本日、底冷え、秋湿り。
書くことが無さ過ぎて、「寒い」「秋の長雨」といった気候について書くことになってしまった。
流石に部屋着が半袖半ズボンでは辛くなりだす。
冬に突入してしまったのか。単なる秋冷えか。いずれにせよ、もう少し温暖化してほしい。いや、本当に寒い。
こうなってくると鍋の季節であると、言わざるを得ない。
しかし問題がある。
面倒であると。
いや、そこまで面倒ではないと。
鍋に水と出汁をつっこみ、白菜と豚をぶちこみ、火を通す。あとはポン酢で喰えば、まぁ美味い。それ以外はやる気がおきない。
とりあえず体を温める必要がある。
そこでスープなわけだが、昔を思い出してみる。
あれは小学生高学年あたりか、何故か、コンソメスープに野菜と肉をいれえて長時間煮込む遊びにハマっていた。得も言われぬコクが生まれ、家族に振る舞っていた。キノコを大量にいれる場合もあり、それはそれで旨みに溢れていた。
そして現在。スープをつくることはなくなった。みそ汁ですら、インスタントですらつくっておらず、料理といえばワンパック目玉焼きのみ。数年前に手作りで餃子を2回つくって飽きて以来、総菜か外食である。
完全に独身独り暮らしの典型にハマっている。とわいえ、料理男子を自称し、調理時間を確保すれば、問題が発生する。
読書とnote執筆の時間が削がれる。それは、由々しき問題である。
「自炊している」
その事実、自己満足のためにやるべきことを犠牲にするは愚の骨頂。
調理など、外注、人に任せればよいのだ。自炊したほうが安いが、その手間の為に時間を消費している。時は金なり、時は買い戻すことが出来ない唯一の資産である。
ここまで書いてひとつの事実に気付く。
『本日、底冷え、秋湿り。』
というタイトルに何も関係のないコトを書いている。
何故か。
寒い。それで何を書けというのか。
寒さに関連する思い出など、昔はストーブがあって、その上にお餅を焼いたとか、昔はコタツがあってみかんを貪っていたとか、それくらいだ。その他雑多な記憶を並べたところで、何にもならない。しかし文字数が足りず、終わるわけにもいかない。完全に泥沼にハマっている。身動きがとれない。
誰も助けてくれない。
執筆とは孤独な作業である。
格好つけても、この文章を今更修正できるはずはない。
気分を変えるために、シャワーを浴びて風呂を焚こう。
結果、サッパリして、少しはやる気がでる。リフレッシュは大事なことです。何事においても。
「だからといって、この記事の質が上がるわけではない」
その通り。
手の施しようがないのか。
ない。
後は酒を飲むしかない。アテは唐揚げとラーメンどんぶりいっぱいのポテトフライである。来年39歳になる男が、まるで二十歳前後の若者のような食事をしている。だからといって、あっさり少なめ上品に落ち着いて老け込むのは避けたい。そんな男心を吐露したところで、開き直り全開で突き進んだとして、もう、如何ともしがたい。
ならば、明日について書いていこう(何故?)。
朝6時から庭の草枝刈り、掃除。点検と軽作業で小一時間の休日出勤。
新宿へ移動し、『十一人の賊軍』『ヴェノム:ラストダンス』をDolbyatmosで二本立て(5200円也)、トマス・ピンチョン作品など書籍爆買い、夜半帰宅し、noteを特急で執筆。
多忙である。
底冷えにやる気を削がれ、雨に憂鬱を誘引される暇はない。
熱い冬を過ごす。
創作意欲を右肩上がりの急勾配で、一気に大気圏を突破し、無限大の彼方へと旅立つのだ。
怠惰の暗渠の腐泥で安寧を貪る日々は終わりだ。
溝鼠からユニコーンに生れ変るのだ。
栄光の大草原を翔けよ、大志を抱け、アラフォー独身男よ。
て、感じでいいですか。
もう酒を飲みたいし、風呂は焚けるし、もう夜半。雨も落ち着きだした。
明日は晴れる、きっと。
きっとかっと‥‥‥‥‥‥。