週刊「我がヂレンマ」<1月22日号>

 さて4週目。底辺なりに好評を得ている月曜レギュラー企画。内容の目処がついているため、気が楽であり、オアシスと化す気配がある。しかし油断すれば奈落に真っ逆さまは必定、気を引き締めて参る所存。
 今週は<メモについて解説と考察><最近、購入した書籍の紹介><最近、気づいたこと>の三つ。
 前置きはこれくらいにして、ドンと行こう。

<メモについて解説と考察>

「戦国ホームドラマ、貧しい農村」
 ホームドラマと言えば娘と距離のある人の良い父親、よく出来た明るい母親、年頃の娘、無邪気な弟、祖父母。そんな家族構成で心温まる、または時代に合わせてシリアスな展開もある(ホームドラマ自体、死語か?)。
 ならば戦国ホームドラマ。しかも貧しい農村という設定。厳しい年貢、とんでもない不作、戦(いくさ)、本家・分家、村八分など、シリアスな設定とともに家族の愛と綺麗ごとのない現実を描く。どうでしょう。

「徳井、不徳井」
 徳井か、そうでないか。徳井さん以外は不徳井であり、徳井さんであること。ならば佐藤、不佐藤でもよく、芹沢、不芹沢でもよし。つまりなんの意味もなさない思い付きである。思いつきとはそんなものだ。ほとんどがゴミであって、宝なんて10個に1個もない。そのため『メモ』に対して、過大な期待をしてはならない。

「みかんの待機」
 当然、未完の大器のモジりである。思い浮かべていただきたい。薄汚れた控室で、コーヒーをすすりながら座布団の上で待機するみかんの哀愁を。いつ呼ばれるとも分からぬなかで、ひたすら待機している。後輩のマンダリンオレンジは後からきたというのに、先に呼ばれる。
 もしかして日付を間違えたのか、または同じミカン属であるマンダリンオレンジに来た仕事を、自分が勘違いし来てしまっただけでは。
 そんな神経衰弱を味わう『みかん』の運命はいかに。

「海原流産」
 アニメ化もされた『美味しんぼ』の海原雄山のモジり。不謹慎で、有名人なら炎上案件である。これ以上書けることのない、有害な思い付き。

「消えたサイダー、水平線」
 どことなく純文学の香りがする。おそらく田舎の港町で、彼女は東京の大学へ進学が決まっている。主人公の男の子は父親の手伝いで漁師なる。別れが決まっている。彼女はサイダーの気泡のように爽やかで、オレンジ色に染まる水平線のように暖かく、もうすぐ消えていく。愛を知るには若く、恋に<堕ちる>には幼い二人。なんてね。村上春樹先生の新作にありそう。あの年でも恥ずかしげもなく、高校生男子を書けるなんて凄い(褒め、尊敬)。
 ちなみに私は、海と縁遠い人生であります。

「知らぬわ、放っておけ」
 知らぬが仏のモジり。モジりが多いね。元の意味は不愉快な事実を知れば、腹が立ったり悩んだりするが、知らなければ心は平静でいられる。また、本人だけが知らずに澄ましているさまを、あざけっているさま。
 ならば、『知らぬわ、放っておけ』は何か。単なる突き放しの言葉である。放っておけ、とうことは登場人物AとB以外の話をしている。どんな事情があるのか。どうでもいい。そう思えるくらいの思い付きである。

「悲劇の長いトンネルと抜けると惨劇だった」
 川端康成の名作『雪国』の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」を参考にしたもの。サスペンス系の映画のキャッチコピーにも見える。もしかして、大地震や大津波という悲劇が、徐々に人々の心を蝕み、些細な勘違いや行き違いで、後戻りのできない惨劇へと繋がっていく。その先に待つ衝撃の真実とは。タイトル『慟哭の証明』なんてね。

<最近、購入した書籍の紹介>

『「松本」の「遺書」』 松本人志
「人間、コンプレックスがないとあかん!」と公言し、ストイックな生き方を実践する著者――お笑いに魂を売った男の、人と時代を見据える眼力は鋭く、語りには毒がある。「反論も悪口も大歓迎する、正々堂々と来てみやがれ」と刺激的に言い放った、超ベストセラー『遺書』+『松本』、待望の文庫化!
 帯が、若いときの松本さんの目のアップで、すでにセンスを感じる一冊。
文春の件で休業宣言した今だからこそ、読んでみようと購入。前々から欲しかったがタイミングがなく、今になった。三分の一まで読んだが、自信満々で、仕事への真摯さと、物事に対する視点の独自さに驚く。
 30年前、松本さんはまさしくロックスターでカリスマだった。その一端を感じ取れる、お笑い好きやクリエイター志望ならば必携の一冊。

『松本人志 愛』 松本人志
 鋭く本質を見抜く目で独自の世界観を構築する天才芸人・松本人志の『遺書』『松本』に続くベストセラー第三弾、待望の文庫化。理想の女性像、結婚、笑いに対する姿勢、トップと走る者の孤独、差別意識、引退、死についてなど、身近なテーマから、哲学的な命題まで、素の松本が真摯に語り尽くす。
 ヘアバンドに白シャツで、煙草を吸う松本人志がカッコイイ表紙。カッコいい芸人の走りである。心酔する芸人や若者がいても不思議はない。お笑いのスキル、漫才、コント、トーク、企画、あらゆる要素がトップかトップクラスであり、それまでになかった唯一無二の世界観。これは惚れる。女の一人や百人、いくらでもアテンドしたくなるというもの。松本人志に憧れて芸人の世界に入った人はより、その偉大さを実感しただろう。

『あなたの人生の物語』 テッド・チャン 浅倉久志◎他訳
 最強の3冠SF。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞。映画「メッセージ」原作者が贈る、世界中のクリエイターたちの愛読書。
 
 地球を訪れたエイリアンとのコンタクトを担当した言語学者のルイーズは、まったく異なる彼らの言語を理解するにつれ、驚くべき運命にまきこまれていく・・・・・・ネビュラ賞を受賞した感動の表題作(映画化名は「メッセージ」)はじめ、天使の降臨とともにもたらされる災厄と奇跡を描くヒューゴー賞受賞作「地獄とは神の不在なり」、天まで届く塔を建設する驚天動地の物語――ネビュラ賞受賞作「バビロンの塔」ほか、全8篇を収録。

 だそうです。テッド・チャン先生の作品は短編集『息吹』を買って以来。知った名前で、つい手に取ったのだ。それだけである。そして楽しみ。

『塵に訊け』 ジョン・ファンテ 栗原俊英 訳・解説
 30年代の頽廃、ビートニクの先駆所は照りつける太陽と視界を奪う砂漠の塵が舞うロサンゼルス――ワラチを履いたメキシコ娘カミラ、作家志望のイタリア系アルトゥーロ。差別される者どうしの共感が恋に震え、疾駆し、うなり、転げる生80年の再刊で沸騰した名著の新訳。
 
 一行一行が軽やかにページを転がっていく、言葉がほとばしっている。すべての行にエネルギーが宿っていて、同じように力強い行がそれに続く。各行の核となる部分がページに形を与え、そのなかに刻まれたなにかの感覚を伝えている。しかも、この男は感情を恐れていない。ユーモアと痛みが、どこまでも飾り気なく混ぜ合わされている。あの本の冒頭は私にとって、けたばずれの荒ぶる奇跡だった。・・・・・・本のタイトルは『塵に訊け』、著者の名前はジョン・ファンテだった。
(「チャールズ・ブコウスキーによる序文」より)

 ブラック・スパロウ版には、チャールズ・ブコウスキーが序文を寄せている。・・・・・・このたびの新訳では、訳者の判断により「附録」として作品の末尾に置くこととした。ブコウスキーの言葉を介さずに、まずファンテ自身の作品に触れてほしいという願いがあるからである。・・・・・・本書を含め六冊の日本語訳がそろったいま、そろそろ、「ブコウスキーによって再発見された」という枕詞から、ファンテを解放してもいいのではないかと訳者は感じている。
(「訳者あとがき」より)

 新宿紀伊國屋書店で前々から見かけていた。満を持して購入。3000円+税なので、決して安くはない。書きだしからして、ナイス・フィーリング、期待大である。これは直接、書店で出会ったもの。Amazonもいいが、リアルには偶然がある。AIが好みを分析しておススメしてくる本にはない、縁が、リアル店舗にはある。

<最近、気づいたこと>

『何をすればいいか分からない。について』
 若者であれ、40代のおっさんであれ、人生行方知れずの人間がよく吐く言葉、「何をすればいいか分からない」がある。私も人の事を言えた人間ではないが、気づいてしまったのだから仕方がない。もしかしたら自己啓発本を買えば、大体、書いてある内容かも。
 さて持論を書く。
 おそらく、そう言ってしまう人は、自分のスタートライン(現在地)を認識していない。自分と向き合うことを意味している。
 産まれて記憶のある時点から現在までを思い出す。どんな子供で、何を考えて、何に挫折し、どんな決断を下してきたのか。自分は何者か。今、何が出来るのか。これを、出来るだけ正確に把握するべきである。
 そのうえで、とりあえずのゴールラインを決定する。どうありたいか、何が幸せかを問いかける。そうすれば、自然とゴールに向かうには何が必要か、何が足りないのか、どんなロードマップが正しいのか分かるはずだ。 
 勿論、途中で軌道修正したり、目標が変わる可能性もある。
「スタートライン」「ゴールライン」「ロードマップ」をまったく認識できていないから、「何をすればいいか分からない」のだ。
 自分と向き合うのは、恥の多い不戦敗人生を送る活力ゼロ人間からすれば苦行であろう。避けたい関門だろう。
 故に「自己憐憫」「他責・他罰思考」「依存」の無限ループに安住してしまうのだ。そして年をとり、人より早めに孤独と惨めさのなかで死ぬ。
 私は戦って死にたい。そうカッコつけることにした。noteはその一部であると宣言して、本稿を了としたい。
 
 
 

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