悩める世の若者たちに『夜が明けたら』という曲を
きのこ帝国が2012年5月9日に発売されたアルバム「渦になる」
きのこ帝国の中でも数々の名曲を収めているこのアルバムで、『夜が明けたら』は6曲目
この時代のきのこ帝国のボーカル佐藤は、
少年のような風貌で化粧っ気がなく、
高く下げたギターから発される歯切れの良い歪みと空間を振動させるギターサウンド
がそれがかえって彼女のその魂のこもった、
時にかすれたような唯一無二の歌声を邪魔することなく、
もしくは彼女の持ち合わせたあらゆる感情を表しているかのよう。
きのこ帝国の曲は彼女によって作詞作曲され、
このバンドの色もまた、
彼女の風貌の代わり具合と同等の変化を遂げる。
SNSやあらゆるソーシャルメディアが今のように当たり前ではなかった時代。
この時を生きた当時の若者であった佐藤の書くこの歌詞がどうしても私は忘れられない。
当時のライブ映像を見るとまさに無造作な髪型で笑顔を一つも見せない、
時に縋り付くように声を発し涙を浮かべているのではとも感じられる苦しむ若者がステージ上手側にいた。
復讐を謳う曲は世の中に数知れずある中で、
若者にして世の中を全て悟ってしまったような。
この歌詞を深く理解するために正直なことを言うと一度では解釈が追いつかなかった。
が、この曲は決して励ますようないわゆるハッピーエンドのような曲とは正反対なのにこの曲に大いに救われた自分がいた。
どうにもできない、やるせない、頭から離れない嫌な奴から言われたあの日の言葉、苦しい、そんな感情を抱き夜も眠れない
よく周りの大人はそれを聞くと「若い頃は寝られん夜もあったよな」だなんて
この曲は励ましてくれるよりかは、
この曲に共感する主体主は聴いている本人なのに、その聴いている本人の心をこの曲が共感してくれるようなそんな感覚を与えてくれる。
少なくとも私は、この曲を口ずさむことによって今まで傷ついた自分の心と客観的に向き合っているのかもしれない。
ネットが普及した現代を生きる私を含めた若者たちは、
言葉を介してどこかに自分を表現して自身の居場所を確保するようなことで、(まさに私が今こうやってブログを書いているように)
自分自身を、自分の中にある苦しみ、行き先のない感情を表現しているのだろう。
だが例え復讐というような感情を抱きうるまでの憤りや辛さを味わった時、
大半の若者そして私もネットという場所に居場所を探してはけ口にしたり、薄っぺらい人とのつながりに心の拠り所を求めている。
そんな時この曲はある種何かに頼ることなく、
むしろ闘わないという別の選択肢を
現代の私たちに与えてくれるような
久しぶりの眠れない夜に
私はこうして大好きなこの『夜が明けたら』という曲を聴きながら朝が来るのを待とうと思う。