員は認めません」ってだけじゃん。皮をかぶった「大人もどき」が少なくない。そして僕もその部分があるし、可愛いなって思う。だめはだめだけど、人間と素直な感情は愛せる人になりたいのと同時に、「大人」な部分もある人間になりたい。教育実習の指導教員みたいな、理性と知性のある人に。子どもも等々いから表現として正しいとは思わないけど、大人もどきな部分は素直に子どもに生き、けれどしっかり大人な部分のある人間でいたいと思ってる。
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生徒が書いてたな。「なりたくない自分になりたくないから。生きたい?と問われても素直にyesとは言えないけれど、明日死んで家族や友達が悲しんでいるのを見てそのときに初めて自分の価値に気づく人にはなりたくない」。
なんて強く美しいだろう。すごい、本当に。とても共感する。死んだらだめなのと思うけれど、自分の価値に気づいていない愚かな人なんだろう僕は。自分にそう言い聞かせるしかない。もし誰かを悲しませるなら生きなきゃいけない。大切な人にもっと近くにいて欲しくても、生きろと自分を鼓舞したい。言葉にしたら少し楽になった。