『ペンフレンドができたら』
20231224
いつか読んだ新聞の投書欄に、70代くらいの男性によるペンフレンドの話が載っていた。
その記事の内容は全く覚えていないのだが、大学生だった僕は「ペンフレンド」という言葉に初めて出会い、自分にもペンフレンドができたら、日々の生活が少し楽しくなりそうな気がしたのを覚えている。
「ペンフレンド」とは、文通をする友達という意味だと思うが、今の時代ペンフレンドがいる人は少ないと思う。
爆風スランプの『大きな玉ねぎの下で~はるかなる想い~』という曲の冒頭にも「ペンフレンド」という言葉が出てくるのだが、僕が憧れているのは、又吉直樹さんと武田砂鉄さんの共著である『往復書簡―無目的な思索の応答』のような形の手紙をやり取りすることだ。
この二人はお互いを全く知らないわけではないが、あまり親交が深くない人同士であるということがまず書かれている。
これは「ペンフレンド」の重要な条件の一つであると思う。
もし自分が誰かと文通することになったら、その人がどんな人か、文通のやり取りをして知りたい。
だから、全くの他人ではないが、それほど親交も深まっていないくらいの人とペンフレンドになる方がちょうどよさそうだし、楽しそうだなと思っている。
誰かとペンフレンドになれたとしたら、どんな話をするか勝手に考えていたりする。
ひとつは、いつになったらごはん大盛無料と言われても、普通盛りを頼めるようになるのかという点だ。
大盛無料なのに普通盛りにしておけるようになったら、それは大人への階段を一つ登ったような気がしませんかという話を誰かにしたい。
また、もし文通をやり続けて、年齢を重ねていたら、この間電車に乗っていたら初めて席を譲られましたみたいな話をする時が来るのかもしれない。
老化を理由に初めて席を譲られたとき、どんな気持ちになるのだろうか、そんなやり取りができるペンフレンドがいたら、何もやることが無くなってしまいそうな老後も楽しく暮らせそうだなと思ったりしている。
しかし、ペンフレンドと一度交流を持ってしまったら、手紙が届かなくなってしまった時の悲しい気持ちはより深くなるような気もしている。それは少し怖いが、目的も持たずに、だれかとくだらないやり取りできる幸せを感じ取れる人になりたい。
そして、いつか僕もペンフレンドとこんな面白いやり取りがあったんですよということを、さらに文章にして、新聞に投書しよう。