非生産的サタデイ夕暮れ思考
早めに仕事が終わり、一週間に一度のひとり飲みが迫りくるなかでは、早くnoteをやっつけたいとの思考が巡る。すり鉢状の脳内にやる気が吸い込まれ、消えていく。質を上げたいとの生産的な思いはあるものの、空腹であり、週末であるから、もう、終わりたい。
風呂、酒、読書、風呂、酒、読書、ネットサーフィン‥‥‥。
まともな記事が生まれる状況にない。
したがって、酒を止めるべき。という正論を受け入れるほどにストイックではない。ノンアル、スマドリ糞くらえ派であり、局所的昭和価値観を愛する私にあって、それはあまりに寂しい。只でさえ人間関係が希薄に構成された状況で、酒を取り上げられたら、トマス・ピンチョン全小説しか残らない。文学に齧りつきつつ、やりたくもない、糞人間だらけの仕事をやる勇気がないのだ。酒が必要だ。女も必要だ。そして金が必要だ。ええい、もう酒を飲もう。noteなんて書いてる場合じゃない。
と、
いうように非常に果てしなく惨憺かつ暗澹とした非生産的思考に、土曜の夕暮れどき支配される。亀甲縛りの上、鎖で繋がれ、映画『SAW』のジグソーに型に嵌められているようだ。やる気はあるというのに、それを軽々しく超える食欲と酒欲と怠惰、恐ろしく厄介で、走れども月が追いかけてくるようなどうしようもなさ、如何ともしがたい。
この瞬間にも、さっさと「公開に進む」をクリックしたいとの思いに駆られ、それに対し必至の抵抗を試みている。肛門の括約筋を締めるように、ぷるぷる震えている。
酒を止める以外に、この状況を打破する方法はあるだろうか。
暫し考えてみたが、何も見当たらない。
というより、もうどうでもいい。
いや、待て。そっちに行くな。傾くな。そっちに堕ちたら、魑魅魍魎蠢く地獄に真っ逆さまだ。そして地獄は温くて楽で居心地がいい。
考えろ。もう少し頭を使え。
やべぇ。何もねぇよ。あるわけない。
大体こういう時、「酒を完全に止める」という正論が最も効果を発揮することが分かっている。都合の良い方法があるわけじゃない。ネタは貯金するほど有り余ってはない。
あまりにもあんまりな自身の頭脳に一抹の哀憐の情を抱く。気づけば夜に突入し、時間の経過が「早く風呂に入り、酒を飲み、文学とネットの海に浸れ」と私を急かす。
こうしてグダグダと非生産的な文章を綴りつづけ、どうしようもない。
この記事の着地点が見えない。飛び降りたはいいものの、いつまでもパラシュートは開く気配はなく、眼下に地面はなく、冷たい冬の大海が荒波、飛沫をあげるのみである。このままでは激しく着水からの凍死、海の藻屑と化すは必定、もう駄目だ。
ほらね。
非生産的な思考だろう。
「うんこ」を、
「ホラ、うんこですよ。臭いですね。茶色いですよ」
と、語りかけるような記事だ。
こんな時は希望について語るに限る。
明日、
当然のように「丸善・丸の内本店」へ行く。
ある本を探しに(詳しい内容は月曜日の「週刊我がヂレンマ」で)。
もし無ければ、丸の内線で池袋の『ジュンク堂・池袋本店』、さらに新宿の『紀伊國屋書店・新宿本店』『ブックファースト新宿店』、吉祥寺の『ジュンク堂・吉祥寺店』と転戦する予定。
まぁ、マイナーな作品だから大丈夫だろう。
活字・書店離れが叫ばれる昨今にあって、毎週のように書籍を買う(月平均20冊、約5万円)わたし。
そんな自分に酔いながら、孤独に、血眼になって選書していく。
2025年も。
よし、
希望が湧いてきた。別に一週間に一度くらい非生産的な一日があってもいいだろう。プロの物書き、専業作家でもない今ならば許される。
これをモラトリアムというのか。
にしては長すぎる。産まれてからずっとモラトリアム期間な気配がある。
そんな冗談を書いていたら、文字数がノルマに達した。
よし「公開に進む」
風呂入りたい。
酒飲みたい。
文学とネットの海に浸りたい。
結局、「考えるだけ無駄」だった。
そうだ。
「Don't Think Feel(考えるな、感じるんだ)」
これです。