死神(詩)

 我々の出番が終わる。桜まつり特設ステージの後ろで片付けていると、ギャーという悲鳴が聞こえる。何かと駆けつけてみると、2、3歳くらいの幼児が頭から血をダラダラと流し泣き叫んでいる。母親らしき女性は呆然とどうしようという顔。どうにも転んだらしい。
 私とドラムが「救急車呼びますか?」と尋ねると「あ、え、いやでも」と困惑した様子。ドラムが「いや、呼びますわ、絶対呼ぶ」とその、困惑を切断し、携帯で救急に連絡をとり、大通りに向かって走り出す。私はその場にとどまり、集まってきた役場の人々に救急車をすでに呼んでいる事などを説明する。泣き喚く子供に町の人々がノベルティグッズであろう手拭いを大量に持ってくる。町の名前が血に染まって行く。頭の怪我は血が大量に出るのである。私も幼少の頃に頭を切った経験があるのでそれを知っている。
 ちょうど現場の横には川があり、その川をわたる橋の手前で幼児は泣き叫んでいる。ドラムが駆け出したのもこの橋の向こう側である。
 橋の向こうからお祭りを盛り上げようという役のちんどん屋が一列に歩いてくる。ちんどん屋はまったく陽気な七福神の格好をしており、それぞれサックスや、太鼓等を携えている。まのぬけたメロディを奏でながら一列にやってくる彼ら。午後の黄色い空気。私にはそれが、あの世からやってきた死神のように写り、ああ渡ってこないでくれと願うような気持ちになる。どんどんとちんどん屋のメロディは近づいて子供も観念したように泣き止み始める。そのまま連れ去ってしまうのではないかそんな恐ろしい予感が頭を掠めたところで、ドラムが走って橋を渡り、こちらに向かってくる。
「〇〇さん、救急車の方は連絡とれたんで、車の誘導かわってください」
そして、私は橋の向こう側へゆき、救急車を待つ係となるのである。ちんどん屋は事態を察したようで、音楽をやめ、トボトボと祭りの会場に歩いて行く。
 無事に子供は救急車に搬送されたようであり、運ばれる最中、私とドラムは母親らしき女性に一度会釈され、その場を去ったのであった。
「いやあ、演奏の余韻なくなっちゃいましたね」
「まったく。でも君がちゃんと結婚して子供がいる理由がわかった気がするよ。かっこよかった。」
「なんですかそれ」
 そう、彼は彼の思った事で誰かの迷いを切断できる。そして、それは誰かを救いうるのである。その根底にきっと優しさがある。男という生き物は阿呆で仕方がない、それでも誰かが寄りかかるのはそういう力によるものである。
 「まったく、とんだライブだったよ、よし、打ち上げに焼き鳥食いに行きますか!」
 「ところで、MCで来年も出るとか言っちゃってましたけど大丈夫ですか?」
「なーに、たぶん出るさ、勢い勢い」
  流れというものがあって、もしそれを切断しうるなら、それが誰かの優しさであって欲しい。そうしたらきっと杞憂という死神も退散させうる。それはやはり魔法なのである。

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