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『冬に思い出す夏の思い出』
20250223
わりと有名なユーチューバーが真冬に撮影した動画を真夏の時期にアップしていて、なるほどそういう手法で視聴者の興味を引くこともできるのかと勉強になった。
だから自分も、冬に夏の思い出を思い起こそうと日記を見返した。
2023年の4月から雑多なことを書きなぐっている日記を見て夏に書かれた内容を振り返ってみると、単純に文章としてのミスを見つけた。
「7月24日 ・・・・。コンビニでスプライト買って飲んだけれど、時間が経ったら冷めて美味しくなかった」
近くに住む友人と散歩の途中でコンビニに立ち寄って普段はあまり飲まないスプライトを買って飲んだら、思ったよりも量が多くて最後のほうは飲み干すために努力が必要だった、という意味合いだ。
単純に間違えている。
夏の暑い日にコンビニで買ったスプライトを外に出て飲みながら歩いていたら、段々と冷たくなってきたのではなく、ぬるくなったというのが正しい。
なぜあの時の僕は「ぬるくなって」ではなく「冷めて」と書いてしまったのか。
自分の中にある感覚として、スプライトや三ツ矢サイダーは、これを飲みたいという前のめりな気持ちがある時しか手が伸びない。そして買って飲み始めたはいいものの、終盤はもういらないなと思って、飲み干すために少し頑張らなければいけないことが多い。
きっとその日もその感覚に襲われていた。
そして、特別熱かったり冷たかったりしたものが常温に「戻る」ことを言葉の意識のなかで、僕はその常温に「戻る」イメージが強かったために、「冷める」と書いてしまったのではと考えている。
「ぬるくなる」よりも「冷める」のほうが元の温度に戻るニュアンスが強いような気がするのだが、どうだろうか。
日記の中で見つけたミスの言い訳を考えてみたけれど、単に散歩の雰囲気がスプライトの購入によって冷めたから、それに引っ張られていたのかもしれない。
なぜなら、コンビニに寄ろうと言い出したのは自分で、僕が買ったのは500mlのスプライトだったから。思い出してみれば、その友達は少し引いていたような気もする。
あんなに大きくて緑の面積が多すぎるスプライト、確かに初めて見た。