Raz

サバイバー。 休学を経て22歳の大学生。 詩のようなもの https://note…

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サバイバー。 休学を経て22歳の大学生。 詩のようなもの https://note.com/kyoko533

最近の記事

絶望と自己責任論の内面化、解離について

読んでいて不快な気持ちになる箇所があるかもしれません。ただの日記です。  毎日夜になると、気分の落ち込みが激しくなり、悲しくて不安でたまらなくて、この感覚から一生逃れられないことにとてつもない苦痛を感じます。そんな状態が毎日毎日、何年もつづくと、もういい加減うんざりして本当に終わりたくなってしまうときがあります。それでもいざ死のうとすると躊躇するので、死にたいと感じながら同時に生きたいとも感じているのだと思います。死ぬのが怖いとか、もう少し前向きな、まだ諦めたくないとかいう

    • 私にとって障害とは

      合理的配慮を申請するし、なにかで迷惑をかけるかもしれないからと頼めませんでした。相手の機嫌を損ねる可能性のある行動をとれませんでした。 若干の悪意のある返答を受け取ったときに(或いは単に虫の居どころが悪かったのかもしれません)、それでもその人のもとで頑張ってみようとは思えませんでした。 私はこうやって自分の弱さを曝け出して、人の優しさに頼りきりで、安全地帯から出られないのだと思って、辛くなりました。他人に生殺与奪の権を握られているように感じました。 嫌気がさして、疲れて

      • 日記

        様々な機会に恵まれて、アフリカのとある国にホームステイに行ってきました。病気を持ちながらも無事に帰ってこられて、感謝のきもちでいっぱいです。幸運と、関わってくれた皆さんの優しさと面白さに支えられた日々でした。 これは気づいたことのメモです。思考を巡らせた結果なので、今回の体験と直接関係ないこともあります。思い出したら追記します。 ◯幼い頃からの極度の不安と恐怖、好奇心について ー向こうで出会った女の子が、外国人の私に英語(彼女にとっての第3言語)で一生懸命に話しかけてく

        • 機能不全家族の「問題」は私だった

           「私の家族は、私がいなければ完璧なのになぁ。」 子どもの頃にずっと感じていたことです。両親と姉もそう思っていたし、きっと今も思っているだろうと感じます。  母子分離不安の酷かった私は、幼稚園や小学校受験の塾では問題児でした。母が帰ろうとすると泣き叫び、周囲を困らせました。「泣かない約束」を守れない、周りのみんなと同じようにできない自分は卑怯で弱いと思いました。  受験当日も両親とスムーズに離れられず、私は自分が落ちたことを確信しました。不合格の通知が家に届くと、母はこの世

        絶望と自己責任論の内面化、解離について

          虐待後遺症はこころの問題だと思っていた

           児童虐待が及ぼす影響は甚大で、noteの記事ひとつで書き切れるようなことではないですが、今回は「繋がっているという感覚」という観点で少し話してみようと思います。  殴られ蹴られること、触られること、心を支配されること。虐待にも様々な種類がありますが、暴力的な侵入という点で共通することが多いように思います。そのような侵入は人格を無視して行われ、人権を悉く否定し、根源的に何が快で何が不快かを混乱させます。そうやって人生の早期に、基本的で健全な五感を奪います。 それは、こころ

          虐待後遺症はこころの問題だと思っていた

          アイデンティティークライシスについての記録

           一時的なものかもしれませんが、この頃「虐待サバイバー」とか「精神疾患患者」とか「治療法のない基礎疾患を持っている」とか、そんな逃れようのないアイデンティティーが薄らいできました。それはもう本当に重大な絶望的要素だし、辛すぎるのだけれど、別にアイデンティティーにまでする必要ないよなって。そんなことは私の10パーセントも説明できないただのスティグマであることに納得し、もう誰に打ち明けても良いような気がしてきたんです。打ち明けてみたからそう思うようになったのか、どちらが先でどちら

          アイデンティティークライシスについての記録

          Giftと失ったもの。(コロナ後遺症)

          macのファイルを整理していて、ふとコロナ罹患前に自分が書いた文章を読んでみた。とても驚いた。 虐待という乗り越えがたい経験に触れながらも、希望を見出して終わっている。  「絶対に他人に受け入れられないと思っていた自分の過去、それにともなう現在の想いや考えは誰でもない私だけの持つ武器である」 と書いてあるのだ。 思い返せば、コロナ罹患前でいちばん精神状態が悪かったのは、中学生で強迫性障害と抑うつが酷かったときか、高校生で虐待が認定されたあとの解離とフラッシュバックが酷

          Giftと失ったもの。(コロナ後遺症)

          虐待サバイバーで慢性疲労症候群の私が今いちばんうけたい支援

          帰る場所がないということは、元気なときにはたいしたことがないように思い込めても、一度病気になるとそうはいかない。 嗅覚障害で、もう食事を以前のように楽しむことができない。慢性疲労症候群で、学ぶことも家事も買い物もできない。大学も休学した。あのとき、そして今も、「家族」がいたらどんなに心強かっただろう。 私が今いちばん求めているものは、私と一緒に私の人生について真剣に考えてくれる存在です。気休めの励ましでも支援につながらない無意味な診断でもなく、私の生活を実際的に支えてくれ

          虐待サバイバーで慢性疲労症候群の私が今いちばんうけたい支援

          不登校、虐待、精神疾患

          私はPTSDと鬱病を患っています。ほとんど毎晩、強烈に死になくなります。でも、まだ死んでいません。うまく死ぬことができません。 現在唯一の希望は、1年ほど前に診断された難治の身体的疾患によってスイスでの安楽死が許可されることです。 何故こんなに死にたいのかと考えた時に、やはり中学時代の経験抜きには語れないと気づきます。 幼少の頃から母子分離不安がありました。DVを受けていた母親の不安定さが伝わっていたのだと思います。当時すでに不眠症に悩んでいました。 小学生になる前に

          不登校、虐待、精神疾患

          変わってしまった世界を

          あの日から、私の生きる世界は変わってしまった。 いや、ほんとうは何も変わっていない。何も変わらない世界に絶望したら、私が、私の捉える世界が変わった。 17歳になったばかりの頃、父からの3種類の虐待を認定されたのに支援につながれなかった。そして母は判定に納得しなかった。 もっと、もっと頑張れば何らかの福祉に繋がれたのだろうかと、今でも自分を責める気持ちがある。当時の私は良くやったと思いながら、心のどこかでまだ何かやりようがあったのではないかといつも思い返す。 母の態度は

          変わってしまった世界を

          異嗅症と髪の毛の記録

          コロナ後遺症で、異嗅症という症状がある。全ての匂いが本来とは違うようにしか感じられなくて、臭くてたまらない。好物だった食べ物もまずくて、ほとんど何も食べられない時期もあった。1番辛いのは、多くの人が数週間で完治する後遺症なのに、私はもう1年半以上も治らないということ。 先日、精神科医に勧められて9ヶ月ぶりに耳鼻科を受診した。検査結果はほとんど回復していなかった。私はもう一生食べ物をおいしく食べられないのではないかと不安になって、異嗅症が酷い時に食事や旅行の誘いを断らなければ

          異嗅症と髪の毛の記録

          一人暮らしをしたい

          「最近ハマっていることは?」「普段なにしているの?」という質問には、適当に答えてきた。知らないから。 家にいる間、私は解離している。友人とzoomしたり会ったりしている自分と、それ以外の自分は、全く別人格という訳ではないけれど、記憶が繋がっていないことがある。 高校2年生の冬、今までの親の行為が虐待と認定された時、認めたくなかった。認定してもらうためにその機関に行ったのだけど、やっぱり信じたくなかった。特に性的虐待が認定されることは予想外で、もう生きていけないような気がした

          一人暮らしをしたい

          コロナ後遺症とアイデンティティーについて

          コロナ後遺症によって私の脳血流は低下した。 それはどういうことなのか。 一口に脳と言っても、血流の低下する領域によって症状は変わってくる。例えば後頭葉には視覚野があるため、頭の後ろ側の血流が低下するとものがよく見えなくなる場合がある。人によっては幻覚が見えることもあるらしい。 私は後遺症によって後頭葉と側頭葉、そして前頭葉で脳血流が低下した。(具体的な機序についてはまだ未解明なので、諸説あるがここでは控える。)幸いにも今のところ幻覚や幻聴の症状は出ていないけれど、前頭葉

          コロナ後遺症とアイデンティティーについて