使い捨て

「いや、コレ、いいんですかね」
 作業員Aがふと漏らした。
 眼前に広がるのは、大量の、或るひとりの男性の肉体だった。
 巨大なプールのような槽はオレンジ色の液体で満たされ、それぞれの口と性器と肛門には管が装着されていた。
 同一人物によって埋め尽くされた空間があった。
 作業長はあっさりとした、幾らか冷淡な声で返答した。
「考えるな。クローンはとっくに合法化されてる。宇宙時代に貴重な市民を使い捨てにできない、ということだ」
「そうですか。はぁ」
 工場で大量生産される装具、道具、武器、デバイス、各種器具を装備し、携行することになる彼ら。
 工場で大量複製される人間、『使い捨て部隊(エクスペンダブルズ)』は今日も元気に、必要最低限の情報を脳にインストールされ、広大な銀河系の各惑星に送り込まれていく。
 月面都市クローン製造工場は二十四時間稼働で、三交代制、作業員Aはきっちり夕方5時に帰宅する。
 早く地球に帰りたい。 
 そう思いながら、帰宅の途につく。
 ムーンライナーに乗って。
 煌めく全面ガラスのビル群、美しいニレとヤナギの木々が植林され、地上・空中を問わず車が行きかい、人々は闊歩する。
 そこには、技術の粋と文明の栄華があった。
 すべてを覆い尽くす宇宙空間は、ドーム型の透明な隔壁の向こうにどこまでも広がっている。
 何のことはない二十二世紀の、人類の日常があった。
 作業員Aがふと目をやると、空調のきいた車内にフルフェイスのヘルメットを被った男いた。
 ひどく疲れているようで肩で息をしている。発汗も異常で、肌は青白く、あきらかに体調不良のようだった。
 心配になり声をかけると、シートからずり落ち、床に倒れこむ。次の駅で降ろしてやろうと、作業員Aは近づき、ヘルメットを外した。
「あっ」
 息をのむ。
 ついさっきまでクローン製造工場で取り扱っていたクローンそのものだったからだ。
 脱走か。いや、厳重な警備体制が敷かれているし、自由意志は抑制してあるから勝手な行動は、そもそも出来ないはずだ。
 どうする。通報か。規則ではそうなってる。
「助けてくれ、逃がしてくれないか、頼む」
 使い捨ては作業員Aの腕をつかんだ。
「それは出来ないよ、僕が逮捕される。規則、法律なんだ。次の駅で降りよう。体調が悪いようだから」
 腕を掴む手は緩み、使い捨ては意識を失った。
 作業員Aは次の駅に到着すると、使い捨てを抱えて降りた。
 とりあえずベンチに座らせ、通報を済ませる。
 しばらくして使い捨ては、意識を混濁させながら言った。
「通報したんですか」
「したよ。すまない。僕にできることはないんだ、申し訳ないけども」
「私はどうなるんです。連れ戻されるのでしょうか、何処へ送り込まれるのか、不安でたまらない」
「クローンの運用については、僕は派遣の、いち作業員だからわからないけども、危険であることは確かだよ」
「ですよね」
 作業員Aは、吹けば霧散しそうなほど焦燥した、使い捨ての顔を見た。
 出来ることはないかと、思い立ち、
「コーヒーでも飲む?」
「コーヒー?」
 作業員Aは自動販売機で缶コーヒーを二つ購入した。
 二缶落下する音が響く。
 二缶を手にして、顔を上げたさの先に、警官がいた。
 警官は、テーザー銃を構えている。
 使い捨てが振り向いたと同時に、それは放たれた。二本の針が使い捨ての額に突き刺さり、ワイヤーを伝って高圧電流が流れた。
 一瞬のことだった。
 痙攣し、泡を吹き、白目になり、失禁し、震えて動きをやめた。
 警官は素早く収容袋に使い捨てを収めた。
 もう一人の警官が作業員Aに手短に聴取をして、撤収していった。
 夜がやってきて、冷たくなってもしばらく動けず、とりあえず缶コーヒーを一本を開ける。
「苦い。もう帰ろう」

「やあ、おはよう」
 ある日の作業員Aは、いつものようにクローン製造工場で作業にあたっていた。
 無数の使い捨てに話しかけた姿を認めた作業長は、露骨に顔をしかめた。
「今のは誰に言ったんだ? まさか君」
「いえ、なんでもないです」
「それならいいけども、コレらは我が社の商品であって――」
 作業員Aは聞き流し、くっきりと思い出していた。
 吹けば霧散しそうなほど焦燥した、使い捨てのクローンの顔を。
 
 

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