日向の蚯蚓
よく晴れた雨上がり。
くすんだ赤色で、使用済みのコンドームのような、物悲しい姿をした蚯蚓が路上で干からびている。
彼らは皮膚呼吸で、普段は地中で暮らしている。大雨になると、地中に水が溢れて、酸素が少なくなり蚯蚓は酸欠状態になる。
つまり、溺れてしまう。
たまらず外の世界に逃れて、水はけのいい場所を探すわけだ。そしてアスファルトなどの人工的な道路は、渡りに船である。
とはいえ目の見えない蚯蚓は土に戻れないまま、彷徨いつづけ、日光にさらされつづけて、ついに干からびる。
さらに、彼らの身体はほとんどが水分であり、体温調節ができないため、日差しが強くなり地中の温度が上がれば熱に耐えきれず、外へ出てしまう。
干からびるか、人に踏まれるか、鳥の餌になるか。
そんな蚯蚓が何匹も、アスファルトで息絶えている。
男はそれがまるで、未来の自分を見ているようで、苦しくなった。
と、自虐に満ちた低次の感傷に浸りながら、あてどなく散歩をつづけている。洗いざらしのシャツは、すこし濡れていた。
行く先々で蚯蚓の死体が干からびている。どこまでも追ってくるように、忌々しさと禍々しさを帯びたそれは、何を指し示しているのか。
気のせいである。思いつめていたせいで、そう捉えてしまっただけだ。そもそも何について「思いつめて」いるかさえ分からないほど、五里霧中の日々である。人生の視界は完全にくすんでいる。であるから、地中でなんとか生き延びているわけだ。
が、しかし、いつかは熱い熱い日差しが降り注ぐアスファルトのうえに、出て行かなくてはならない、かもしれない。
その時は苦しいのだろうか。
私の身体は6割程度が水分で出来ている。その場をしのぎ、地中に戻れたらよいが、屹度、私は戻れずに干からびるだろう。
このままでは。ほぼ確実に。この道の延長線上にはつづきが無い。
よくできた、何処に出しても恥ずかしくない人間にはなれないにしても、惨めに息絶えたくはない。
社会の隅っこでもよいから、安酒をあおり、ネットをして、昼寝をする。その程度でよいから、干からびたくはない。
たとえ干からびるにしても、出来るだけ苦しみたくないのだ。
「もう帰ろう」
あまりにも雨上がりの空が綺麗すぎた。
スポットライトのような陽の光は温かく、
雲の白と、空の青のコントラストは瑞々しく、どこまでも爽快だった。
控え目な煌びやかさが、ビル群のガラス窓に反射している。
少し赤みを帯びた夕間暮れの空が、ひっそり忍び込んでいた。
「綺麗だな」
男は静かに言葉を漏らし、
とりあえず、
コンビニでも寄っていこう。
日常の心持ちに、何故だか切替わった。
来た道を戻ると、不思議と日向の蚯蚓の姿が消えていた。
地中に戻らず、アスファルトで干からびることなく、しっかりと地に足のつけて歩いていこうなどと、歯の浮くような気恥ずかしい言葉がはっきりと浮かんだ。
綺麗な夕間暮れ程度で前向きになれる、安い危機感の、その程度の低さに安心感を得ながら、男はコンビニにはいっていった。