なんじゃ

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最近の記事

唯川恵さんの「息がとまるほど」を読みました。

個々の作品というよりは底流しているテーマや余韻といったところに興味がそそられる著書でした。 具体的なテーマではないのですが、主人公をシニカルに眺める第三者的な目や、主人公が自虐的にふるまっているかのような動きなどといったものが、サブテーマとして共通していたような感じがしました。 余韻・・・についていえば、読了後の後味が良いものと良くないもの・・・。 あるいは、一般的な価値観においてハッピーエンドとそうでないもの・・・。 まあ、白黒つけるばかりでもなく、グレーにするばかり

    • 大島真寿美さんの「ワンナイト」を読みました。

      見覚えのあるタイトル・・・ありふれた言葉であれば、よくあることですけど・・・・。 読み始めてから、やっぱり・・・。 どうして裏表紙のあらすじ読んだときに思い出さないかなぁ(^-^; でも、二度もタイトルに引っかかったんだからきっと面白いに違いない・・・ということで再読をすすめると・・。 今回の方がはっきり感じたことがあります。 物語を形作るとっかかりは、「婚活」のための「合コン」でしたが、ありふれた身近な人間関係の中で、合コン参加者とその周囲の人たちが織りなす割と常識的なス

      • 山崎ナオコ―ラさんの「この世は二人組ではできあがらない」を読みました。

        人間の社会性・・・ざっくりいえばそんなテーマだろうか・・・。 著者の言葉を借りれば、「人間は遺伝子の乗り物ではなく、文化ののりものである」 少し解釈を加えて、・・・社会的な居場所において、「自分を知らない人ばかりでも、自分は受け入れられる」 もう一言借りるとすれば「世の中のみんながみんな自分の人生を生きなくてはいけないのか?幸せになる義務はないはず」 僕がいままで考えていた社会性とは似て非なるもの・・・・。 決して二人が核になるわけではなく、核である社会の一構成員として、皆

        • 村上春樹さんの「一人称単数」を読みました。

          8作から成る短編小説集ということでしたが、時どきご自身がモデルの私小説を交え、(というのは、ご自身が登場してもメインのモデルは他のかたな感じがするので)、村上さんらしい各種知識の豊富な文章が出来上がっています。 毎度のことではありますが、僕にとって難解な諸知識をうっちゃって、文脈や全体のイメージで読み進める必要のある8編でした。 「ジャズ」や「クラッシック」の文字が並ぶと、僕は音楽ではなく、ダンスを思い浮かべるのです。 そして、それらの知識が色こく醸し出される文章を読むと

        唯川恵さんの「息がとまるほど」を読みました。

          島本理生さんの「夏の裁断」を読みました。

          ある時、ある場面において、誰しも連続的な選択を迫られる。 過去の出来事、未来の展望、そこに人への想いや、自分の希望などを織り込むと、各種のジレンマを生成しながら、決断をしなければならない。 過去のトラウマや、過大な展望・希望は、消極的な結論や分不相応な結論として帰結する。 悩み事や不満が多ければ、判断を狂わせる。 ことに人間関係の過去の傷は、苦しみを最も長く維持する。 悩んでも、努力しても、自分ではどうしようもない時、人はどうすればいいのか? よく言われることだが、一つ

          島本理生さんの「夏の裁断」を読みました。

          小手鞠るいさんの「未来地図」を読みました。

          過去との向き合い方はいろいろあります。 振り返り、反省をし、軌道修正をする。 あるいは、振り返り検証をし、未来への戒めとする。 過去は振り返らないなんてのもありだと思いますが、完全にというのは難しいので、どこかで出来事を選別しているのではないかと思います。 同様に未来を思い描く方法もいくつかあります。 どなたかの歌の題名のように「未来予想図」を思い描く。 これはどうなっているか?という思い描き方かなぁ・・・。 小手鞠さんの「未来地図」はどちらかというと、どうありたいか?とい

          小手鞠るいさんの「未来地図」を読みました。

          島本理生さんの「真綿荘の住人たち」を読みました。

          住人たちの事情のあれこれも興味深いものでしたが、学生の時に憧れていた?賄い付きの下宿の雰囲気を存分に味わえる作品でした。 食卓を囲む場面でのコミュニケーションは、ある意味家族的な色合いを醸し出すのですが、本物の家族と違い、シェアハウスとも違う独特の距離感が生まれますね。 長く暮らしている人はそれなりに深く、といっても表面が露出している事柄についてのみ深く理解し、暗黙のルールが形成されて行くのだと思いますが、果たして人間関係の深い結びつきに到達するかどうかは、個々の抱える事情

          島本理生さんの「真綿荘の住人たち」を読みました。

          朝井リョウさんの「どうしても生きてる」を読みました。

          ネタばれがあります。 ご容赦願います。m(__)m 図書館で本を選んでいるときに何と言っても気になったのがこのタイトル「どうしても生きてる」でした。いくつか意味は思い浮かぶものの、例えば「どうして生きてる?」とか「どうしても生かされている」とかではなく「どうしても生きてる」???・・・。底流する想いがどんなものか?理解できると良いなぁと思いながら、借りてきました。 結局、ぼんやりと推測できただけで読了してしまいました・・・(^-^; 最後の短編の中にこんなことが書いてあり

          朝井リョウさんの「どうしても生きてる」を読みました。

          村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読みました。

          世の中における「普通」という概念は、場所によって世代によってまたコミュニティによっても違いがあり、案外範囲のひろいものである。 「生きている意味」とか「生きる価値」とか「主義主張」とか、人が人生のある地点で悩みがちな難しい概念は横に置いておいて、「普通に生きる」という言葉にすると単純な概念を、常に追わなくてはいけない人はどれくらいいるのだろうか? 実は相当数にのぼるのではないかと思っている。 存在意義というものは、自分にはよくわからない。 外からその人の存在意義を定義され

          村田沙耶香さんの「コンビニ人間」を読みました。

          近藤史恵さんの「それでも旅に出るカフェ」を読みました。

          まあ、何というかコロナ禍の日常に、そしてカフェで過ごす日常に、上手に各種非日常のエピソードをのせた読みやすい文章でした。 女性視点で、生きることや生活することの楽しさ、苦しさ、難しさがクローズアップされています。 とても自然にエピソード化されているものの、本来とても重い課題に、主人公なりの解決策を見つけて、淡々と生きていくさまが、文章に過度な重苦しさを与えずに済んでいるのだと思います。 女性視点ではあるものの、「人間として」共感できるところも多く、以前ドラマ化された近藤さ

          近藤史恵さんの「それでも旅に出るカフェ」を読みました。

          篠田節子さんの「ホーラ ー死都ー」を読みました。

          舞台は不倫関係にある男女の訪れたエーゲ海の小島でした。 日本は多宗教というか無宗教の人が多い気がしますが、宗教によって成り立ち、支えられ、生活の一部になっている人々が、少ないわけでもないと思います。 歴史的な話はさておき、この作品では、人の本質的な役わりというか、人に与えられた能力というか、そういうものに対して人がどうむきあうか?ということに主眼が置かれていると思われました。 30代の後半から40代の前半にかけて、自分が何もできない人間だという想いに苛まれたことがありまし

          篠田節子さんの「ホーラ ー死都ー」を読みました。

          島本理生さんの「あられもない祈り」を読みました。

          紅く細い糸でつながった密かな恋・・・。 切れそうで切れない運命のつながり・・・。 息苦しいほどに探り合う感触の奥に隠れた気持ち・・・。 とても深みのある表現が連ねられているにも関わらず、読了の感想は「平坦な文章」・・・でした。 静かに僕の心をノックして、検証するように経験を引き出していく・・・。 フィクションとしてではなく、過去の自分の経験が形を変えて、主人公の思考に共感しているのだと思います。 恋をする心というよりは、人を、愛情を求め彷徨う心を、一方通行ではない含みをも

          島本理生さんの「あられもない祈り」を読みました。

          谷村志穂さんの「尋ね人」を読みました。

          人の「想い」の描写がなかなか特徴的な文章でした。 若かりし頃、何度も消えたくなったことがありました。 身体の不調、心の不調、孤独感・・・がベースにある厳しい生活、満たされない心。 理由は一つではなく、いろんな感情と現実的な問題が重くのしかかった状態に生きる気力を失くしたり、生きることに絶望したり・・・・。 現実に家を飛び出して、何か月も帰らなかったり・・・。 そういう人が少なくはないことを知っていても、飛び出したところで、その状況が劇的に変わることなどないのをおもい知らさ

          谷村志穂さんの「尋ね人」を読みました。

          白石一文さんの「ここは私たちのいない場所」を読みました。

          一人で生きる意味を考えさせられました。 そして二人でいる意味、家族でいる意味を考え直しました。 良きにつけ悪しきにつけ、夫婦は同じ方向を向くべき? いやいや、パートナーに対するスタンスが同調や別の歩みを決める? 理由は十人十色であるが、一人が好きな人もいる。 でも、一生100%一人が好きな人は見たことがない。 ある時期に、心は変化して人を求める。 何に重きを置き、何を貫くのか? その人にしかわからない? いや多くの人が自分自身でも迷いながら、葛藤しながらその選択を日常的に

          白石一文さんの「ここは私たちのいない場所」を読みました。

          村上春樹さんの「海辺のカフカ」を読みました。

          今回の村上さんの作品は何しろ理解できない部分が多いというか、意味や状況をとらえきれないところが多いというか・・・。 なーーんて、難しい印象があるにはあるんですけど、村上作品のとっかかりになった「1Q84」や「ノルウェイの森」は比較的平易な文章で書かれていて、時系列や登場人物の人間関係はかなりわかりやすかった印象でした。 なので印象に従い、あまり気にせず、読み返しもせず、そのとき頭に浮かんだ感覚を味わいながら、ゆっくりとちびちびと読み進めました。 ちょっと不思議ですが、一

          村上春樹さんの「海辺のカフカ」を読みました。

          白石一文さんの「火口の二人」を読みました。

          男女の機微を描いた小説なのか?と思いきや、もっと本質的な人間の欲望というか赤裸々な欲望を描いた小説と言った方が良いのかな?と思いました。 人間関係、生活環境、社会事情いろいろあるにしても、結局のところ欲望が満たされないと、その欲望に引き寄せられていくのだと、近頃実感しているところへ、同じような内容の著書に出会ってしまいました。 現実社会で欲望のままに生きることなんてできないけれど、それを抑え込みすぎると自分が自分でなくなる感じがずっとしてました。 かといって、今ある生活

          白石一文さんの「火口の二人」を読みました。