悲しさの約数。
犬を飼う。犬の数だけ、彼らの物語がある。たいていの場合彼らの最期を見届けることができる。
誰かが悲しむ。お天道さまもきっと悲しんでいるだろう。
飼い犬が亡くなって、僕は泣く。ひっくひっくと肺から泣く。
(自分を描写するのが嫌になったのでやめる)
理由もなく泣いた。なんで泣いているのだろうと泣きながら自問してみたけど、思い当たらない。「死を受け入れられない」とかいう表現が使えるかなと思ったけど、そもそも死を受け入れるってなんだろう。
でもさっき、線香をあげて、おりんを鳴らして、手を合わして、それで今落ち着いたから、宗教儀式を見直した。
それに理由がなくてもいいよね。根源的なものだから。
終わり
悲しさの約数なんてものはない。そもそも「悲しさ」なんてものがない。頭の中をうねうねと、ぐねぐねとかき回すそれが三文字きっかりなわけがないだろう。それに、「悲しさ」は画面に残り続けるだろうが、僕はもう泣いていない。