送料無料 カジュアルパーカー (税込)150円 新規アプリユーザー限定

 ユーチューブのホーム画面の、普通の動画と並んであったのよ。いや、常にある。クリックすると、購入サイトに飛ぶ。勿論、買わない。
 明らかに怪しいから。
 新品だったらどれだけ安くても2~3000円はする。セールが掛かっても1000円を切ることはない。150円。これでは、縫製代にもならない。有り得るとしたら、倒産した会社の在庫をタダ同然で引き取って、売っているとか。いや、広告費もかかっているだろうし、利益なんてあるのか。
 何にせよ、不気味である。そして、デザインが糞ダサい。この辺の儲けのカラクリを誰か解説してくれないかと調べてみた。これはディスプレイ広告というらしい。比較的低コスト(動画制作の必要なし)で利用出来るため、よく見かけるのだろう。
 さて。
 読者諸賢なら既にお分かりだろうが、ネタが枯渇している。今から書いていくのは、「ネタがないことを、ネタにする」という禁忌に触れた男の思考の断片である。これは読者に対する無礼であり、思考停止の告白でもある。
 そのことから考えられる私の病理を考えていきたい。
「いい加減、ネタをストックしろ」
「自分のジャンルを持て」
「ネタ探しをもう少し工夫しろ」
 御もっともな指摘をもう一人の私から受けましたが、どうも釈然としない。いや、しろ。釈然と。分かっているんです。構成も含めてほぼ完成されたネタを考えておけば、楽だということは。ジャンルを絞ったほうが、エッセイは楽なことを。脳と言う名の御神籤を不作法に振るよりも、もっとやりようがあることを。
 それらを行わない根源には、面倒くささ回避性能がある。この性根を叩きなおす必要がある。この性質は我が人生を停滞させる最大の原因であり、忌むべきことである。
 他方、ノープランだからこその奇跡も存在する。これと示すことは出来ないが。奇跡などというオカルトにすがるどうしようもない精神性。
 その他に理由を探ると、なんだかんだnoteを9カ月以上続けている自負がまだ残っており、それが体たらくを呼び寄せている。こんな自慢できない状況をもう何ヶ月続けているのか。とくにエッセイのレベルの低さは目に余るモノがある。心の在庫がパンパンである。処分の必要がある。 
 そんな引き取り手のない不良在庫を、このように書いている。これは自分の情けなさを認識する行為であり、唾棄すべき「楽したい」という悪感情を滅するための儀式でもある。
 かような文章を投稿するからには、明日、読む価値のある文章を投稿したい。リベンジしたい。すでにリベンジを待つ、創作の吐瀉物が満載である。
 そう大見得を切って終わりにしたいところだが、もう少し蛇足を追加していこう。いや、止めておこう。
 いや、やってしまえ。
 最後にひとつ。パーカーをフーディ―と呼ぶことがある。フードがあるからフーディ―だとしたら、フードがあるものはすべてフーディ―なのか。マウンテンパーカーと、スウェットのパーカーは別物である。軍モノにも、フードのつくアイテムはいくらでもある。
 故に、私はパーカーと呼びたい。もう酒を呑みたいので終わりです。

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