愚痴文学

 空腹はさざ波のように寄せては返し、やる気を削ぎ、書きだしから膝が震えている。何故、こうも毎日せっせと記事を書かなくてはいけないのか。
 始めてしまったからだ。続けてしまったからだ。ライフワークと化してしまったからで、完全に習慣化してしまったからだ。これは呪いに等しく、仕事でもないのに欠かすことが許されない状況にある。煉獄の成分で生成された天国でのたうち回る、そんな日々を送っている。昨日のnoteで「明確なテーマで書きたい」と書いたはずだが、そんなものが天から降ってくるはずもなく、こうして愚痴を垂れ流している状況。

「畢竟、虚空から文章を紡ぐ荒行に足を踏み入れている」
 
 ちなみに畢竟(ひっきょう)とは、「畢」も「竟」も終わるの意で、仏語。究極、至極、最終などの意味をもつ。
 さまざまな経過を経ても、最終的な結論としては。つまるところ。結局。
 そんな意味だ。
 虚空の暗闇を名もなき物書きは立つことすらできず、四つん這いで光りを求めて彷徨う。手探りで、五感を研ぎ澄まして、何か、書くことはないのかと。そもそも自分は何に対し興味をもっているのか。頭を振ってみたところで音すら鳴らず、空腹が駆け巡るのみ。
 何を書けばいい。
 何を表現すればいい。
 私には才能があるのか。
 もっと、もっと考えを巡らせてみよう。
「あかんかった」
 物書きは腹の音を合図に、シャワーを浴び、風呂を焚くことにした。
 酒盛りのアテである、卵ワンパックを小鍋にすべて割り入れ、イカ軟骨の唐揚げを器に移した。
 安物の総菜を山盛りにして準備万端。
 一週間に一度の酒盛りを、noteの記事執筆が立ちふさがっている。
 早く終わりたいとの、物書きの端くれを粉砕した黴がブロッコリーな存在である私の怠惰なる思考が、本当の敵である。
 閑話休題。
『愚痴文学』というタイトルから、愚痴を並べてみようかと思ったが、私はそんな心のハラワタを吐き出すほどに馬鹿じゃない。愚痴を心のダムに溜めこむほど陰湿でも、執拗でもない。
 愚痴を誹謗中傷に還元し、SNS上で暴れ回るほどに狂乱してもないのだ。そもそも愚痴を零したしたところで、良いことはない。
 ストレス発散という目的もあるが、それは、愚痴を零したことによる効果というより、気の置けない友人らとの酒盛りの結果だ。
 愚痴を零すのはむしろ逆効果、ストレスを発散してしまったことで、解決すべき問題から遠ざかるのだ。
 つまりこの記事は土台生産性がなく、意味もなく、興味もなく、ネタ切れによる苦肉の策であるとの結論に達した。ならば、書くことをやめればいいのだが、昨日に続き、文字数が足りない。
 そんな愚かな痴れ者である自覚を持ちつつ、ただ持つだけでは意味がないことも肝に命じつつ、蛇足を書いて終わろうと思う。
「はて、蛇足とは何か。さっぱり分からぬ」
 どう着地させればよいのか。
 それは、徹底的に愚痴を零すことで、無理矢理タイトルを回収する。
 それでいい。
「なんで空腹で酒の飲みたいのに、noteの記事書いてるのか。やる気がないわけじゃないが、背に腹は代えられないわけで、私は何をしているのか。そもそも腐泥溢れる暗渠をいくような、そんな文章を書いてなんの意味があるのか。それを数少ない読者に公開して、楽しませることができるわけがない。こんな息苦しいことはもう止めたい。しかし文字数が足りない。嗚呼もう嫌だ。もう、本当に、い、や、だ」
 ふう。
 少しスッキリした。
 明日は例のごとく、丸善・津田沼店へ行く。大汗溢れる残暑にも負けずに、積読を増やす予定である。外の空気を吸えば、何か、いいアイデアかテーマが降ってくるだろう。そんな希望的観測で、成果がでるかどうかは分からない。
 博奕打ちのような物書きライフが、延々と続く先に何があるのか。
 光りが見えぬ暗中行路を、線香花火の消えかけような希望を頼りに進んでいきます。他に道もないようなので。
 風呂に入って、酒を飲もう。
 文字数も達したことだし、「公開に進む」ぜ。
 

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