善光寺のすぐ隣にある、スタイリッシュな現代性を極めた美術館。 私にはよくあることなのですが、閉館間際(1時間前)の到着。 洗練された建物は複雑で、本来の入り口でないところから入ってしまい、なかなか受付に辿り着けず、気は焦るばかり。 受付が新米の方だったようで、コレクション展の場所がよく分からず、せっかくアニバーサリーな空間に来ているのに、少し苛立ってしまいました。 企画展「戸谷成雄 彫刻 ある全体として entity」展(例によって、ずいぶん前に終わっている展覧会で
現代的に洗練された建築は涼し気。 しかし日差しが強く、評判の現代建築の探検はそこそこに、受付へ。 開放感のある2Fのミュージアム・カフェでアイスコーヒーと野菜のサンドイッチを注文して一息。サンドイッチ、おいしかったです。そして、展示室へ。 ■アントニオ・ロペス『フランシス・カレテロ』 一つの作品に対し、長年にわたって手を入れる作風を持つスペインの画家、アントニオ・ロペス・ガルシアの手による、彼の叔父(政治家であり、画家でもあった)を描いた一枚。 叔父の名前が、フランシス・カ
今は、これまでに行った美術館について書いていますが、やはりこうした美術館レビューは、企画展の初日とか、早い段階で足を運んで、「お勧めですよ、皆さんもどうぞ」、というのが親切なのであって、私のように、すでに終わってしまった企画展について紹介したとて、「今さらどうしょもないやないか、体験自慢か?」とツッコまれても仕方のない一人よがり、あるいは単なる備忘録としか言いようがなく、実用性に乏しいのは否定できません。 正直に申し上げて、仕事のブラックな忙しさなどから、最近は美術館に足
名古屋市・栄のビル街のそばにひっそりと佇む、堀美術館。「文化のみち」と呼ばれる閑静な通りの一角にあります。ソフトウェア会社などを持つダイテックグループの創業者、堀誠氏が2006年に開設した美術館とのこと。 一階は日本人の洋画と、三岸節子のコレクション。二階は横山大観らの日本画と、棟方志功の版画が見られます。 特に三岸節子の重厚で多彩なコレクションには、圧倒されます。 愛知県には、一宮市三岸節子記念美術館がありますが、(企画展のタイミングがあったとは思うものの)、私の場合、
■昭和の路地の坂を上って 岐阜市の市街地を抜け、頂に岐阜城を載せた金華山のダイナミックな景観を左手に見ながら、片側3車線の国道156号線をなめらかに走行していくと、道はハイウェイとなり、岩肌も見えるような人を寄せ付けない山が急に立ち現れてきます。長いトンネルを抜ければ、四方八方を緑に囲まれた未開発の山中。つい1分前までの都市性とのギャップに、少し驚いてしまいます。さらに行くと、いかにも一昔前の地方都市といった感じの、交通量が激しく、風雪を感じる道路に様変わりします。ナビが指
◼️長崎原爆資料館の隣、長崎市平和会館内にある美術館 入場料100円。 まず、これがいいですよね。 そして、いつ行ってもチケットを買う際に、受付の方が「こちらは美術館で、平和施設ではありませんが…」と、戸惑ったような表情でおっしゃるのも、奥ゆかしさを感じます。 原爆資料館と繋がった平和会館の中にあり、大型バス駐車場の手前に位置するこの美術館の前を、いつだって多くの小中高生、引率の先生、旅行会社の添乗員、ガイドさんたちが通りすぎていきます。しかし、1階にあるこの小さな美術館を
■「新見南吉記念館」からの… 知多半島道路を降りて、一般道を進み、私が当初向かったのは「新見南吉記念館」でした。半田市は『ごんぎつね』の作者、新見南吉の生まれ故郷。特に彼岸花が咲く9月終わりから10月はじめは「ごんの秋祭り」と銘打って、フェスさながらの賑わい。そこら中に商売っ気たっぷりの臨時駐車場ができて、道路は観光客の自動車で混み合い、彼岸花の咲き乱れる堤防は大名行列のごとく人で溢れかえっていました。 かなり遠くの駐車場しか空いておらず、10月と言えど夏みたいな強い日
◼️長野の山村にあるミュゼ レンタカーを降りると、長野の冬の山間部の空気がありました。遥か高くに「北アルプス」が雪風に煙っていますが、素朴で厳しそうな佇まいは「飛騨山脈」の方がしっくりくるようでした。 長野駅から車で40分。 「俺はなぜ、雪の残る見知らぬ山道を、借りた車で危なっかしく走っているんだ…」と、臆病な私は何度か引き返そうとしました。慣れない信号待ちで、後ろからクラクションを鳴らされたり。引き返して、大人しく長野県立美術館を訪おうと、Uターンのためにコメリの駐車
美術館巡りが、わりに好きです。(下手ですが、模写するのも好きです。) 音楽も好きですが、最近少し片耳が難聴ぎみで、大音量に耐えられなくなってしまいました。残念ですが、ほどよい音量でほどよく聴いていければと。 小説も好きですが、最近はあまり読んでいません。老眼も少し、出てきました。 40代後半になって、「ミッドライフ・クライシス」(中年のおっさんが、『俺の人生、なんだったんだろ…』と深刻に悩むやつです)がキツくなってきて、そんなときに、とあるきっかけがあって、セラピー的に少し文