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「Voodoo Lounge」 ローリング・ストーンズ

このアルバムが発売されたのは1994年であり、前作「Steel Wheels」から5年後のことだった。すでに30年の月日が流れたことに、驚きを感じざるを得ない。このとき貧乏学生だった私はバイト代をかき集めて発売当日にこのアルバムを入手し、安物のCDラジカセで聴き始めた。"CD"というものについて説明しなければならないかもしれない。これは光学ディスクにさまざまなデータをデジタル、すなわち0と1の集合として記録する媒体であり、1980年代後半に一般に普及したものだ。CDは主に音楽の記録媒体として利用され、その音質の素晴らしさばかりでなく、保管や持ち運びの手軽さなどから、それまで主流だったアナログ・レコードを瞬く間に置き換えてしまった。それにともない、かつてレコードとして流通していた作品はCDとして次々に再発されたていったのだが、このとき海外アーティストの国内版ではブックレットという"解説書"が同梱されることが多かった。
このブックレットにはその作品がレコーディングされた時代背景や参加ミュージシャンのバックグラウンドなどが詳細に書かれていた。非常に読み応えのあるものが多く、当時の私は音楽そのものと同じくらいに夢中になって、貪るように読んだものだった。
そしてこのローリング・ストーンズの「Voodoo Lounge」にも、なぜか新作にもかかわらず豪華ブックレットが付属していた。私はCDをかけると同時にそれを読み始めたのだが、これがなかなか長い。読めども読めども終わらないばかりか、まったく話の筋が見えない。会社が横領で倒産したとか、場末のバーで女を引っ掛けたとか、ローリング・ストーンズとは関係のない話が永遠と続く。そして終盤あたりになって、ようやくそれが"解説"ではなく、ストーンズ・ファンの作家が書いた"ミニ小説"だったということに気がついたのだ。この時点ですでにCDの演奏は「Out of Tears」あたりまで進んでいただろう。
つまり私はローリング・ストーンズの新作アルバムを聴く、という人生で何度あるかわからない貴重で神聖な時間を、"ミニ小説"を読む時間に置き換えられてしまったのだ。しかも、ローリング・ストーンズの世界観と全く相容れない厨二感まるだしの同人誌のようなミニ小説によってだ。果たしてこんな冒涜が許されるのだろうか。私はその後30年間このトラウマに苛まれ続けた。

先ほど述べたように、CDに付属するブックレットの多くは非常に有意義な読み物だった。60〜70年代に活躍したロックバンドの多くは当時すでに過去の存在となっていて、Wikipediaなどなかった時代その情報は貴重なものだった。だが一方で、過剰な先入観を与えるものや、虚実入り乱れたゴシップ程度の安易な文章があったのも事実だ。
そもそもローリング・ストーンズは厨二心を刺激する"伝説"が満載のバンドだ。メンバーの謎の死やコンサートでの死亡事故、度重なる麻薬トラブルなど。事実はともかく、そういった伝説はマーケティング戦略の中で誇張されたものであり、本質的に彼らの音楽とは関係のないものだ。しかし、真面目な人ほど脚色されたストーンズ像を崇拝し、中にはミニ小説まで書いてしまう人まで現れてしまった。それがいかにローリング・ストーンズの生き様と程遠いものかは言うまでも無い。我々は今一度、自分が愛しているものが音楽なのか、ゴシップなのか、音楽ライターの世迷いごとなのかを見つめ直すべきなのだろう。
近年では音楽をサブスクで聴くことが主流になってきている。CDに比べ圧倒的に安価で手軽に膨大な音楽を聴くことができるうえに、製造・流通に伴う天然資源の消耗が少ない。そしてブックレットはもちろんミニ小説もない。これが本来の音楽の聴き方なのだ。ついに何の先入観もなくこの「Voodoo Lounge」に向き合える時代が来たことを喜びたい。

このアルバムは15ほどの曲が収録されているが、事実上「You Got Me Rocking」を聴くための作品と言って良いだろう。和音の断片がぶつかり合って集合してゆく繊細かつワイルドなイントロはキース・リチャーズのソロ作「Main Offender」の「999」が進化したものだろう。猥雑で壮麗にスウィングするこのナンバーは、多くの人がこうあって欲しい、と思うストーンズのイメージが具現化したものだった。一方でこの曲が持つ渦巻くようなグルーヴはこれまでのストーンズ・サウンドにはなかったものだ。そしてそれはおそらくこのアルバムから参加したダリル・ジョーンズによってもたらされたものだろう。
今やローリング・ストーンズの守護神というイメージが定着しているダリル・ジョーンズだが、彼はもともと後期マイルス・デイヴィス・バンドを支えたベーシストだった。若干21歳でマイルスのオーディションを受けるという絶対にやりたくない試練を経て、数年間に渡ってカオスの美学とも言うべきマイルス・バンドの支柱を担い続けた。彼の参加を聞いた時、ローリング・ストーンズとエレクトリック・マイルスの融合が実現するのかと興奮したものだった。少なくとも、ビル・ワイマンと全く異なる個性を持つダリルを採用したということは、ローリング・ストーンズがこれからも進化してゆくという強い意志の表れだったのだろう。特にダリルの参加後に、よほど彼のプロフェッショナリズムに刺激を受けたのだろう、チャーリー・ワッツのドラミングが飛躍的に向上したのは注目するべきだろう。結果それまでのギター中心のバンドからリズム中心のモダンなバンド・サウンドに変容し、ライブ・パフォーマンスのクオリティが数十年に渡って安定することになった。

もちろんこのアルバムには「You Got Me Rocking」以外にも興味深い曲が多数収録されている。例えばミディアム・テンポの「Love is Strong」ののたうつようなグルーヴは洗練されていた前作「Steel Wheels」との違いが鮮明だ。「Sparks Will Fly」や「I Go Wild」は安直だが、こういう力任せのナンバーが一定数のリスナーにアピールすることを知っているのだろう。「Baby Break It Down」や「Mean Disposition」はこれまでのストーンズにはあまり見られなかった作風だが、彼らなりに新時代のストーンズを模索していた痕跡にも思える。それにしてもキース・リチャーズが念仏のようなバラードしかやらなくなったのはこの頃からだろうか。そろそろパンチの効いたやつを決めてほしいところだ。

とは言えやはり「You Got Me Rocking」は何と素晴らしいのだろう。30年が経過した今でも聴くたびに血湧き肉躍る最高のストーンズ・ナンバーだ。だが同時に私の心にはいつもあのミニ小説がよぎる。この愛憎にあと30年耐えることができるのだろうか。

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