総括
現在、
『定本 レッド 1969-1972』を読んでいる。
第1巻の内容は、安田講堂事件後から「赤色軍」(実在の組織名は「共産主義者同盟赤軍派」)と「革命者連盟」(同「京浜安保共闘革命左派」)の2つの組織が合流して「連合赤軍」が結成されたものの、警察から追われる様にして活動拠点そ都市部から地方(山岳地帯)に移していく過程が描かれており、最初の「処刑」(所謂「印旛沼事件」脱走した女性活動家を誘い出し絞殺)が行われたところで終わっています。
その後、山岳ベースにおいて、革命実現に向けて集った同志たちが結束を強めるどころか、実に些細なことで悲劇が加速していく。
「化粧(指輪)をしている」
「笑っていた」
「鼻歌を歌っていた」
「男に媚びを売って主導権を握ろうとしている」
そんな言いがかりとしか言えない、くだらない理由を元にして、「総括」が不十分であると迫り、激しい暴行を加え、縛り、食事を制限し、糞尿を垂れ流しにさせ、女性同志の髪を切り落とす。
「総括」の名のもとに「同志」を死に至らしめていく。
恐怖です。
その死を「敗北死」と断罪し、それは革命への意志が弱いから死んだのだと割り切り、むしろ、「彼(彼女)の死を無駄にしない」のようなことを言って先鋭化、革命へと邁進していく。
『総括』について(Wikipediaより引用)
榛名ベースの「新党」においては、「総括」と称する内部でのメンバーに対する批判や自己批判がエスレートするようになった。総括とは、本来は過去を振り返る「反省」を意味し、当時の左翼政治運動家の間で好んで使われた思考法であった。
連合赤軍において、総括対象者は最初は作業から外されるだけだったが、間もなく「総括に集中させるため」として、長時間の正座、食事を与えないなどされ、ついに殴打が加えられるに至った。
この際に連合赤軍の最高幹部の森恒夫は、殴って気絶させ、目覚めたときには別の人格に生まれ変わり、「共産主義化」された真の革命戦士になれるという論理を展開した。
この暴行はあくまで「総括」のための「援助」であるとされた。
暴行の対象者は日を追うごとに増えていき、死者を出すに至ったが、森らはこれを「総括できなかったための敗北死」とし、方針が改められなかったため、死者が続出することになった。
被害者らの死因は殴打による全身打撲や内臓破裂、氷点下の屋外にさらされたための凍死、食事を与えられなかったことによる衰弱死などであるとされる。
一部のメンバーは森により「組織に対する裏切り」と断定され、「死刑」が宣告された。この「死刑」は相手を殺害することを目的としたもので、アイスピックやナイフで刺された後に絞殺された。
1971年12月末からの約2カ月間に死亡したメンバーは12人にも上った。犠牲者の中にはメンバー同士で恋仲であった者、兄弟であった者もいた。中には妊娠していた女性メンバーもいた。証拠隠滅のため遺体はすべて全裸で土中に埋められた。
連合赤軍の他にも多くの政治的過激派組織による殺人事件は発生しているが、当事者による事件の詳細な経緯の発表はほとんど行われておらず、事件の実態は闇の中となっている場合が多い。
そのような中にあって、本事件は事件を批判的に捉え返した詳細な記録が複数の当事者により発表されており、事件の実像に迫りやすいという点でも特異な事件(山岳ベース事件)である。
『定本 レッド 1969‐1972』作中では連合赤軍「森恒夫」ではなく、
「北(おやじさん)」の仮名で登場する。赤色軍の現リーダー。
彼のセリフに、
「総括は単なる自己批判や、単なる反省とは違うんや。その誤りを引き起こした思想的な原因を自己史の分析にまで深く掘り下げ、誤りを引き起こす根本原因を解明し、その克服方法まで自らの力でたどり着く―――」
と、ある。
殺人を含めた過激な非合法活動は断じて許されないとして、この考え方単体は間違っていないように思えた。
確かに、単に自己批判や反省をしたところで、それは「しただけ」で終わってしまう。克服方法(結果に繋がる努力)を見出すことで、
自己理解を深める、前進する、自らを「革命」する。
彼らはエコーチャンバーの中で、自らの思想や理想に雁字搦めになり、先鋭化し、同志を死に至らしめる悲劇へと向かっていった。
美化してはいけないが、物事を多面的、多層的に捉えることで、学べることがあるかもしれない。
私も自身を「総括」して、前進していきたい。