鈴木空虚
なんといっても金欠で。
鈴木はどうしようもなく天井のシミの数を数えていた。
それにも飽きて、万年床から体を起こすと、風が窓の網戸を通り過ぎ、青いカーテンを揺らした。
外気が鼻を掠め、時計の針は午前十時を指していた。枕元の財布を覗くと、紙幣は一枚もなく、銀色の硬貨すら皆無。
求職中で、日雇いの給料が振り込まれるのは明日。所持金四十三円で、今日という休日を凌ぐしかない。と、浅薄な決意をし、冷蔵庫に向かう。
白Tシャツにトランクス姿の鈴木を空腹が襲う。
グー、と、胃の強い収縮が腸に伝わり、空気や液体などの胃の内容物が十二指腸や小腸の方に次々と押し出され、音が鳴った。
冷蔵庫のドアを開けると、銀色のビールと半分使用したマヨネーズしかなかった。鈴木の辞書に「備蓄」の二文字はなかった。食生活がジャンクであるくせに、カップラーメンの類をひとつもストックしていなかった。
とはいえ、空腹は容赦なく駆け巡るので、マヨネーズに力の限り吸いついた。どろどろのマヨネーズの塩味と酸味を、銀色のビールで流し込んだ。
ゲップの勢いで床に倒れ込み、満腹には程遠く、ふと虚しさが闖入してくる。
「何をやってるんだ俺は」
自戒したところで、所持金は四十三円である。カップラーメンひとつ買えやしない。己の無力さを恥じる。されど、腹は減る。
鈴木はスウェットをデニムパンツに履き替え、部屋を出る。
どこまでも鈍色の曇天が広がり、鬱々しがちな思考が脳内を巡る。
月末の支払いであるとか、音信不通の彼女であったり、金を借りにいった際の母親の冷酷な視線であるとか、ともかく、どうしようもく、どうしたものかと。現実は堂々巡りであった。
近所のスーパーに入店してみる。
試食コーナーがこの世から消えてから久しく、唯一買えそうな食材はもやしだが、それで腹が膨れるほど、鈴木は老人ではない。
(小麦粉ぐらい、買っておけばよかった)
菓子コーナーのうまい棒が目に入るが、それならばもやしの方がマシに思えた。忸怩たる思いを抱えながら、スーパーを諦め、とりあえず近くの公園に行くことにした。
道中、口寂しいと思ったら、煙草も切らしていることを思い出す。
(これを機に、禁煙でもするか)
公園に到着すると、砂場で若い母親と遊ぶ、二歳くらいの男の子が目に入った。ふと、自分の子供時代を思い出し、メランコリックかつセンチメンタルな感傷に襲われる。それを誤魔化すように、水道の蛇口に口をつけて、これでもかと鱈腹、塩素くさい水道水を流し込む。
いくらか満たされ、同時に、空虚さに襲われる。同年代の連中は、結婚を前提に交際している彼女と、ランチを貪り、ついでに肉体も貪っている。
腹は減っても、性欲は人並み以上である彼は、音信不通の彼女の元へダメ元で行ってみることにした。金か、飯を恵んでもらおうとの腹だった。
駅にして二駅程度、歩いて行けなくはない。
三十分後。
急転直下。
彼女のアパートを視界に捉えたと同時に、それは偶然か、必然か、別の男と一緒に部屋に入っていく彼女の姿があった。
長身で、それなりの顔面をした、良い男だった。
一瞬、突撃してやろうかと思ったが、根が小心者にできている鈴木は、何もできず、おずおずと去る事しかできなかった。
あまりにもあっさりとした彼女との再会。遠目であったが。
「帰るか」
ポツリと零し、帰路につくほか無かった。完全敗北だった。
自宅につくと、
慣れ親しんだ「家」のにおいに安堵を覚え、シャワーを浴びて昼下がり。万年床に身を預けた。
寝よう。
寝るに限る。こんな時は。
眠りに落ちた。
そして、残酷にも、頭痛と共に、夕暮れに目覚める。
『グー、グー、ギュルギュル、、、』
それは、空虚な腹の音だった。
こんなことで休日が終わろうとしている事実に、鈴木はつい弱音を吐く。
「空腹で寝れなかったら、誰を呪おうか、、、、」
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