はい、消えました。

「早く消えて。警察呼ぶよ」
 Tシャツにスウェットパンツの彼女は、断頭するが如く勢いで、玄関扉を閉めた。青年は暴力か、土下座か、謝罪か、解決方法を模索したがどれも有効でないと諦め、アパートの階段を下っていく。
 泥をぶちまけたような曇天をいく青年は、住所不定無職、宿無し根無し草である現実を無理矢理に「自由」と解釈したが、失敗に終わった。
 やはり、土下座をし倒して、関係の修復を試みるべきか。
 青年は思案する。
 頼れる友人リスト。
 中学生からの腐れ縁のSは最近、妥協してブスと結婚し付き合いが悪くなった。大学時代のバイト先の先輩Nは、新興宗教にハマって、田舎の山奥に移住してしまった。飲み友達のKは会う度に借金を頼み込んでくる上、酒癖が悪い。
 どうしようもなかった。
 母親。
 却下。
 現役で路上に立っているような輩と触れ合うつもりはない。「あの人」とのいい思い出といえば、小学2年生の暑い夏。
 珍しく市民プールに連れていってもらった帰り、ガリガリ君ソーダ味を買ってくれたこと。
「早く食べな。溶けちゃうよ」
 真に受けて早食いし、頭キーンとなった。恨んだ。しかし冷たくて、甘くて、蝉が煩くて、その日は不思議と優しかった。
 が、それ以外は論外の落第の自由人。
 頼りたくない。
 青年はともかく空を見上げると、一筋の光が、無駄に緑豊かな郊外の町の公園に落ちていった。興味本位と、水道水を目当てにその方角を目指す。
 公園といっても無駄に雑木林が広がり、噴水があるぐらいの、何か起こりそうな場所である。噴水の近く、水飲み場で塩素を感じながら喉を潤した。
「さてあれはどこらへんに」
 青年は一瞬の記憶を頼りに、「一筋の光」の墜落地点までやってくると、それは、鈍い銀色の円筒形の物体だった。
 茂みにうずもれるように、直径30センチ、長さ1メートル程度のそれは煙を上げていた。青年が触れると、正面がスライドして、「ソレ」は姿を現した。
 まぶたをおろし、「ソレ」は何かと確認しようと、開けた次の瞬間。
 そこは交番だった。正面に警察官が座っている。
「それで、何があったの」
「はい、消えました。記憶がすっぽり。スイマセン」
「病院、行かなくていいの?」
「大丈夫ス。少しフラフラするぐらいなんで」
 青年は深々とお辞儀をして、交番をあとにした。
 すでに深更になり、夜気が町に漂っているなかを、遊弋するように、吸い寄せられるように「彼女」のアパートに到着した。
 頭を掻いていると、後方から声がする。
「警察呼ぶよ」
 彼女はコンビニスイーツや、飲料でいっぱいのビニール袋を手に立っていた。青年は顔を綻ばせて、
「警察にお世話になったよ、で、行くとこなくて、追い出されてからのこと、なーんも思い出せなくてさ」
「何それ。どうでもいいけど、消えて」
 彼女は青年の前をとおり過ぎ、階段を昇っていく。
「まとまった金が出来るまでさ、置いてくれない?」
「無理。ほんと、無理だから」
「そんなこと言わないでさ」
 二人は部屋の前で向き合った。
 その時、後方の空に、一筋のオレンジの光が上空の彼方に消えた。
「あれなんだ」
 彼女が振り向くと、そこには何もなかった。
「何よ。なんもないじゃん」
「なんか、流れ星の逆バージョンみたいなさ。それより、部屋、入れてくんない?」
 彼女はすこし時間をおいて言った。
「分かった。しばらくしたら出てってよね」
「助かるわ、女神に見えるよ」
「うるさい」
 二人は部屋に入っていった。
 雲一つなく澄み切った夜空に、ほんの一瞬、オレンジの光が迸った。

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