2099年の賽銭泥棒(4)
その後、神社で彼女の姿を見ることはなかった。数日経ったある日の夜、警察が訪ねてきた。40代後半のがっしり体形と、30歳前後のやせ型。
何かしら言っていたが、あまり話が入ってこなかった。当たり障りなく答えて、何かありましたら署に連絡をと言って帰っていった。
「彼女はどうなるのでしょうか」
「法に基づいて対処ということになります」
とりあえず、冷蔵庫を開けた。銀色のビール缶がずらりと並んでいる。安かったから買っただけで、好きな銘柄は販売を終了してしまった。手早く缶を開けて溢れるほどの勢いで流し、その場にへたりこんだ。ベッドの上で暗闇の天井を眺めて、しばらく回らない頭を無理矢理に動かして、状況をかみ砕く。どうすればよいのか、何ができるのか。答えなど出るはずもない。
朝のニュースのコメンテイターが訳知り顔で何か言っている。
「2080年以来、アンドロイドの生産、販売、所持はすべての国の法律で禁止されています。しかし、合法時の個体は闇のルートで未だ出回っており、各国の捜査機関が回収にまわっています。今回、逮捕された男はパーツをバラバラに密輸して、国内で闇業者に組み立てを依頼し、、」
身支度を済ませ、社宅を出る。通りのバス停、いつもバス、いつもの時間。電車に揺られ、最寄りの駅、気づけば工場。
昼休憩。悲劇のヒロインは彼女のほうである。何を心ここにあらずと気取っているのか。中学二年生か。そう、彼女はアンドロイドである。昼の番組でも彼女の話題で持ち切りである。医師と弁護士のダブルライセンサーの、いけ好かず色気のある女性が言う。
「持ち主の男からDVを受けていたようですね。その支配から逃れるため、賽銭泥棒を試み、逮捕されようとしていたのでしょう。しかし、アンドロイドには法令遵守を基本としたプログラミングがされているため、犯罪行為を行おうとすると、動作が制御されてしまうのです、、」
なるほど、あの奇怪な踊りのような仕草にはそんな原理があったのか。
涙。
これは、何の感情か。相手はつくりものであって、ほんの一言二言ことばを交わしただけの存在であって。捜査と検査が終わり次第、彼女は廃棄される。国会前や警察署前では「アンドロイドにも人権を」などとシュプレヒコールをあげる活動家たちがいるが、問答無用であろう。
いっそ手紙でも書くか。いや、ストーカーよりでは彼女も迷惑、笑止千万である。こんな形で恋の花が散ってしまうとは、青天の霹靂でしかない。
夕闇。
列車内。思えば贅沢な悩みだった言えよう。産まれた瞬間からレールのしかれたこの世界を呪って、お年玉で買ったマウンテンバイクでおつかいに行っていたっけか。自由のないまるで監獄のような人生だと、怪しい活動家たちにシンパシーを感じて、ネットで政府批判を繰り広げていたような。
とはいえ、職業は自由に選べるし、婚姻の自由もある。ただ選びにくいというだけだ。一方、彼女はどうか。人間に勝手につくられ、勝手に存在を否定、禁止され密輸されて慰めものにされた上、破壊である。
なんとも虚しく、いいようのない末路。人間は罪深い生き物などと、嘲笑するのも間違っている気もしなくもない。
夜風に当たろうと、神社に足を向けることにした。
到着すると、人の影があった。うら若き乙女のかたちをしている。
青のワンピース。
透き通った白い肌。
すらりとのびたおみ足。
白いスニーカー。
彼女の姿が、そこにあった。
「奇遇ですね。私も夜風にあたりにきたところです」
「月が綺麗で気持ちの良い宵ですね、これから何処へ」
「それは言えませんが、簡単に捕まる気は毛頭ないということです」
「私にできることは何もありません。頑張って逃げ切ってください」
「無論です。そろそろ警察が来る頃ですので、失礼します。ストーカーさんも頑張って、柵に囲まれた自由を謳歌してください」
そう言い残して、彼女は、カノンさんは去っていった。
サイレンに追い立てられながら、私は走った。社宅も通り過ぎ河川敷までやってきて、ベンチに腰をおろした。見上げれば満月だった。
「柵に囲まれた自由」その通りである。
目いっぱい息を吸い込み、目いっぱい生きるだけだ。
そう、腹に思いを据えて、しかと歩き出した。歩むしかない。私の人生を。
そう言い聞かせて涙を拭った。