金曜日と岩本素白

 会社をでると、外は暗闇だった。
 金をおろした。
 直腸内の大便を排出するため、デパートのトイレに入る。
 毎週金曜日の楽しみ、蒙古タンメン中本。
 北極野菜シャキシャキ、麺大盛、北極煮卵、背脂、ライス大盛。
 慣れ親しんだ激辛と旨味。麺に絡む至福。
 鼻水と口元の汚れは紙エプロンにまとめて捨てる。
「ごちそうさま」
 ドラッグストア。
 燃えるゴミとプラスチックゴミの袋。12包入りの入浴剤、プラスひとつ。ボディーソープ。
 Suicaに2000円を入金。
 行きつけのスーパーマーケット。
 クラフトビールを四本。野菜ジュースと牛乳を二本つづ。安かった緑茶とほうじ茶。ポイントが802円分溜まる。
 バスで帰宅。
 一番前、左側の席。はす向かいに運転手。
 若干、右膝が痛むので、気を付けて席を降り、自宅近くの停留所で下車。
 ポスト。
 トレンドマイクロから振込用紙が届く。
 18700円。
 ウィルスバスター+デジサポプレミアム3年。
 近所のファミリーマートで支払う。
 更新後契約期間が2028年9月末日になる。
 手洗い、うがい、シャワー、洗濯をこなす。
 岩本素白先生の随筆文学「読我書屋」を読む。
 ネットサーフィン。
 洗濯物を干す。
 風呂を焚き、noteのネタに頭を悩ませる。
 入浴。
 野球ゲーム、ネットサーフィンときて現在に至る。
 非常に、
 簡略化された文章にしてみました。それはやる気が無いからではなく、時間が無いからで、故・西村賢太氏の『一小説書きの~』という随筆へのオマージュです。
 さてどうしましょう。
 すでに書くことがありません。
 ちなみに岩本素白先生を紹介しよう。
 
【岩本素白】
(いわもと そはく、
 1883年(明治16年)8月17日‐1961年(昭和36年)10月2日)
 国文学者、随筆家。本名は堅一(けんいち)。
 東京府麻布に生まれる。父・竹次郎は旧丸亀藩士で海軍勤務であった。
東京専門学校(現:早稲田大学)文学部国文科卒業。母校の麻布中学教諭(恩師は創立者の江原素六)を経て、1932年(昭和7年)より、早稲田大学文学部国文科講師(のち教授)で随筆文学講座を担当。
 戦災で自宅蔵書を失い、信州に疎開した。1954年(昭和29年)に定年退職後は、麻布高校、跡見学園短期大学でも教えた。自宅書斎で執筆中に倒れ、約一カ月後に亡くなった。
 義理堅く潔癖な性格なため、自身の著書公判には積極的ではなく、『岩本素白全集』(全3巻)も少部数しか刷られなかった。近年になり著作や人となりが識者に見直され、新版再刊されている。
 早稲田大学での同僚に、歌人の窪田空穂がおり、主宰する歌誌『槻(つき)の木』に参加し、短歌や随筆を発表した。同僚の友人は他に、歌人・東洋美術史学者の會津八一がいる。

 ウィキペディアの引用によって文字数を稼ぐという、チート行為を行ったことを懺悔します。岩本素白先生をどうしても紹介したく、かような行為に至ったわけです。
 少部数である『岩本素白全集』(全3巻)を所持している。
 駒込の六義園の近くにある「BOOKS青いカバ」で出会い、約15000円で購入。それ以来「素白先生、素白先生」とまるで没後弟子の様に親しみ、読むたびに、その日本語の美しさに静かに感動する。
 私大文系最高峰である早稲田大学で国文科の教授を務めていたのだから、その文章は、"とびきり"の折り紙付きである。もっと評価されるべきだし、講談社文芸文庫あたりで全集を出してもいいはずだ。 
 随筆というより"随筆文学"であり、戦前の日本の、東京の様子がありありと描写された傑作である。
 そんなこんなで、こんなもんでどうでしょうか、素白先生。
 屹度、何も言ってくれないのでしょう。原稿用紙であれば、ぽんと、机に放って、暗にやり直しを求めることでしょう。明日は酒を飲むわけで、今から出来が思いやられるが、弱音を吐いていても仕方ない。
 エッセイ(随筆)のネタを探そう。
 そして時間がない。
 素直に、厳かに、筆をおくことにする。
 
 
 
 
 
 

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