人型ロボットについて思うこと
自宅に帰ると、人型のロボットがいる。角のとれた丸みのあるフォルムで、キビキビと家事をこなし、秘書のような仕事もこなす。結構じゃないか。ゲーム『DETROIT』では、一見して人間にしか見えないアンドロイドが、各家庭に一台が当たり前として描かれる。
本当にそんな未来がやってくるだろうか。
個人的に、「一般家庭」は難しいと思う。何故なら、首から上だけでハイスペックパソコンなみの値段だろうし、体も2~3万円というわけにはいかない。ホンダのアシモは一年間のレンタル料は、2000万円。
例えば大量生産が可能になり、400万円程度になったとしても、手が届くだろうか。家電を一通り揃えて、車も買って、家も買って、さらに、ロボット。維持費も含めて考えると現実的ではない。
農業、建築土木業、遠洋漁業(特にカニ漁)、その他、人間がやるには危険な仕事をロボットが担う。同僚として、使役として、道具として、仕事で関わる。それぐらいが現実的な気がする。人間の代わりに土に汚れ、風雨に晒され、極地で重労働に従事するその姿は、どこか哀愁が漂っていそうだ。
他方、インターネットに常時接続し、必要な情報を送受信し、場合によってはリモートコントロールするとなると、問題がある。
それは、悪用。ハッキングである。
人と同じ体をもつということは、殴る、蹴る、刺す、撃つ、壊す、車で暴走する、燃やす。なんでも出来てしまう。それが、絶対におきないという保証はないとしたら、デメリットが大きすぎる。場合によっては、フラッシュモブ的、同時多発的に、膨大な数のロボットが暴走したら大惨事である。
もし、外科医ロボットが患者を切り刻んだら。もし、クレーン操作ロボットが意図的に鉄骨を人の上に落としたたら。もし、介護ロボットがお年寄りを放り投げたら。
考えればキリがない。これら、他、無数のリスクがあったとしても、社会にとって必要不可欠なのか。人型ロボットは。
例えば、自動車はどうか。自動車事故は、死者が2022年で2610人。過去30年間で見ても数千人単位である。
しかし、交通、運輸は人間でいう血液や血管のようなもので、文明社会において絶対不可欠であり、それ無しに成立しない。毎年数千人の命を犠牲にしてでも、存在価値がある。メリットがデメリットを遥かに超えている。
ロボットはどうか。それも自律型、常時インターネット接続の人型ロボット。リスクを考えると、難しいように思える。任意でシャットダウンし、行動を停止できる機能をつけたとしても、それ自体を無効化されたらどうしようもない。いくら対処しても、それは、いたちごっこである。
加えて、自動車に違法改造があるように、ロボットにもそれはある。殺傷能力を高めて、テロや犯罪に使われることは容易に想像がつく。考えるに恐ろしい。何も信用できない。
SF映画や小説のように、当たり前にロボットが、実社会に存在する未来は想像しにくい。未だに、空に車は飛んでいないし、火星に住める気もしない、電脳化し疑似記憶を植え付けられもしない。
やはりそれは、ロマンの産物にすぎないのか。高卒の頭脳ではここいらが限界である。
個人的に、人型ロボットが「お帰りなさい」なんて言ったら恐れおののく自信がある。深夜、トイレに行こうと起きて、振り向いてロボットがいたら漏らす自信がある。数百万円のロボットを買うくらいなら、自家用車ほしい。というか、人間の新鮮なメスがほしい。冷たいロボットの肌より、人の温もりが恋しい、秋の終りです。
なんと、つまらぬ人間よ。合掌。