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少しだけオトナになった日【エッセイ】

自分だけのレア体験?
自分だけしか体験したことがないこと等、あるはずがない。被りながら少しずつ違う体験を誰もが持っているだけだ。
家のそばに海があることも、親が自営業を営んでいることも、誰かが持つ普通だ。
そう思いつつも記憶を辿った…。

…今でこそ普通の人間だが、幼少期は自分でも少しおかしな人間だったと思う。
魔法少女のお供キャラに憧れて、見えない何かに声をかけて行動した。
誰に教えられたわけでもないのに、俗にいう「たそがれる」ことが好きだった。その状況に合わせて自分がプロモーションビデオに主演しているかのように物思いに耽り演技をしつつぼーっとするのだ。トリップする、にも近いかもしれない。

カーステレオから演歌やバラードが流れてきたら、恋も知らないのに窓にもたれて悲しげにしたり、明るく元気な曲が流れてきたら、ニコニコしながら首をふったり舌を出したりしていた。およそ6、7歳の子供がである。
よく親に心配されなかったものだと思う。

小学4、5年生の夏休みの頃だっただろうか。相変わらずおかしな性質を持ったまま成長していた私に、昼ご飯の用意というミッションが課された。と言っても母が用事で出掛けるために、作りおきの昼ご飯を温めなおして家族に出すというごく簡単なものだ。

意気揚々と母ぶって、家族のご飯の準備をしたあと、大人ぶったまま近くの海まで行った。
海に続く防波堤に腰を下ろし、どこまでも凪いだ青い海を見ながら、少しオトナになった気持ちでいつもの様にたそがれた。
いつも以上に、存分に、たそがれた。
わたしもご飯を任されるくらいに成長したんだ。そう大きな海のように気持ちも大きくなっていた。

長めの散歩から家に帰ると、なにやら家中が焦げくさい。
味噌汁にかけた火を消し忘れていたのだ。
幸い父が気付いたようで、流しに置かれた鍋は見事なまでに真っ黒になっていた。味噌汁は既に炭であった。

仕事を完遂しないまま、わたしはたそがれに行ったのだ。
鍋が焦げている間、オトナな気分になっていたのだ。

これ以降、むやみにたそがれるのをやめた。
家を焼いてしまってはたそがれるじゃ済まない。

真っ黒になった鍋を金だわしで擦りながら、心底恥ずかしく、でも心底安堵した、すこしだけオトナになった日だった。


これがきっと誰も体験していないであろう、レアでアホな話。
幸いそのアホさは、我が子には遺伝していないようなので一安心である。

まあ知らないだけで私並みにアホな経験はあるかもしれない。
家を燃やさないでいてくれることを切に願おう。

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